昨日の新聞、フロントランナー、医師、田代和馬。33歳、
非常勤を含め30名の医師をひきいる。
コロナを訪問診療しているから、ここへ書くのではない。
医学部へ裏で入学する人もいる。田代医師の母子家庭だった子供時代を書きたい。
89年宮崎市生まれ、父母が3歳で離婚、非課税世帯で育つ。
おもちゃ、ゲームは買えない。県営住宅に捨てられていた教科書を拾い、
先取り学習を一人でした。母が、土日はガソリンスタンド勤務、
待合室で勉強した。娯楽が勉強だった。
クラス女子が看護師になるというので、僕は医者に、母に言うと感激した。
ドラマ「医龍」の影響も。学費免除の中高一貫に拾われ道が開けた。
宮崎大医学部へ。6年では沖縄米海軍病院で実習。
19年、縁もない東京でひなたクリニックを開業。理事長は在学中に出会った
現宮崎市長、医師でもある。言葉にひかれた。
貧困だったので、ノブがないカギなし家に寝ている患者、
ゴミ屋敷部屋、ゴキブリが出てきても平気。いやがる医師がいるが驚きはない。
そういう環境で育った。九州弁で話す。コロナは日常の診断の延長だ。
なんでも診る医師に、沖縄での修業がスキルと自信をつけた。
日に多いと20件まわる。ガンの末期患者も診る、説明し丁寧に話す。
5波の時、若い人が寝たきりで、排泄を布団にそのまま、一人暮らし。
自分でシーツを変え掃除。診察。首都でこれが起きている。(今もそうだろうか)
一方クリニック近く病院は100床単位で病床はあいていて、幽霊病床。
はっきりいって、東京の医師の力不足。沖縄では何でも診る、
ゼネラリストになれを叩きこまれた。
日に30人を担当、離島で終末期をみた経験も今につながる。
専門は血液腫瘍内科、精神科。看護師の妻、子供二人。
身体を大事に、心療、移動、今日も猛暑、大変でしょう。
趣味は極寒での山、ソロキャンプ。これからも活躍してください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます