朝テレビをつけたら、老化を遅らせる研究が進んでいるそうだ。僕はそれを観て、これを煩悩というのだろうとか、科学を盲信する科学信仰というか、近代って、こういうことなんだろうなとか頭を巡らせた。
そこで思うのは人類って、心は全く良くならないのかという感じである。煩悩を肯定する社会だ。僕が言葉を紡いでも、大したものにもならないので、哲学者の木田元先生の言葉を取り上げておこう。ちなみに竹内敏晴『じかの思想』藤原書店2014から、対談場面を抜粋させてもらう。
僕はもう、人間がもっと便利に暮らそう、楽に暮らそう、豊かに暮らそうという欲望を断念する以外に、人類の生き残る道はないのではないかと思っています。
いま人間は、自分たちが経済をコントロールして、より便利で豊かな社会をつくりつつあるなあんて思っているみたいなんですが、僕にはとてもそうとは思えない。むしろ資本や技術が自己運動を起こして、人間はそれにこき使われているだけじゃないかと思う。(P73)
木田元先生はハイデガーを学ぼうとして、哲学者になってしまう人だ。だから「資本や技術の自己運動」は、ハイデガーの近代技術批判Gestellを想起させる。
人間が科学技術を駆使し、老化(自然現象)をコントロールして、より長生きしようということなのでしょうか。長生きより「よく生きる」(by プラトン)が大切だとは、哲学の原理原則。変わりようがないよ。変わると考えていることが、うぬぼれだ。
科学技術が勝手に動いていて、科学技術の本性が人間の煩悩の肯定になってしまうので、人間は科学技術に支配されている。自分がコントロールする主体性を持っていると勘違いしつつ。
コロナについては、科学的な予測はことごとく外れ、科学や近代医療は大したこともできなかったじゃあないか。科学ができることは限られている。科学を信仰していると自覚し、科学信仰を反省しなければ、木田元先生の心配が現実になるのかもと・・・・