箕面の森の小さな物語(NO-6)
*<五枚のもみじ>(1)
箕面の山麓にある老人ホームに、一人のおばあさんが入所していました。 身よりもなく訪ねてくる方は一人もいませんでした。 一日中ベットの上に座り、ぼんやりと外を眺めている様子で誰とも話をせず、係りの人にも時々訪問するボランテイアの人に話し掛けられても返事すらせず、いつの間にか忘れられた存在になっていました。
名前は「タエさん」と言い、もう80歳をとうに過ぎた方でした。 ボランテイアとして登録している大学生の幸恵さんは、同じ大学で恋人の勇人君と月2回、この施設のボランテイアとしてホームを訪れていました。 若い二人は明るく元気で、入所者の人たちからは孫のように好かれ、いつも来てくれるのを心待ちにしている人が多くいました。
勇人君はいつも来るたびにタエさんにも話し掛けるものの、今まで全く応じてくれず何一つ話した事はありませんでした。 しかしかつて自分を可愛がってくれた大好きだった祖母に少し似ていた事もあり、そんなタエさんを以前から少し気になっていたのでした。 「じ~として何を考えているのかな? 何をして欲しいのかな? どんな人生だったのかな?」 たまに恋人の幸恵さんとお茶を飲みながら、そんな事を話題にする事もあったけど、その内 どちらからともなく「どっちが先にタエさんに話してもらえるかな?」と言う事になりました。
それから二人とも意識していろいろ接触してみたものの、いつも二人で顔を見合わせ首を振るだけでした。 絵の得意な幸恵さんは漫画を描いてチョコレートを添えてみたり・・ 「これは結構他の人には受けたんだけど・・」 タエさんには全く無視されてしまった。
勇人君は芸大の授業でやってみた陶芸作業の中から、タエさんを意識して一輪挿しを造り、それに庭の菊の花を生けてタエさんの机の上に置いてみたけれど、チラリと見てはくれたけどそれだけで相変わらず言葉もなく無表情でした。 反応を期待して造っただけにガッカリしてしまい、幸恵さんについ愚痴ってしまったほどです。 「やっぱあかんわ! 何してもダメやねんな ガッカリやわ・・」 二人ともなかなか上手く心を通わせる事ができずに、とうとう今年の秋も終わろうとしていました。
就職の決まった二人には、もうこの秋が最後のボランテイア活動だった。 ある日、二人はいつものように駅前のおしゃれな喫茶店で待ち合わせをし、久しぶりに箕面滝道の散策にでかけました。 と言っても、メイン通りは人並みでいっぱいなので<一の橋>から左側の山道を登ります。 不思議とこの道も左右の山道を行けば滝までいけるのに、いつも人がいない穴場なのです。 二人で手をつなぎ、人の気配のない山道を歩き、きれいな紅葉を眺め,小鳥のさえずりを聴きながら将来の話をする二人は幸せでした。
瀧安寺の墓地裏にいったん下り、またすぐ左の山道から森に入ると、静かな瀧安寺を上から見下ろせるところに出ます。 途中、自然歩道の桜谷から<ささゆりコース>や<山の神コース>など左側に登る道があるものの右の方に道なりに歩くと間もなく<野口英雄 像>のところに出るのです。 ここからいったんメインの滝道に下ります。 少し瀧道を歩き、しばらくして右側の<姫岩>のある赤い<つるしま橋>を渡り、左側の川に沿って地獄谷、風呂ケ谷の上り口を横目に歩けば、道なりに自然とまたメインの滝道と合流する<戻岩橋>にで、間もなく箕面大瀧に着くのです。 普通の靴で森を散策できる本当に気持ちのいい所で、二人のお気に入りのコースなのです。
二人は落葉したきれいなもみじを拾っては、幸恵さんの持ってきた小箱に一つ一つ丁寧に入れています。 いつの間にか小箱は きれいに紅葉したもみじでいっぱいになりました。 「季節の味わいを・・ みんなにもお裾分けね・・!」 歩いて紅葉狩りをできない施設のお年寄りに、少しでも箕面の秋を味わってもらおうと、二人で決めて集めていたのだが・・ 「こんなもので喜んでもらえるのかな?」と、言いながらも 「こころ 心よ! ハートがあればいいじゃん!」と言い合いながら、いつの間にかいっぱいになった小箱を二人で大事に抱えて帰りました。
そして3時のおやつの時間に合わせ、幸恵さんと勇人君はもみじの入った小箱を持って施設にやってきました。 「今日はみなさんに、箕面の森から拾ってきたきれいに紅葉したもみじをお渡ししますよ・・ とれたての ほや ほや で~ す」と。 お茶を飲んでいたみんなの表情が明るくなる・・ いつも口の達者な熊じいさんが・・ 「ほや ほやのお二人さんからのもみじやで・・ みてみ~な もみじまで ”顔” あこう(赤く) してるやないか・・」「うまい! うまい!」 絶妙な間の入れ方に日頃、孫のように好いている二人の優しさに 寡黙なお年寄りも大笑いしたり手をたたいたりしている・・
「今日もタエさん お茶に来てなかったね・・・」と幸恵さん。 「そうだな・・・」と勇人君も、回りが賑やかな時だけに、二人とも少し寂しい・・ それでも二人は帰りがけに残しておいたきれいなもみじを、タエさんの所へ持っていきました。 「また今日もむなしいのかな? 話してくれないのかな・・」 何となくこの部屋に入るといつも沈んでしまう。
「タエさん こんにちは! 元気だった? 今日はね 二人で箕面の滝まで歩いて来たんよ! きれいなもみじがいっぱいあったから、タエさんのも持ってきてあげたからね・・」 そういって小箱から 最後のもみじ5枚を、座ってぼんやりとしうつろな目をしたタエさんの膝の上に置いた・・
「あれ? タエさんの様子がおかしい? 」 最初に気が付いた勇人君が、布団を直していた恵子さんの肩をたたいた・・ 「見て!」と目で合図した。
あのタエさんが・・ 膝の上に置かれたもみじを食い入るように見ている・・ それに表情がゆがんできているではないか・・ 「どうされたのかしら?」 近寄ろうとした幸恵さんを勇人君がとめた・・ やがて、あのタエさんの目から涙が零れ落ちた・・ 一枚一枚手にとったもみじをしっかりと眺めながら、大粒の涙が溢れ出した・・ どうしたというのだろうか?・・ 何か心の中ではじけたのだろうか? それは心配する事よりも、なにか嬉し涙を見ているようでした。
二人はそんなタエさんを静かに見守っていたら・・ やがてあのタエさんが・・ はじめて 小さな声で静かに・・ 口を開いたのだった。 「・・・ありがとね・・・」
(2)へ続く