コロナのワクチン、なんだか信用できないって話が増えてきていますね。
僕は当初の2回接種はしています。本当は、なんだかやりたくないという気持ちだったのです。ただ夏にカナダに行く必要があったので、ワクチンパスポートがないとカナダに入国できないこともあって、仕方なく摂取しました。
とはいえ、この夏にコロナになってしまい自宅療養。カナダ行き断念でした。色々言われているのは知っています。個人的にはアメリカのCDCのサマリーを読んだりもしていましたし、他国の理解にも気を配って、僕なりの理解はしていました。
ところがコロナになってしまいました。その時思ったのですが、ワクチンしなければ、コロナにならなかったのではと。あるいはワクチンとコロナ感染、無関係かとも。
で、こんなtwitter。
勉強会の内容:
— ShortShort News (@ShortShort_News) November 25, 2022
「証拠を隠滅するなら刑事訴訟をする。何万人もの命がかかっている。御用学者による評価委員会を解散して調査委員会を設置しろ。」 https://t.co/fkOJ32n9Lv pic.twitter.com/PYCOlmUy4G
【新型コロナワクチン接種と死亡事例の因果関係を考える勉強会】
— ナルヘルス-新型コロナ・糖質制限- (@naruhealth) November 25, 2022
①厚労省に怒りをぶつける福島雅典京都大学名誉教授。
pic.twitter.com/vi9j0al7j5
偉い先生がワクチンの問題を指摘していて、官僚がいつも通り、その問題に正面から向き合わないっていうデフォルトですね。で、ワクチンが「良いのか?悪いのか?」という見方に流れやすいのですが、素直にこのやり取りを見ると、ワクチンを「信用していいか?信用してはいけないか?」という議論ですね。
真理問題ではなくてというか、信用問題になっていますね。ですから科学ではなく社会的な問題であることがわかります。そこを偉い先生が判断するのに「科学を重視しろ」と言って、真理問題から批判しています。
ということをまとめてみると、真理問題と社会的信用問題が循環論法というか、二重になってしまっていますね。ということで、複雑になっています。
で、やっぱりワクチンって不自然ですよね。人間という自然に科学が介入するのは、やっぱりほどほどでしょう。環境問題とか、人間性の衰退だとか、なんだか近代化における色々な不合理や矛盾って、科学技術が自然に介入しすぎたからでしょう。経済だけ大切だとかではなくて、そういう全体論的見方もしないとね。
人間がどうやって科学と付き合うかという、根源的問題から目をそらしてはいけないと感じています。そして、なんだかそういう根源的問題に徐々に気づき始めていて、環境エネルギー医療などにそういう根源的問題が現象として現れているような気がしています。そして、根源的問題の系列に、そいて現在進行形の目立つ現象がコロナとそのワクチンなんでしょうね。
気づきが始まっているのでしょうか!?僕は科学的に理解するということと同時に、「なんだかイヤだなあ」という虫の知らせのような物案じのような感覚も捨てないでいます。