2012年制作
解説
公開以来、11日間で150万名の観客を突破した映画
もともとは2008年に公開する予定だった映画「26年」は、4年間も待たされることになった。
公表された理由は、投資家による出資計画の撤回だった。面白いのは具体的な投資内容と方法まで合意した後、決定審査のみを残した状況で撤回されたことだという。
形式的な手続きだったので問題なく投資を受けると思っていた制作の映画社チョンオラム側は突然の投資撤回を受け、映画制作を諦めるしかなかった。
真面目な性格だというペ・スビンは映画のため、5.18関連のドキュメンタリーを観たり、望月洞(マンウォルドン)国立墓地を訪れたりするなど映画の内容を理解するための努力を惜しまなかった。
日韓の若者の友情を描いた映画「道~白磁の人~」に出演するなど、ペ・スビンの作品を選ぶ目は独特である
商業性やスター性にこだわるより、作品の意味と価値を考える一握りの真の俳優である。
俳優イ・ギョンヨンも誰もが認める演技の達人である。現場で常に役者たちの面倒を見て、役作りのための討論をリードしたのも彼である。
最初の撮影の直前に行われた告祀(コサ:幸運をもたらすように祭壇を設け、供え物を供えて祈ること)の後、打ち上げの時もキャストと作品の話に夢中になる彼の姿を見ることができた。
紅一点で出演するハン・ヘジンは所属事務所の反対をも押し切って、自ら「26年」への出演を強く主張したケースだ。
映画「26年」は過去ではなく現在の話である。未だに“あの人”は我々のそばで平気で生活していて、1980年光州(クァンジュ)民主化運動当時の市民軍虐殺の主犯たちもどこかで生きている。
心に傷を負った人々も傷を負ったまま生きている。
●あらすじ
「1980年5月 光州事件で親を亡くした遺族(2世)が集まり、当時の大統領の暗殺を企てる」
コンセプトとしては、26年間、謝罪しなかった「その人」つまり当時の大統領、全斗換を断罪しようとするものです。
映画の大統領の台詞は、実際に本人が言った内容だそうです。
「光州は、銃器を持って立ち上がった、その一つの暴動じゃない?」
1980年 5月..戒厳軍の鉄砲で姉を失った정혁(イム・スルオン)は優柔不断な性格の警察に成長する。
1980年 5月...戒厳軍の鉄砲で母を失った미진(ハン・へジン)は国家代表射撃選手として成長する。
父を失った곽진배(チング)は、夫の死によって精神分裂症になった母と屋台をしながら光州守護派行動大将になる。
1980年 5月..戒厳軍の鉄砲で両親を失った大企業の会長の秘書김주안(ペ・スビン)は、両親の復讐のためにこの事を必ず成功させると念を押す。
彼らを呼び集めた大企業会長김갑세(イ・ギョンヨン)と彼の秘書김주안の提案はすぐ 「その人」をターゲットにした極秘プロジェクト。
「その人」(장광)を尋ねて謝罪を受けようとする大企業会長(イ・ギョンヨン)は1980年 5月..戒厳軍であった