今日は、コロニアの私立の小学校で隊員をしている仲間が休日のため、(我々は平日です)授業風景を見に来てくれました。
ステップを最初にしました。ステップとはスキップとかギャロップといって子供がリズムを取ってそれにあわせてピアノなどでリズムを弾いて遊ぶことです。
子供たちはギャロップにかなりなれてきて、勢いもついてきました。
本当は「弾んで、気持ちいいね、広い場所見つけたね」などなど、認めの言葉をいっぱい言いたいのですが、なかなか出てきません。
一人ずつは久しぶりだったので、緊張してできない子もいたので、次は5人ずつでギャロップをしました。ちょっと乱雑になったように思います。
その後、貝をつかったカウンティング。1-5までをゆっくりしました。
最初は私と一緒に貝を一つずつ出して数を数えて、そのあと私が言う数の貝を子供が自分で数えて出しました。そのあと、みんなの輪の真ん中に貝をたくさんおいて、僕が言った数だけ取りにいく遊びをしました。
静かにする遊びと動く遊びをうまく取り入れていくことができればと思っています。
1から順番に2、3と僕が言った数をとりに言っているのに、同僚のシニータが「HIRO次は10って言って」というので、「それは難しいと思うよ」といいましたが、今日やってみて、子供が順序だててしないと分からないことを知ってもらういい機会なので、「10」と言うと案の定、分かりませんでした。
昼からのシニータの話で、「今日の数字で急に10って言うと難しいでしょ」というと、言葉では「そうだったね」と言ってくれたのですが。
今日少し、怒ってしまったことがあります。
今、話した授業の前に、1・2・3の数字の書き方の指導をしました。
紙を使わずに指で文字を書いて。そのとき子供の前に僕が座っています。
そして子供は僕を見ながら数字を書きます。
こういうときは、私は子どもが本来する動きの反対の動きをします。
例えば「2」という数字を書くとき、裏から見た「2」の数字を私が書くと子供には「2」と分かります。
そうしていつものように指導していると、シニータとジュディーが「hiro、あなたの教え方は間違っている」と急に言い出しました。「僕がなんで?」と聞くと、「書き方が違う」というのです。いい機会だったので「いいや、これが正しい、君が子供になってみて、君から見てこれは「2」に見えるでしょう。でもあなたの言う風にしたら「2」って見える?」と。すると「ああそうか、わからない、あなたの方があっている」と言ってくれました。
そうです。これがすべてを物語っています。
先生たちの人柄は決して悪くありません。
でも、常に自分が中心で、子供が分かるか、子供がどう感じているという視点に立って、教えることが出来ないのです。
教え方の基本が身につかずに、自分のやり方でずっとだれからも注意されずにしてきてしまっています。
ここにポンペイの教育の問題の原点があります。
このことはこれからも他のポンペイの人に感じてもらういい具体例だと思います。
仲間には家を案内して、彼女はもう一つ違う仲間の隊員の学校に行きました。
学校に戻ると、同僚のシニータが子供をつれてきています。
彼女は結婚していませんが、2歳の子供がいます。(ポンペイではよくあることです)
周りの授業の終わった先生も幼稚園に来て「かわいいねえ」といって見ています。
いろいろとポンペイの教育には「こうあってほしい」というものはありますが、ポンペイの人の子供好きさを見ると、これだけ子供を愛せるのだから、きっともっといい教育ができるはずだという勇気を与えてくれます。
昼からシニータは、明日HとKを二つ教えたいと言って来ました。
そこには大きな問題があります。
実は2つといいながら、4つ教えないといけません。
つまり、今まで大文字と小文字の両方、例えば「A・a」を一度に教えていたのです。
前からこの教え方に疑問があったのですが、いい機会なので、聞いて見ることにしました。「大文字と小文字って子供はわかっているのかな」と聞くと難しいかもしれないと答えます。「そうだよね」これってもっと大きくなってから習うのであって、今はAかaのどちらか一つがAだと分かれば十分じゃない?」と聞きました。そしてどちらかに決めないと結局どちらも分からず、「Aa」という字がAという意味だと思いかねないことも言いました。するとシニータも納得して、「そうだね、一つにして見る」と素直に聞いてくれました。
