銀の人魚の海

日々の思いを好きに書いています。映画、海外ドラマ、音楽、本。
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セールス・ガールの考現学★★

2024-08-18 | wowow鑑賞19年6月から あ行~さ行

21年モンゴル。モンゴル映画はほとんど見てないか?

映画祭でも記憶にない。タイトル「考現学」はなんで?

ない言葉では。はじめ3分の1はよかった。

いいかなとみていく。モンゴル、首都ウランバートルが舞台。

女子大学生は、60代か、女性経営のアダルトグッズショップで

バイトを頼まれる。

きわどい商品が多数。そこで経験を経て成長していく話。

過程はわかる。経営者の女性に、かなり気に入られ、

同居みたいになる。

彼女が進める言葉を信じ大人への道を。

セックスも男子学生と経験するが・・

タイトル、の考える、は大学生が少し。

現実感はほぼない(笑)

ショパンはゲイ、のセリフがある。

同棲していたサンドはバイセクシャルだった?

ショパンもかな?

Jサンドは男装の麗人。

知識の披露。つながらない変な話になる。

元はダンサーだった女性。利益があの店ででるの?

モンゴル観光は少しできる。もっとホンを練れば

良い映画になったかな・・

大学生は日本人に似ている顔。蒙古。


猛暑でも練習

2024-08-18 | ピアノ・音楽

西は35度以上が4週間と出ていた。

都心は夜が下がらないので、もっと熱いかも。

酷暑でもピアノは練習していて、

エアコンインでも運動か?汗が出る。

バッハ、長く同じ曲、ベートーヴェンは

3番ハ長調、1楽章はもう終わり、

2楽章、とても弾きにくく途中まで。

これ、32のソナタで2番目に長い曲だった。( 一一)

今は5番。わりに易しめ。モーツァルト、ハイドンの影響を

受けているとあり、弾くとそうそう。なので始めた。

1楽章から、16ページ、3楽章まで弾こう。

弾ければ1時間、日課。古典で涼しむ。

パソコン、キーボードが4つうてない。( 一一)

せ”っと、がうてない。

す”、がうてない。漢字、から、涼、で。涼しい。


17日 角野隼人ピアノローグ

2024-08-18 | ピアノ・音楽

NHFM、初めて聞いた。

角野隼人、29歳。30になったか?

千葉生まれ、幼児からピアノ、日本のコンクールで優勝から

ピアノを意識する。

3年前のショパンコンクールで上位までいく。

音大へは進まず、東大、理系、東大院卒。

こういう経歴の方は、おそらくいないだろう。

ピアノだけでも大変なのに。驚く。

東京、を拠点に仕事をしヨーロッパ、スイス、スペインなどへも行く。

2週間前はシンガポールライブだった。

バンドでもピアノを弾き、アニメの曲も作る。

昔からYouTubeも活用、かてぃん、という名称。

ここでは角野という名で。

落ち着いた語り、今風の言葉は皆無、ゆっくり選んで話す。

7月14日の武道館初ライブの準備中。

ゲストは大澤正彦、慶応院卒、工学博士。

AI研究家。31歳。日大文理学部準教授。

「ドラえもん」の話になる。「ともにドラえもんを本気で作る」という

本を?書いているよう。20年。

ドラえもんの定義は?頭は固いか?ミニドラの話もした。

大澤の言葉も今風でなく、ゆったりしている。

あっている二人。アートは一体どこにあるのか?

絵を見れば、アートは見た人の頭の中あるのでは・・

14年からドラえもん、プロジェクト開始。

30年かけて、AIドラえもんを作成する予定。3分の一まできた。

主観をどうやって科学AIに入れるのか?

難問はある。

理系だが子供がだい好き。

大学時、子供関連のボランティアをしていた。

これが終わったら、そういう仕事もいいかと思う。人と接する仕事。

ピアノがバックに流れている。角野の曲か?

