南大津支部からも組合員の方たちが福井集会に行ってこられました。
以下 組合員でもあるMさんがブログに書かれた内容を了承の上再掲します。
大飯4号機の定期検査入りにより、稼動する原発がなくなる15日を期して行われた「もう動かすな原発!福井集会」は、朝から18号台風接近により、大雨と風が吹く荒れた天候となりました。
しかし「原発ゼロ」をめざす参加者は、「雨にも負けず、台風にもおびえぬ」とばかりに、それぞれ長靴・雨合羽などの完全武装をして続々時間通りにバスの停留所まではせ参じました。
大津のバスには57名、湖南のバスには56名、大津からは自家用車で3台8名、高島からは5台の自家用車で24名、彦根・長浜からも自家用車で25名と確認できただけで、170名の参加となりました。当日の主催者発表は全体で800名でしたから、なんと5分の1は滋賀県からの参加者となりました。
福井中央公園に行くと、雨はやんでおり、青々とした芝生の上も、ほとんど乾いているような状態でした。
集会は、大津市に避難しておられる青田さんの「拝啓、関西電力様」の詩の朗読で始まりました。私も何度も読み返し、何度か作者ご本人の朗読を聞かせてもらいました。そのたびに体に走るものを感じます。今回もあがっているとは言うものの、不安定な雨雲が垂れ込める中で聞かせてもらい、新たな感動に襲われました。それは原発被災者の切なさ、悔しさ、悲しさ、怒りを丸みを帯びた方言で余すところなくとらえ、そこに立脚しながら非道な電力会社や、無責任な政府、原発推進勢力に対する怒りがこめられているからでしょう。
日本人初の飛行宇宙士、秋山豊寛さんの訴えも新鮮でした。宇宙飛行士のあと、第二の人生として福島で有機栽培によるしいたけ生産に取り組んでおられたということ自体はじめて知りました。原発事故で、それらがすべてダメになり、今京都に「逃散」していると云います。そして福島の現地に残されている人は、政府の棄民政策の犠牲者だと言います。
「私の知り合いは、今後7代にわたって恨みを晴らしてやると言っているが、私もその気持ちです」「私は現在71歳です。人は若く見えると云うけれど(実際若々しく見えました)、それは私が怒っているからです!」「ここに集まっている人は、日本国民の中の上澄みのような存在です。しかし、これだけでは少ない。今日集まられた皆さんが、周りの3人、5人、10人に呼びかけて、反原発の輪を大きく広げようではありませんか」と訴えは切々として力強いものでした。
集会の途中から、本格的な雨が降り始めましたが、誰も立ち去るものはいません。
デモも雨の中でした。会場を出たとたん、右翼の宣伝カーがボリュームをいっぱいにしてがなりたてていました。右翼が動くと云うことは、誰かが宣伝費を出したと云うことです。その候補者の第一番は関西電力でしょう。とに角関西電力は『関西電力 反原発町長 暗殺指令』と云う本に明らかにされているように、反原発町長を消そうとするような会社ですから、宣伝費用ぐらい安いものでしょう。関電でなくとも、日本にゴマンといる原発推進勢力から出ていることは間違いありません。デモ隊は「雨にもまけず、右翼にも負けず」福井の町に、「ええじゃないか、ええじゃないか、原発廃炉はええじゃないか」とにぎにぎしく、明るく訴えて行進しました。
写真撮影はYさん
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