箕面の森の小さな物語
<運命の出会い>(3)
まり子はそれからしばらく家にこもり、悶々としたうつ状態になってしまった・・
友達やかつてのお客さんまでもが・・ 「どしたんや! 何があったんや・・ 元気だしや!」と、心配してくれたけど、自分の気持ちをどうする事もできない・・ またかつてのあの空虚な日々を感じるようになっていた。 森へは行かなくなった・・ 料理も作らなくなった・・ 人と会うのも億劫だった。
でも週1回、仕方なくスーパーへ買い物に出かけるのが、唯一の外出になってしまった。 たまに年格好の似た少年が母親と買い物などしていると、羨ましく感じたりしていた・・ まり子の同級生で20歳で結婚したサトミには、もう40歳を過ぎた子供がいるし、その子の子供は確か中学生だったから、サトミにはタカちゃんと同じ13歳位の孫がいるんだ・・ まり子には子供がいないけれど、孫のようなタカちゃんとたった数回の出会いなのに、どうしてこんなに心が乱れるんだろう・・? まり子は60数年の人生で初めて感じる異様な自分の高ぶりを押さえられずに、その感情に翻弄されつづけていた。
あっという間に冬が過ぎ去り、梅や桃の花が咲き、野山も新芽に溢れ、鳥も、昆虫も、動物も、植物も、樹木も・・ 箕面の森も生き生きと活動しはじめた・・ もうひと月もすれば箕面の桜エドヒガンも咲くだろう。
その日も、まり子は一週間の買い物に行き、帰りもボンヤリと無気力な表情でエレベーターに乗り、自分の部屋の階で下りた。 廊下を歩いていると、前方に座っている人がいる・・? しかも、自分の部屋の前で・・「恐い! だれ?」 一瞬そう思ったけど、その人が顔を上げてこっちを見た・・
「え! まさか・・ まさか タカちゃん!? ほんとうに! タカちゃんじゃないの!」
気が付いたタカオも立ち上がって駆けてきた・・ 二人はダッシュしてぶつかるようにして無言で抱き合った・・ 涙がとめどもなくあふれてくる・・ 「うれしい・・ うれしいわ!」
長い間嬉し涙を流していたけれど、マンションの廊下である事に気がついたまり子はあわててドアのカギをあけて、初めてタカオを部屋へ入れた。 タカオの荷物は薄汚れたリュックが一つだけだった。
二人が少し落ち着いた頃・・ タカオがボソっと話し始めた。 「あの~ ボク家を飛び出してきたんです・・ それで、もう帰る家がないんです・・」 それを聞いたまり子は・・ 「え! そうなの? でも心配しなくていいのよ もうどこへ行かなくてもいいの! オバさんの・・ いやマコのこの家にいたらいいのよ・・ ずっとここにいていいのよ・・ いて欲しいの・・ マコが助けてあげるから心配しなくていいのよ・・ ここにいてね・・」 まり子はもう懇願に近い声になっていた。
「お腹すいたでしょう・・」「はい!」「じゃあすぐ作るから、その間にそこのお風呂に入ってさっぱりしなさい・・ 下着は明日買ってあげるから、それまで・・ そうね、女物だけど新品だから、これ着ときなさいね」 「はい・・ありがとうございます」「あのね、そんな他人行儀なこと言わなくてもいいのよ、遠慮しないのよ・・」
それからマコは自分の為に買ってきた食材と冷蔵庫にあるもので、得意の鍋料理をさっさと準備するとコタツの上に並べた。 「さあ~ お腹すいたでしょう・・ お話しは後でいっぱい出来るから、さあ食べよう・・」 女物のパジャマを着たタカオが滑稽に見えたけど、そんなことより嬉しくてたまらないまり子だった。 話は夜明け前まで、途切れることなく続いた。
タカオの話は悲惨だった。 遠い親戚という人は、おばあさんの預金通帳を探し出し、それを全部引き出してしまうと、他にないのか・・? と、タカ君に迫ったという・・ そして、食わしてやっているんだから、中学でたらオレと一緒に工事現場で働けよ・・ と、言われていたとか・・ 更にその家の1歳年上の男の子から、ひどいいじめを毎日のように受けていたとか・・ 養父は怒ると棒で殴り、酒を飲むと更に恐い人になるのでいつもビクビクしながら小さくなって過ごしていた様子を細かく聞いた・・ なんてひどい人たちなんだろう・・ まり子は怒りが収まらなかった・・
疲れて眠りについたタカオを横に、まり子は次々と手順をメモし、頭はフル回転していた。 長年培った仕事の手順や段取りを立てるが如く、それに更に怒りと愛情が絡まってそのスピードは加速していた。
朝9時になると、まり子は早速 かつてのお客様で今はいい飲み友達の弁護士、司法書士、社会福祉の主事、元警察署長、元学校長・・ と、次々と事情を詳しく話して相談し、必要な手配、手続きはすぐにとってもらっていた・・ みんなは、まり子が最近落ち込んでいる事情が分かり、迅速に手配してくれて、もうその日の夕方にはタカオの今の養父先にも警察関係者が事情を聞きに行ってくれた。
そんなまり子の真剣な姿を一日中見ていたタカオは、その夜 あの汚れたリュックの一番底から油紙につつんだ封筒を取り出し、まり子に渡しながら・・ 「マコさん! これはおばあちゃんがまだ元気だった頃、ボクに渡してくれた物なんです」「なにそれは・・?」 「ボクは知らないんだ・・ でも、おばあちゃんがその時、<これはもし私に何かあった時、お前が最も信頼できる人と思った人に開けてもらいなさい・・> って言われたんだ。 ボクはマコさんに開けてもらいたいんだけど・・」「え! 私でいいの!」「はい!」
まり子はゆっくりと油紙をはがしながら、取り出した封筒の中には分厚い手紙が入っていた・・ そこにはしっかりとした文字で・・ 自分がもしもの時に、一人残される孫の事を思い、タカオの詳しい成育歴から両親の事、父親がもうすでに親権を放棄していることや、遺す財産、保険明細からその関係先、更に押印した遺言状まで入っている・・ そして最後には、どうか孫をよろしくお願いします・・ と、それは切実な懇願の文面が綴られていた・・ 「タカちゃん! これは親戚の叔父さんには見せなかったのね」「勿論だよ・・ だってボク全く信頼してなかったもん・・」 「マコは信頼してくれるのね・・」「勿論だよ」と ニコニコしている。
まり子は次の日も、それら祖母の手紙など持って関係先を回り、夕方 タカ君を連れて友人の弁護士事務所を訪ねた・・ そこには連絡を受けた関係者も加わり、祖母の熱い思いが伝わり、遠い叔父との縁組解除、祖母のお金の返還訴訟から、転校などを含むいろんな手続きは順調に進んだ・・ そして最後に弁護士はこんなことをアドバイスして、まり子を驚かた・・ 「マコちゃん! これは二人はもとより関係者や裁判所の同意などもいるけど、改めて養子縁組もできるんだよ・・ 「え! ようしえんぐみ・・? 私とタカ君が・・?」
最初、何のことか分からなかったまり子は、弁護士の説明に目をくりくりさせていた。 ところがまり子が横にいるタカオに目をやると、ニコニコしながら ウン ウン! とOKのVサインを出しながらうなずいているので、更にビックリしてしまった。 それはその何分かのやり取りで、二人の養子縁組の可能性が、あっという間に整ってしまったのだった。
数日後、まり子はタカオとおばあちゃんがいる施設に向かった。 認知症患者の病棟は、丁度お昼ご飯時だったけれど、事前に事情を話してあったので、まり子はタカオとおばあちゃんの席の前に座り話し始めた。「おばあちゃん! 元気だった?」とのタカオの問いに・・ 「この人はだれ?」という顔で、孫の顔を見ている。 まり子は挨拶して自己紹介をすると、ゆっくりとタカオとの出会い、いきさつ、経過、そしてここ何日の出来事、更にその後の事情、そして思い切って養子縁組の話まで一気に話した。
施設の人も横で話を聞いていてビックリした様子だったが、「よかった! よかったわ!」と、手をたたいてくれたが、おばあちゃんは相変わらず だれの話か? 何のことかな・・? と、全く反応はなかった。 まり子とタカオは、予想はしていても少し寂しかった。「おばあちゃん! また来るからね・・」と、言いながら二人はドアへ向かった・・
するとその時! 介護の人が 「あ!」と声をあげたので振り返えると・・ あのおばあちゃんが ヨロ ヨロと立ち上がり、まり子とタカオに向かって、深々とお辞儀をしているではないか? 「まさか!?」 まり子は涙でいっぱいになりながら、心を込めてお辞儀をした。 でも、おばあちゃんはすぐに座ると、またそれまでの無表情に戻ってしまっていた。
箕面の森に夕陽がかかり、その木漏れ日が美しいシルエットを描いている頃、まり子とタカオは、いつもまり子が行くスーパーで夕食の買い物をしていた。 「今日は美味しいシチューを作ってあげるわ・・ 教えてあげるからね!」「ボク! あの美味い卵焼きも食べたいな・・ それにいつか、作り方教えてくれるって言ってたじゃない?」 「シチューと卵焼きか? 面白い組み合わせね いいわよ! いっぱい教えてあげる けど、マコは厳しいから覚悟しとくのよ ハハ ハハハ 」
そうだわ! 明日は久しぶりにあの才ヶ原池へ行って見ようか・・ ヤマザクラももう満開かもしれないし、お弁当をいっぱい作ってね」「じゃあ教えてもらいながらボクが作ってみる・・ 楽しみだな・・」 買い物袋を二人で下げながらスーパーの表へでた時だった・・ タカオがポツンと・・ 「ありがとう! ぼくのお母さんになってくれて・・!」「え!」 (まり子はもう涙でグシャグシャニなりながら・・・)「こちらこそありがとう・・ タカオ!」
家路に向かう二人の背後を、ひときわ美しい夕焼けが温かく照らしていた。 箕面の森に美しいウグイスの鳴き声が響き渡った・・・
(完)