「山桜」を観て来た。
ヒガシが主演している映画であり、5月からのロングランも都内では今週を最後に終わる時代劇である。
ヒガシのファンはもとより日本映画や原作の藤沢周平ファンなら観た方も多いと思う。
しかし、私はと言えば、ファンでありながらあやうくコレを忘れそうになっていた。
もちろん公開時期もニュースも知っていたし、どんな内容かも予習はしていたが、なんとなくいつものクセで、さらっと過ごそうとしていたのである。
そういえばやっているけど、DVDでいいや。という具合に。
それが、ふとこの時期になって、なぜ忙しい身ではかなり冒険的な距離の公開劇場まで時間を工面して観に行って来たのかといえば、やっぱり8月のプレゾンを見た後だからであり、そのプレゾンが最後だったからであり、東京千秋楽で自然光の中の美々しいヒガシの横顔を見上げてしまったからに他ならない。
8月からこちら、毎日HPの予告を覗いては「手折ってしんぜよう。」の張りのある声に溜め息をつき、「今はお幸せでござろうな。」の問いかけに「ううん!ヒガシ!私、あなたにもう一度会いたいの!」とパソコンに向かって呟く日々が続いた。(笑)
私としてはここ数年ありえなかった反応である。
それもそのはず、アイドルだったころの少年隊が年齢と共に落ち着き、彼らが揃ってテレビ出演する回数も減って行けば、ファンは否が応でも落ち着くものである。いつしか「ピン」としても充分一人前になっていた3人はプレゾンを除いてはそれぞれの場所に分散されたという事も要因だ。
相変わらず私はヒガシが好きだが『アイドル』を追っかけていた頃の高熱が微熱にまで下がるのは至極当然の成り行きである。
それでも夏のプレゾンはかかさず観に行き、数年に一度あるであろう舞台やドラマ等、ヒガシが出演する物は可能な範囲でとりあえず、そう"可能な範囲でとりあえずチェックしている"という、私のようなファンも少なくないだろう。
無理はしない、見れそうに(行けそうに)なければきっぱり、あっさりあきらめる。しかしこの潔さは「年一回は必ずプレゾンで会える」という前提の元にあったということも忘れてはならない。
さてしかし、微熱は微熱である。完全に病気が治ったわけではない。
何が切っ掛けでまた発熱するか解らないのがファンである。しかもご丁寧に「四半世紀の」という枕詞つきだ。
考えてみればこれは持病にも等しい年月である。そう簡単に完治するものではない。
小児喘息の主治医に言わせれば「まぁ、こういうのは完治するとかしないとかではなく、年齢とともに症状も落ち着くものですし、うまく付き合っていくことが大切です。」というものだろうか。(笑)
実は私はヒガシが時代劇をやるのがイヤだった。結論から言えば似合いすぎたからだ。
人並みはずれた身体能力や顔立ち故、早いうちから時代物に目を付けられた彼が、舞台で初めて沖田総司で座長を務めたのはたしか22歳の頃だったと思う。そんな若いうちから(あくまでイメージだが→)お土産に弁当がつくような某座の座長など、同じく若い当時の私には受け入れがたいものがあった。
ミュージカルならそれでもいいが、どうしても「時代劇の座長」では「大衆演芸」にイメージが重なる。
今でこそ後輩が座長になる舞台は珍しくもなく逆にジャニーズなら華やかなイメージも広がるが、当時のジャニーズではヒガシが先駆者だった。
また、こういう向きは少数派かもしれないが、歳のわりには殺陣も容姿もずば抜けていた分、それがかえって痛々しく、まるで「ストライプブルー」の危なっかしい歌い出しを聴いているような気分だった。(爆)
しかしヒガシは、生まれ持った美質が100%なら努力はその上に120%の人である。
いつしかストライプブルーの音取りがが確実になるのと同時に時代も変わった。
いや、変わったのではない。そうして着実にキャリアを重ねて、来たるべき時期(年齢)に来たるべき素晴らしい映画にヒガシも、そしてファンも出会ったのである。
