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帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

世界にたくさんある終戦記念日~南の島の歴史その1~

2007年09月11日 | 南の島の歴史
今日は、ポンペイの独立記念日で学校はお休みでした。

おじいさんは85歳で日本統治時代のことをよく知っておられます。

「今日9月11日は、ポンペイで日本とアメリカの戦争が終わった日なんだ」と話してくださいました。

でも多くのポンペイ人が今日が日本とアメリカが戦争を終えた日であることを知らないし、事実を体験して知っている人はごく僅かだと。

ポンペイは日本ほどたくさんの休日はありませんが、今日の休日の意味を殆どの人が分かっていないのだと思います。

今までおじいさんからたくさんの日本の統治時代のこと、戦争のことなどをおしえてもらいましたが、今日2人で1時間近くじっくり話して、おじいさんなどごく僅かなリアルタイムで戦争をこのポンペイで経験していない人しか知り得ないことを教えていただくことができました。

特におじいさんは第二次世界大戦中18歳から23歳という若さだったこと、日本語が堪能だったと言うことで、日本軍の監視台で働いておられたので、普通のポンペイ人以上に当時の様子などを克明に覚えておられます。

何故今日がポンペイの独立記念日になったのかは、当然のことながら日本では8月15日に玉音放送があり、戦争が終結したことが告げられましたが、日本から遠く離れたポンペイではその事実はまだ確認できず、その後約1ヶ月間戦争状態は続いていたそうです。

またその事実を聞いても、ポンペイでは「俺たちはまだ戦う」という軍部の声も合ったそうです。

こういった国や地域は、このポンペイだけに留まらず、たくさんあると思います。
いったい、第二次世界大戦の終戦記念日は、世界にどれだけの数があるのでしょう。

そして、きっと日本が終戦を迎えてからも、たくさんの日本兵士、現地の人がこの戦争で命を落としたことでしょう。

もちろん、ポンペイでもこの戦争でたくさんの人が命を落としています。

おじいさんと終戦の経緯の話をしていると、おじいさんも当時の昭和天皇の玉音放送を聞いたそうです。そして、でも日本の軍隊の中には「まだ戦争をするって言う兵隊がいたんだ」ということもちゃんとご存じでした。

あと、広島に原爆が落ちて、それは首都の東京から遠く離れていて、それが終戦の大きなきっかけになったことも。

今日はたくさんの戦争の話を聞きましたが、ここで今日全てを書ききれないので、また改めて書きたいと思います。

でも日本では終戦記念日・広島長崎の原爆記念日だけが日本の戦争の象徴のようにいつまでも大切にされています。もちろんそれは大切なことですし、ずっとこれからも風化させずにいきたい。

そして戦地となったこの南の島で暮らし、戦争を体験されたおじいさんと暮らす私は、それ以外にもたくさんの記念日があり、それぞれに体験したものにしか分からない、でも日本人が知っておくべき出来事をしっかりとおじいさんの言葉から感じ、
皆さんにも伝えていく責任があるのだと改めて思いました。

この日本人のことが大好きなポンペイにも60数年前には、忘れ去ることができない
戦場としての歴史があるのですから。
コメント (2)
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