知人のブログに載っていた記事です。了承を得て転載しました。
当時8歳のナージャ シャラボア
「ナージャの村」とテニスのシャラポア
ドキュメンタリー映画「ナージャの村」を観ました。本橋成一監督の1997年作、15年も前の映画です。春にはりんごの花が咲き乱れ、牧歌的で自然あふれる村がチェルノブイリの原発事故で立ち入り禁止になってしまいました。その村には避難していない6家族が住んでいて、8歳のナージャもくらしています。
そのナージャの村ベラルーシゴメリ州ドゥヂヂ村は、すでに地図から消されていますが、おおよその見当でみるとチェルノブイリから北東120~130km離れていると思われます。(大飯原発から120kmというと京都市内はすっぽりと入ってしまいます。)6家族しかいなくなった村でも季節のいとなみがあります。そして、避難していた村人がぽつぽつと村に帰って来ます。それは棺に入って…。
この映画に出てくるドゥヂチ村をあれこれ探していると、テニスで有名なシャラポアの記事に出会いました。2011年3月、福島第一原発の爆発事故のニュースが世界をかけめぐった時、アメリカで開かれていたBNPパリバ・オープンに出場していたシャラポアが記者会見場にチェルノブイリ原発事故から25年目となることを記したシャツを着て現れ、福島原発事故に思いを寄せ、「日本には素晴らしい思い出がある。そこで起こっていることを見ると、とても悲しい。(チェルノブイリの)事故はかなり前でも、今も影響が残る。特にそこで生まれた人々には、放射能汚染による障害がある人が多い」と話した。
シャラポワの両親は1986年のチェルノブイリ原発事故が起きた時、ベラルーシのゴメリ州に住んでいたが、事故直後に脱出。翌年シャラポワが生まれた。ナージャとはほぼ同年齢ではないのだろうか。いま、シャラポアは25歳、ナージャは23歳~25歳。ナージャは今健康で過ごしているのだろうか。福島でも多くの子どもたちが汚染地域にくらしている、「ナージャの村」が私たちに語りかけるメッセージは、そして今私たちに出来ることは…。