Drマサ非公認ブログ

はじめて入院した⑥

 やっと救急での検査が終了したらしい。2時間ぐらい経過している。

 そこで妻らがERにやって来た。僕の姿を見て、妻の眼から涙が出てる。これには本当に「参った」という気持ちと「申し訳ないなあ」と妻の愛情に「感謝」という気持ちであった。

 「参った」というのは僕自身が大事と捉え損なっているからであり、妻に心配かけたことへの自責の念が組み込まれている。

 そもそも心不全の原因は高血圧に関連しているだろうと考えていた。というのは、8年ぐらい前、高血圧で降圧剤をもらって治療していたとの経緯があったからである。2年ぐらいは治療していたのだが、血圧のいわゆる正常値に戻って、しばらく経ってから、治療を半ば自主的に行わなくなっていた。きっかけは鼻出血が止まらず、その理由が高血圧にあったからだ。

 治療をやめた後、高血圧の問題は頭の片隅にいつもあった。高血圧が高じれば、頭痛やめまいが起こる。その場合は、病院に行かなければ程度の意識は持っていたのだ。それから6年も経つのに、そのような症状は現れていなかった。自覚症状があればということだったのだが、入院した後の医者との話から想像すると、僕の体が“頑固”で反応が出ていないだけであったが、高血圧はぶり返し、ついには以前よりひどい状態となっていたようだ。

 ちなみに高血圧の原因は医者も現時点では明確には断言していないが、遺伝的に高血圧の家系だし、しょっぱい物が大好きということもあろうかと思ったりしている。

 さて、主治医となる救急担当の医者が私のベッドのところに来て、救急で施した検査からわかることを説明し始めた。要約すると、もともと高血圧があるのだと思うが、心臓の機能が弱っている。なんと普通の人の1/4だという。心臓が何かの原因で弱っているが、そこで全身に血液を送るために心臓が無理をし続けたのだろうと。

 さらに、それを原因として腎臓の機能も衰えている。こちらは普通の人の1/6程度だという。こう言われて、腎臓の数値が1/6ということなのだろうと理解した。機能とか役割が1/6ということとは違うだろうと想像した。

 医者はそこでこんなこと告げた。「透析の必要があるかもしれない」と。週に4日間、4〜5時間の人口透析が必要だという。ただ医者の言葉を慎重に聞いてみると、「最悪の場合」ということなのだが、直接そういう表現をしないのだ。おそらくはリスクを考えて、つまり最悪のことを告げているだけなのだが、こんなことを言われたら、大抵はショックを受けるものだろう。

 患者に安心させるよりも、リスクヘッジして、とにかく最悪の場合を告げておくというのは、どうなんだろうなと疑問を抱いた。こういう文化が成立しているのは医療だけではないし、ベックのリスク社会論を思い出したりしていた。

 そこで医者に僕は次のように告げた。「透析はしませんよ、私の人生ですから」と。医者は驚いて、そこではじめて「一番悪いケースを踏まえてということだから」として、「急性期の透析というのもあるから、入院してから考えましょう」と急性期の透析についてレクチャーし始めた。僕自身も知らなかったのだが、2〜3日だけ透析をして血液を洗って様子を見るとのことだ。

 そこで入院になった。一般病棟ではなく、ACCUという循環器系の集中治療室行きだというのだ。

(つづく)

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