前途したように8月からの一連の動向で期待が大きかったせいなのか、私は「山桜」のタイトルを見るなり涙が出た。
もともと涙腺はかなり弱い方なので、ここは笑い飛ばしてもらいたいが、この映画を全編通して観て、どこにも感動しない人はいないのではないだろうか。正攻法でストレートだが非常に繊細。完成度の高い良い映画だった。
ヒガシの台詞は、先だっての「手折ってしんぜよう。」からなる数行だけで、声は道場での稽古中のかけ声のみである。
以降最後まで目と表情の演技だけで弥一郎の人となりを演じる。
時に目を伏せ、時に睨み、時に横顔だけで今の心情を語る。最後に獄中でふと高窓を見上げる弥一郎の表情は、相好を崩すわけでもなく希望を感じさせる、みごとな演技だった。
劇中最大の見せ場である村井国夫演じる諏訪平右衛門を斬る殺陣は、羽織をさらりと肩からおろす場面から、息遣いさえ押し殺した気迫の一太刀までがよどみなく流れ、それは息をのむほどに美しく、静謐でありながら激しかった。
今更いわずもがなであるが、これが22歳で座長を務めた東山紀之の今なのだと思い知らされ、鳥肌がたった。
そして一青窈のエンディングが流れる頃には、涙とともに自分の身体から悪い物が全部抜けて浄化されたような清々しい気分を味わいつつ、一方で”紛れもなくこれは持病”との認識を新たにした。(笑)
どうやらこの先もうまく付き合っていく事になりそうである。
映画「山桜」公式サイト
ヒガシが主演している映画であり、5月からのロングランも都内では今週を最後に終わる時代劇である。
ヒガシのファンはもとより日本映画や原作の藤沢周平ファンなら観た方も多いと思う。
しかし、私はと言えば、ファンでありながらあやうくコレを忘れそうになっていた。
もちろん公開時期もニュースも知っていたし、どんな内容かも予習はしていたが、なんとなくいつものクセで、さらっと過ごそうとしていたのである。
そういえばやっているけど、DVDでいいや。という具合に。
それが、ふとこの時期になって、なぜ忙しい身ではかなり冒険的な距離の公開劇場まで時間を工面して観に行って来たのかといえば、やっぱり8月のプレゾンを見た後だからであり、そのプレゾンが最後だったからであり、東京千秋楽で自然光の中の美々しいヒガシの横顔を見上げてしまったからに他ならない。
8月からこちら、毎日HPの予告を覗いては「手折ってしんぜよう。」の張りのある声に溜め息をつき、「今はお幸せでござろうな。」の問いかけに「ううん!ヒガシ!私、あなたにもう一度会いたいの!」とパソコンに向かって呟く日々が続いた。(笑)
私としてはここ数年ありえなかった反応である。
それもそのはず、アイドルだったころの少年隊が年齢と共に落ち着き、彼らが揃ってテレビ出演する回数も減って行けば、ファンは否が応でも落ち着くものである。いつしか「ピン」としても充分一人前になっていた3人はプレゾンを除いてはそれぞれの場所に分散されたという事も要因だ。
相変わらず私はヒガシが好きだが『アイドル』を追っかけていた頃の高熱が微熱にまで下がるのは至極当然の成り行きである。
それでも夏のプレゾンはかかさず観に行き、数年に一度あるであろう舞台やドラマ等、ヒガシが出演する物は可能な範囲でとりあえず、そう"可能な範囲でとりあえずチェックしている"という、私のようなファンも少なくないだろう。
無理はしない、見れそうに(行けそうに)なければきっぱり、あっさりあきらめる。しかしこの潔さは「年一回は必ずプレゾンで会える」という前提の元にあったということも忘れてはならない。
さてしかし、微熱は微熱である。完全に病気が治ったわけではない。
何が切っ掛けでまた発熱するか解らないのがファンである。しかもご丁寧に「四半世紀の」という枕詞つきだ。
考えてみればこれは持病にも等しい年月である。そう簡単に完治するものではない。
小児喘息の主治医に言わせれば「まぁ、こういうのは完治するとかしないとかではなく、年齢とともに症状も落ち着くものですし、うまく付き合っていくことが大切です。」というものだろうか。(笑)