初めに彼のアニメ曲、

次にラベル「亡き王女のためのパヴァーヌ」

対談を終えた。

角野はライブの日、14日朝、タクシーで武道館へ。

リハーサルは1回だけ。

2時間半のコンサート。

1万3千人の前でピアノを弾いた。生涯で初。

再出発として応援してほしい。

自分のスタイルを確立していきたい。

NY自宅に帰宅。2週間たった。

大澤さんは、柔らかいがしっかりとした資質の人。

彼をイメージした即興演奏をラストに。ドラミの音も入れたと。

ピアニストだが、今後は多種の作曲家もいい。

理系から作曲独学の吉松隆に、少しだけ近いか・・

彼はピアノは全く弾けないが。

若い世代の語り、楽しい放送だった。


僕とぼく 妹の命が奪われたあの日から 川名壮志

2024-08-18 | 本、雑誌

先日読んだ、20年前、佐世保市少女殺害事件。

同窓生に教室で殺された少女、小学6年の父は、

毎日新聞記者だった。

父の部下、75年生まれの川名が書いた事件本、2冊目。

19年、新潮社、書下ろし。

「僕」は、長男。「ぼく」は、次男。

交互に2人の語り。3時間で読める。

被害者の兄弟が、どのような心境だったかが、

半分はわかる。すべては到底わからないほど重い。

当時、長男は四国の大学生、次男は中学2年生。

大人は心は一応成長しているが、まだ若い二人の

兄と弟は、事件で父に言えないことが山ほどあった。

もう1つ不幸は、母が6年の闘病後、ガンで亡くなったこと。

長男だけが、ガンで余命が少ない事を知らされていた。

積極的で明るい母。体は大きいが無口な父、

しばらくもぬけの殻になった。

母が他界後は、父、妹、次男と3人で社の3階に住んでいた。

決まった日常、父は家事をしっかりしてくれ

帰宅が遅くてもお弁当を作り

決まりきった3人の毎日が過ぎていった。

そんなとき、6年になった妹が、家にも来たことがある生徒に、

カッターナイフで殺害された。

その後、次男は父の転勤で長崎に引っ越す。

次男は佐世保にいたかったが、

父の強い頼みで長崎へ、だった。

父はつらく、一人暮らしはできなかったのだろう。

長男は四国で一人、大学生活を満喫していた。

2人の兄弟は性格が正反対。これほど違うのか、と思うほど。

長男は、妹が加害者に悪口を言ったというメディアの

記事を読み激怒、悪口でなく、子どもが普通にいう程度なのに

まるで加害者と同じように書かれている。

長男は怒りを表面に出す。

父はこれ以上メディアを煽ってはダメだととめた。

次男は心にこの事件を閉じ込めた。泣かない、話さない。

父は母が亡くなった時以上にもショックを受け

葬儀後、一段落すると、記者たちが家に来て

日々飲酒で過ごした。長男も仲間に入り

殺害から少しでも遠くへ気持ちをという大人の飲酒だった。

次男は妹が加害者とネットトラブルがあったことをしり

秘密にしていた。これも次男が心を閉じる1つだった。

次男は高校へ入るが3か月で退学。なにもできない日々、

カウンセリングを受け、精神科へも通院。

別の単位制高校へ入りなおす。そこではまあ友人もでき

卒業。大学へ進んだ。

まだ気持ちは晴れない、わだかまりがあったが、ある友人が

支えてくれた。

長男は、大学でのバイトから未来を見据え

過激な生き方を選ぶ。

これには驚く。知りたい人は読んでみて。

彼はその後、支えてくれた女性と結婚、子供が生まれる。

女児だった!父が妹の変わりのようだと、喜んでくれた。

母がガン闘病時、一緒にくらし家事をしてくれた

祖母もこの誕生には歓喜!

ラストは、15年経過後の残された家族が

きっとこれからは、死を少し脇におけるか・・忘れはしないが。

未来を感じる。

事件での苦労は、加害者のかそ”く、被害者とかそ”く。

読みやすかったが、重さも十分感じられた1冊。

2人のきょうだいの語りを本にまとめてくれ

貴重な事件後の書物になった。