明日は「k」の文字だけに絞って教えること、また何度も指で文字を書いてからすること、「K」を書くときも一本ずつ特長を言って書くことなどに留意し、教えてようにお願いしました。
その後、シニータが「これ、どう思う」と子供それぞれの名前の上に糊でなぞり、砂をかけてデコレートすることを提案しました。
「それはきれいだね、用意したらいいよ」というと、「Hiroが作ってくれたプリントが2つあるから、それをしてから時間が余ったらするよ」とのこと。でもそれって準備したほうがいいと思うよといいながら、僕はコピー室へ行きました。すると僕が戻ってくるとなんとシニータが子供一人一人の名前を書いて準備をしていました。
そういう風に自分からやって見ようと思う気持ちが大切だよと思いました。
そしてそのあと、「もっとアクティビティーをいれたい。そうしないと子供は退屈がっている」とシニータから言ってくれました。「よくぞいってくれた」という心境です。
子どもが退屈だと感じているとは、凄い進歩です。
それを感じることが出来れば、大丈夫だと思いました。
そして、他にもっといろいろな教え方や活動を知りたいと思えることこそが進歩だと。
もちろん、彼女は今明日の保育のことで手一杯で、僕に何かして欲しいという気持ちがいっぱいあることもわかっていますが、僕が保育をして、はいおしまいではなく、まねをしてみよう、他にもあるのかな?と思ってもらったら、本当に嬉しいです。
そして、今行っている僕のアクティビティー(ステップ)について説明しました。
今、ギャロップをしていますが、このギャロップがこれからスキップへとつながること、他にも他のステップがあることなどを伝えて、アクティビティーが広がっていくことを理解してもらいました。
まだまだ道は険しいですし、僕の教え方、新たなアイデアもなかなか新しく次々浮かびませんが、いろいろ子供を見ながら感じ、そこから生み出す日本でしていた保育で培ったものを大切にしていきたいと思いました。
ステップを最初にしました。ステップとはスキップとかギャロップといって子供がリズムを取ってそれにあわせてピアノなどでリズムを弾いて遊ぶことです。
子供たちはギャロップにかなりなれてきて、勢いもついてきました。
本当は「弾んで、気持ちいいね、広い場所見つけたね」などなど、認めの言葉をいっぱい言いたいのですが、なかなか出てきません。
一人ずつは久しぶりだったので、緊張してできない子もいたので、次は5人ずつでギャロップをしました。ちょっと乱雑になったように思います。
その後、貝をつかったカウンティング。1-5までをゆっくりしました。
最初は私と一緒に貝を一つずつ出して数を数えて、そのあと私が言う数の貝を子供が自分で数えて出しました。そのあと、みんなの輪の真ん中に貝をたくさんおいて、僕が言った数だけ取りにいく遊びをしました。
静かにする遊びと動く遊びをうまく取り入れていくことができればと思っています。
1から順番に2、3と僕が言った数をとりに言っているのに、同僚のシニータが「HIRO次は10って言って」というので、「それは難しいと思うよ」といいましたが、今日やってみて、子供が順序だててしないと分からないことを知ってもらういい機会なので、「10」と言うと案の定、分かりませんでした。
昼からのシニータの話で、「今日の数字で急に10って言うと難しいでしょ」というと、言葉では「そうだったね」と言ってくれたのですが。
今日少し、怒ってしまったことがあります。
今、話した授業の前に、1・2・3の数字の書き方の指導をしました。
紙を使わずに指で文字を書いて。そのとき子供の前に僕が座っています。
そして子供は僕を見ながら数字を書きます。
こういうときは、私は子どもが本来する動きの反対の動きをします。
例えば「2」という数字を書くとき、裏から見た「2」の数字を私が書くと子供には「2」と分かります。