実は私はヒガシが時代劇をやるのがイヤだった。結論から言えば似合いすぎたからだ。
人並みはずれた身体能力や顔立ち故、早いうちから時代物に目を付けられた彼が、舞台で初めて沖田総司で座長を務めたのはたしか22歳の頃だったと思う。そんな若いうちから(あくまでイメージだが→)お土産に弁当がつくような某座の座長など、同じく若い当時の私には受け入れがたいものがあった。
ミュージカルならそれでもいいが、どうしても「時代劇の座長」では「大衆演芸」にイメージが重なる。
今でこそ後輩が座長になる舞台は珍しくもなく逆にジャニーズなら華やかなイメージも広がるが、当時のジャニーズではヒガシが先駆者だった。
また、こういう向きは少数派かもしれないが、歳のわりには殺陣も容姿もずば抜けていた分、それがかえって痛々しく、まるで「ストライプブルー」の危なっかしい歌い出しを聴いているような気分だった。(爆)
しかしヒガシは、生まれ持った美質が100%なら努力はその上に120%の人である。
いつしかストライプブルーの音取りがが確実になるのと同時に時代も変わった。
いや、変わったのではない。そうして着実にキャリアを重ねて、来たるべき時期(年齢)に来たるべき素晴らしい映画にヒガシも、そしてファンも出会ったのである。
前途したように8月からの一連の動向で期待が大きかったせいなのか、私は「山桜」のタイトルを見るなり涙が出た。
もともと涙腺はかなり弱い方なので、ここは笑い飛ばしてもらいたいが、この映画を全編通して観て、どこにも感動しない人はいないのではないだろうか。正攻法でストレートだが非常に繊細。完成度の高い良い映画だった。
ヒガシの台詞は、先だっての「手折ってしんぜよう。」からなる数行だけで、声は道場での稽古中のかけ声のみである。
以降最後まで目と表情の演技だけで弥一郎の人となりを演じる。
時に目を伏せ、時に睨み、時に横顔だけで今の心情を語る。最後に獄中でふと高窓を見上げる弥一郎の表情は、相好を崩すわけでもなく希望を感じさせる、みごとな演技だった。
劇中最大の見せ場である村井国夫演じる諏訪平右衛門を斬る殺陣は、羽織をさらりと肩からおろす場面から、息遣いさえ押し殺した気迫の一太刀までがよどみなく流れ、それは息をのむほどに美しく、静謐でありながら激しかった。
今更いわずもがなであるが、これが22歳で座長を務めた東山紀之の今なのだと思い知らされ、鳥肌がたった。
そして一青窈のエンディングが流れる頃には、涙とともに自分の身体から悪い物が全部抜けて浄化されたような清々しい気分を味わいつつ、一方で”紛れもなくこれは持病”との認識を新たにした。(笑)
どうやらこの先もうまく付き合っていく事になりそうである。
映画「山桜」公式サイト
発作。ありましたね~
統合すると「普段は微熱だが時々発作がおこり、発熱および憑かれたように文章を書き綴る症状が特徴」の持病ですね。
なんかそうとう悪い病気みたいだ。
そういや、師匠には「発作」ってのもありましたな。
やはり、持病でしたな・・・・
思いました。
これですよ!これ!!!!!
これに引かれてここまで来たって気分ですな^^v
王道であります!!
私も長く愛したお方がいますが、その人と自分との逢瀬も、こうでありたいものだと思いましたぜ。
「持病」かぁ・・・・・。なるほど・・。
ウマイ!!
…(^^;(^^;(^^;
>松岡の動き
そうか~、どちらかというと大倉くんの方が印象強かったね。
2007スペシャルの時は実言うと複雑だったんですよ。
主役は二人いらないっていうか、だからといって主水さん出ないとしまらないしね。でも若手メンバーは大倉くんだけでもいいかも。(爆)
それはさておき、これ一月から連続ドラマになるのね~。
とりあえず毎週ヒガシの殺陣が見れるので、放送が楽しみです
なんちて(^^)
ヒガシ主役の新必殺は、松岡の動きがイマイチなんだよね・・・
ちょっとヘニャヘニャしすぎなんだ。