子午線一度の距離測定
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高橋 至時と間 重富は、寛政 9年(1797年)に
新たな暦『寛政暦』を完成させた。
しかし至時は、この暦に満足していなかった。
そして、暦をより正確なものにするためには、
地球の大きさや、日本各地の経度・緯度を知る
ことが必要だと考えていた。
地球の大きさは、緯度1度に相当する子午線弧長を
測ることで計算できるが、当時日本で知られていた
子午線1度の相当弧長は25里、30里、32里とまちまちで、
信用できるものではなかった。
忠敬は、自ら行った観測により、黒江町の自宅と
至時のいる浅草の暦局の緯度の差は1分ということを
知っていた。
そこで、両地点の南北の距離を正確に求めれば
1度の距離を求められると思い、実際に測量を行った。
そしてその内容を至時に報告すると、至時からは
「両地点の緯度の差は小さすぎるから正確な値は
出せない」と返答された。
そして「正確な値を出すためには、江戸から蝦夷地
(現在の北海道)ぐらいまでの距離を測ればよいのでは
ないか」と提案された。
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※ 画像一部は借りものです。
※ 次回は[新作落語]の予定。
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