箕面の森の小さな物語
<五枚のもみじ> (2)
・・ありがとね・・ ほとんど聞き取れないぐらいの小さな声だが、しっかり二人は聞いた。 「えっ タエさん・・ しゃべれるんだ・・!?」 幸恵さんも勇人君も顔を見合わせてビックリ! この施設に月2回のボランテイアに来て約2年になるけれど、タエさんから声を聞くのも全く初めてだったので二人は本当に驚いた。 涙目をそのままに、タエさんが初めて二人を見て微笑んでくれた。
それから30分ほど、あの無口で話せないとまで思っていたタエさんが一人で喋っているのを二人は黙って聴いていた。 「もう60年も前の話さ・・ 若くして戦死した夫とね・・ まだ結婚する前にね・・ この箕面の滝の見物に来てね・・ 駅前には遊園地や動物園やらあって・・ それは楽しかったわ・・ 滝までの道にきれいなもみじの木がいっぱいあってね・・ 彼は紅葉したもみじを拾って持っていた本の間にはさんでいたの・・ 押し葉の趣味を持っているんだ・・ と、それでますます好意をもってね・・ それからひと月ほどたってね・・ 次に会った時、あの時のもみじをきれいに押し葉にして、手紙と一緒に私にくれたの・・ それが結婚の申し込みだったのさ。 戦争中で何もなかった時代だったけど・・ 結婚してもその五枚のもみじの押し葉があるだけで、私はとても心が豊かだったわ・・・
でも結婚してしばらくして夫に赤紙の召集令状がきてね・・ 主人はすぐに出征したわ・・ 一年ほどして激戦だったと言う南方の戦地ビルマから遺骨もなく、ただ死亡通知だけが・・ 来てね 現地の石ころが一つ入っていただけでとうとう帰ってこなかった それでもきっとどこかで生きているに違いない・・と あれから毎日ずっと長い、長い間待ち続けてきたわ・・ いまどこで何をしているのかしら・・ そればかり考えてね・・ もう相当の年月が経ったわね・・
そんなとき・・ お二人からもらったこの もみじ でしょう・・ 私一瞬息がつまったわ・・ あなた! って、心の中で叫んだのよ・・ 五枚のもみじ・・ 夫がね 私と ご縁がありますようにって 願をかけてね・・ それで「五枚のご縁もみじ」にしたんだ・・ と 後で聞いてね・・ 今 この五枚の紅葉したもみじをみて思い出したのよ・・」
淡々とゆっくりかみしめるように話される一言一言に、二人は涙をこらえきれなかった・・ 「そうだったんですか・・」 ご夫婦の愛情溢れるできごとにただ感激し、二人は感動をおさえられなかった。 60年もの間、夫の帰りを待ち望み・・ ただひたすらに待ち続け・・ いまでもまだその思いを抱き続けておられるタエさんに二人はつぶやいた。 「素晴らしいご主人だったんですね・・」
これからゆくゆくは結婚したいと思っている二人には、タエさんからとてもいい最高のプレゼントをもらったようだった。 何気なくみんなと同じように渡した最後の五枚のもみじ・・ それがこんなにも一人の人の心を開き,現実の世界に呼び戻す事ができるのかと思うと、二人とも不思議な力を感じていた。 「きっと天国にいるご主人が私たちを遣わして、一人寂しくしている奥さんを力づける為にしたんだよね・・」と二人で話した。 これを聞いたホームの人たちも口々にビックリされていた。「何しろ何年もほとんど話さなかった人だからね・・」
施設からの帰り道、幸恵さんと勇人君はいつものように手をつないで坂道を下りながら、お互いの手を握りしめた・・ まだ感動の余韻が残っている・・ そして二人は顔を見合わせ同じことを考えていた。 「まだ間に合うよ!」「そうね!」 「きっと連れて行ってあげよう・・」「そうしましょう!」
それからが大変だったけど、施設の方も特例で外出を認めてくれた。 タエさんにも二人の意見を話すと・・ 目を輝かしてまた涙でうるうるしていた。 「OKだね!」 二人は後ろでガッツポーズをして微笑んだ。
二人の計画は実行に移された。 その日はまさに快晴だった。 前夜の雨がすっかり上がり、気持ちのいい日和です。 施設が特別に瀧道の通行許可をもらった介護タクシーを手配してくれ、滝道の途中まで送ってくれることになっている。 かなり緊張気味のタエさんを幸恵さんと勇人君がはさむようにして乗り、しっかり両手を握ってあげたら落ち着いてきたようだ。 やがて施設のみんなに見送られて出発・・ あれからタエさんは、おやつの時間にもちゃんと出てくるようになり、お友達もできたそうですよ。
<修行の古場休憩所>のあたりで車を停めてもらいました。 帰りも連絡したら、ここで待っていてくれるとのこと。 車から降り、車椅子に座ったタエさんはきょろきょろと見回している・・ 温かいひざ掛けをし、二人に囲まれながら心も温かくなっているようです。 「だいじょうぶ? 寒くない? ほらあそこの紅葉 すごくきれい!」 幸恵さんの指さす方を見てタエさんも「 ほー 」 と、口をすぼめている。 箕面川の渓流を、身を乗り出すようににして眺めています。 ヒヨドリが鳴きながら森から森へと飛んでいる・・
60年前の箕面の森はどんな感じだったのだろうか? タエさんはご主人との思い出を探しているのか、常に顔をあちこちに動かしています。 木漏れ日が木々の間を通りうっそうとした滝道を照らし、川の流れは途切れることなく音をたてて流れています。
やがて滝の近くの「唐人戻り岩」のところへ来た時、タエさんはひときわ目を輝かした・・ 何か思い出されたのか・・ 「ここ・・ 来たことあり・・ますよ・・ 夫と・・!」 タエさんはそういってハンカチで目頭を押さえている・・ 幸恵さんが勇人君に目配せすると・・「分かった!」と うなずきながら、山裾に落葉しているきれいなもみじを探す・・ やがて色鮮やかに紅葉した綺麗なもみじを五枚もってきた勇人君は、それをそっとタエさんの膝の上に置いてあげた・・ 再びタエさんの目から大粒の涙が溢れ出してきた・・ やがてタエさんの顔は穏やかな観音様のようないい表情になり、とても幸せそうな様子でした。
あの日から僅か40日後、タエさんは待ちに待ったご主人のいる天国へと旅立たれました。 いっぱいの幸せそうな笑顔を残して・・ ベットサイドには本に挟まれたあの箕面の五枚の紅葉が、大切に大事そうに置かれていました。
(完)