G・ベイトソンは病院自体がブラシーボ効果を発揮すると指摘する。
ブラシーボとは偽薬の事である。例えば、懇意にしている医者が薬だと言って、砂糖の塊を処方したとしても、薬と同じような効果が得られるという現象が生じる。そこでは、薬の化学的効果が発揮されたわけではない。薬のモノ的側面が人間のモノ的側面に影響を与えたとは言えない。なんせ砂糖だからだ。
そこで、ベイトソンは何が人間に影響を与えたのかを考察し、モノ的側面ではなく精神作用がここにあるからだと考えた。つまり、医者への信頼、薬は効くという信念、こういう精神作用が効果を発揮したと考えた。
もちろんブラシーボはモノとしての効果を発揮できないのだから、何が効果を果たしたのかというと、それを情報であると指摘する。その時の、モノ的現れがブラシーボではある。
だから、このおばあちゃんが病院に来ただけで、何も治療を施していないにもかかわらず、血圧が下がったのは、病院自体がブラシーボの役割を果たしたと考えることができるわけだ。
しかしながら、問題は残る。彼女が安心できる場所が病院である必要はないし、病院であってはならないと考えるからだ。彼女が頼る人や場所が病院であることは彼女の社会的状況を表してもいる。孤立していることだ。
彼女にも知人友人はいるかもしれない。しかしながら、不安や心配に覆われるような状況であること、不安や心配があるときに、頼りにしたり、話し相手になる人がいないことの方が問題を起こしている原因であろう。
そうすると、不安や心配が生じたとき、彼女は誰か、何処かに頼るしかない。悪い言葉にあえて変換するが、すがるしかない。それが病院という場所であっていいはずがない。
そこで、医者や看護師と話をすること、あるいは事務スタッフが世間話までしてくれることは一時しのぎにすぎない。実際こういうケースでは、不安神経症と病名をつけられて、心療内科や精神科を進められるのがオチだからだ。
彼女は小さな安心を得たかもしれないが、病院に来ても治るわけでもないのに、再び三度安心を得ようとして、病院依存を推し進めることになるだろう。
結局は孤立のままである。