今回は入院の話を飛ばして、10月14日に行われた新日本プロレスの両国国技館大会の感想を。テレビ朝日2chで観たんだけどね。
オスプレイとファンタズモの試合の評価が高いのではないかと想像するけれど、スポットで構成された現代プロレスで、正直にいうと、あくまで僕にとってだけれど“クドイ”。これでもかこれでもかと大技をお互い出すのだけれど、それが順番通りやってる感があって、そういうのが好きではない。
場外の攻防も同じ。身体能力が高いとか、レスリングもできるとか、空中殺法がすごいとか、アイデアもすごいのだという評価以前に、昭和のファンである僕からすると表現としてでも“闘い”にまで昇華されているのかというと疑問である。でも、今現在のプロレスとして評価されるということなんでしょう。
メインのオカダとSANADAの試合は長すぎる。35分程度やったんだろうけど、大技をした後に二人ダウンしているシーンが多いし、意地悪な言い方をしていると、休んでいるシーンが多い。そんなにダウンしているのに仕留められない事自体がレスリングのリアリティを損なっていると思う。
まあでも、そこそこ評価される試合なんだろうなと思う。アップセットを期待できなかったのが、今回の興行の弱点。ドームの権利証のあり方は考えたほうがいいように思う。
ベストバウトはライガー対鈴木。文句なしだ。大技の連発はない。きっちりレスリングも行う。二人の本当の意地の張り合いもある。それを表現もできる。ライガーはライガーらしく、鈴木は鈴木らしく。
最前線で戦う鈴木の力量と引退するライガーのそれが違う事もわかる。これはリアルだ。もちろん、二人の関係性やその歴史を知っている者からすれば、涙なくしては見れない試合だ。この二人の関係性を知らない新しいファンでさえ、その意味が届くような試合だ。
ちょうど少し前にCSの蝶野正洋司会の「オレの激闘!ベスト5」で観たアントニオ猪木対藤原喜明の試合を思い出させてくれた。この試合は猪木カウントダウンで行われた試合なのだが、総合のようなガチンコではないし、アマレスのような試合ではない、プロのレスリングの試合である。
お互いグラウンドでの攻防が中心の試合なのだが、そこにプロレスの技術の攻防、力の攻防が組み込まれていて、“これぞプロレス”という試合だ。新日本プロレスのレスリングの集大成のような試合なのだが、そこに“闘い”を感じる。
それだけではない。当然二人の関係性がプロレスで表現もされる、そんな試合である。藤原がその試合を振り返りながらも泣いている。ライガーと鈴木の試合もそういう試合なのだ。プロレスは“競技”でもなければならない。と同時に“表現”でもなければならない。そこには歴史が存在もしている。それらを合わせると“闘い”となる。ライガーと鈴木には“闘い”であった。
そんなことを考えたりした。これぞ新日本プロレスのストロングスタイルである。