そうしていつものように指導していると、シニータとジュディーが「hiro、あなたの教え方は間違っている」と急に言い出しました。「僕がなんで?」と聞くと、「書き方が違う」というのです。いい機会だったので「いいや、これが正しい、君が子供になってみて、君から見てこれは「2」に見えるでしょう。でもあなたの言う風にしたら「2」って見える?」と。すると「ああそうか、わからない、あなたの方があっている」と言ってくれました。
そうです。これがすべてを物語っています。
先生たちの人柄は決して悪くありません。
でも、常に自分が中心で、子供が分かるか、子供がどう感じているという視点に立って、教えることが出来ないのです。
教え方の基本が身につかずに、自分のやり方でずっとだれからも注意されずにしてきてしまっています。
ここにポンペイの教育の問題の原点があります。
このことはこれからも他のポンペイの人に感じてもらういい具体例だと思います。
仲間には家を案内して、彼女はもう一つ違う仲間の隊員の学校に行きました。
学校に戻ると、同僚のシニータが子供をつれてきています。
彼女は結婚していませんが、2歳の子供がいます。(ポンペイではよくあることです)
周りの授業の終わった先生も幼稚園に来て「かわいいねえ」といって見ています。
いろいろとポンペイの教育には「こうあってほしい」というものはありますが、ポンペイの人の子供好きさを見ると、これだけ子供を愛せるのだから、きっともっといい教育ができるはずだという勇気を与えてくれます。
昼からシニータは、明日HとKを二つ教えたいと言って来ました。
そこには大きな問題があります。
実は2つといいながら、4つ教えないといけません。
つまり、今まで大文字と小文字の両方、例えば「A・a」を一度に教えていたのです。
前からこの教え方に疑問があったのですが、いい機会なので、聞いて見ることにしました。「大文字と小文字って子供はわかっているのかな」と聞くと難しいかもしれないと答えます。「そうだよね」これってもっと大きくなってから習うのであって、今はAかaのどちらか一つがAだと分かれば十分じゃない?」と聞きました。そしてどちらかに決めないと結局どちらも分からず、「Aa」という字がAという意味だと思いかねないことも言いました。するとシニータも納得して、「そうだね、一つにして見る」と素直に聞いてくれました。
明日は「k」の文字だけに絞って教えること、また何度も指で文字を書いてからすること、「K」を書くときも一本ずつ特長を言って書くことなどに留意し、教えてようにお願いしました。
その後、シニータが「これ、どう思う」と子供それぞれの名前の上に糊でなぞり、砂をかけてデコレートすることを提案しました。
「それはきれいだね、用意したらいいよ」というと、「Hiroが作ってくれたプリントが2つあるから、それをしてから時間が余ったらするよ」とのこと。でもそれって準備したほうがいいと思うよといいながら、僕はコピー室へ行きました。すると僕が戻ってくるとなんとシニータが子供一人一人の名前を書いて準備をしていました。
そういう風に自分からやって見ようと思う気持ちが大切だよと思いました。
そしてそのあと、「もっとアクティビティーをいれたい。そうしないと子供は退屈がっている」とシニータから言ってくれました。「よくぞいってくれた」という心境です。
子どもが退屈だと感じているとは、凄い進歩です。
それを感じることが出来れば、大丈夫だと思いました。
そして、他にもっといろいろな教え方や活動を知りたいと思えることこそが進歩だと。
もちろん、彼女は今明日の保育のことで手一杯で、僕に何かして欲しいという気持ちがいっぱいあることもわかっていますが、僕が保育をして、はいおしまいではなく、まねをしてみよう、他にもあるのかな?と思ってもらったら、本当に嬉しいです。
そして、今行っている僕のアクティビティー(ステップ)について説明しました。
今、ギャロップをしていますが、このギャロップがこれからスキップへとつながること、他にも他のステップがあることなどを伝えて、アクティビティーが広がっていくことを理解してもらいました。
まだまだ道は険しいですし、僕の教え方、新たなアイデアもなかなか新しく次々浮かびませんが、いろいろ子供を見ながら感じ、そこから生み出す日本でしていた保育で培ったものを大切にしていきたいと思いました。
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