阪神大震災から20年。
あの時は西宮に住んでいた。
布団で寝ていたが、まず襖が
外れて布団の上に覆いかぶさり、次は
転勤族だったため上中下と別れるタンス
を揃えていたのだが、上置き部分が
天井に何度もぶつかった後、足元に
落ちて来た。その後はタンスの中央部分が
覆いかぶさり、部屋の隅っこだった
私は起き上がれたが、旦那は私がタンスを
持ち上げてないと抜け出せない状態だった。
子ども部屋では、上の子は布団の上に
座り込み、下の子はライティングビューローの
椅子が入る部分に入り込んでいた。
枕元に転がっていたテレビを見て
よくぞ直撃を避けられたと思ったものだ。
だれも怪我がなくそしてこれまで無事に
生活出来た事を感謝しなければいけない
一日である。
生きていて動く事が出来、ベッドに入った時
どこも痛くなく、寝返りが打て
平和な眠りにつけるこれこそが幸せな
日常なのだと。
あの時は西宮に住んでいた。
布団で寝ていたが、まず襖が
外れて布団の上に覆いかぶさり、次は
転勤族だったため上中下と別れるタンス
を揃えていたのだが、上置き部分が
天井に何度もぶつかった後、足元に
落ちて来た。その後はタンスの中央部分が
覆いかぶさり、部屋の隅っこだった
私は起き上がれたが、旦那は私がタンスを
持ち上げてないと抜け出せない状態だった。
子ども部屋では、上の子は布団の上に
座り込み、下の子はライティングビューローの
椅子が入る部分に入り込んでいた。
枕元に転がっていたテレビを見て
よくぞ直撃を避けられたと思ったものだ。
だれも怪我がなくそしてこれまで無事に
生活出来た事を感謝しなければいけない
一日である。
生きていて動く事が出来、ベッドに入った時
どこも痛くなく、寝返りが打て
平和な眠りにつけるこれこそが幸せな
日常なのだと。