「大丈夫ですか? もしもし大丈夫ですか? どうしよう・・」
祐樹は薄れゆく意識を懸命に元に戻しながら、そんな声を耳にした。
「あっ! 気がつきましたか・・」 「ああ どうも・・どうもありが・・ 足を滑らせ・・ 動かせないんで・・ 痛!」 祐樹は薄れていた意識を取り戻した。 「私が肩を貸しますので立てますか・・?」 気がつけば麻痺しているのか、少し足の痛みが和らいでいる・・ 祐樹はゆっくり女性の肩を借り、やっとの思いで立ち上がった。 「これなら何とかこの下までは下りられそうかな・・?」 それから何度も休み休みしながら10余分の道を30分以上かかってやっと芝生広場までたどり着いた。
「ありがとうございました・・ もうここで・・ すいませんがケイタイが繋がる所から救急車を呼んで・・ あれ!?」 祐樹がボソボソとお願い事を言う前に、彼女はもう一人で走っていった。 15分ほどして一台の軽自動車が前に止まり、先ほどの人が急いで下りてきた。 「丁度駐車場の門を閉めていた係りの人に事情を話して、車を中に入れさせてもらいました さあ早く病院へ行きましょう・・」 そう言うが早いか祐樹を抱きかかえるようにして助手席に乗せると園内を通り抜け市道を下った。
「あの~ この下の箕面ビジターセンターまでお願いできますか? あそこで電話を借りて救急車を呼んでもらいますので・・」 「大丈夫ですよ! 救急車がこの山を登ってくるのにどれだけ時間がかかると思います? それに公共のものはもっと緊急の方の為に残しておきましょう・・ あっ 貴方が緊急だってことは分かっていますよ・・ でも今は私が何とかできますから・・」と笑いながら車を走らせる。
車は箕面ドライブウエイをゆっくりと下りながら、30分足らずで箕面市立病院の救急外来に到着した。 早速レントゲンを撮ると、やはり左足靭帯破断で足首の骨折で全治3ヶ月の重症だった。
「どこのどなたか知らないけれど・・ あっ! あの方のお名前も聞いていなかった・・ しまった! ろくにお礼も言わないままに・・ どうしようか? でも本当にありがとうございました」 ベットの上で治療を受けている間、祐樹は心の中で感謝の言葉を何度も呟きながら安堵感でいっぱいだった。
治療が終わるまで3時間近くかかった。 祐樹は手続きなどを済まし、支払いも終え、処方された薬を飲むと慣れない松葉杖を腕の両脇に挟みながら下の兄のケイタイを鳴らした。 何となく兄が医師だからというだけの事だったが、医者の有難さをしみじみと実感したからでもあった。 久しぶりに兄と会話し、自分の状況を説明しておいた。 「・・でもよかったじゃないか・・ その方にはお世話になったんだな しっかりお礼を言うんだぞ 命の恩人だからな・・」 祐樹はその時初めて本当に命を助けられたんだ・・ と認識した。 お礼を言う前に自分のことで精一杯で名前も聞かなかったことを心底後悔した。
「それはそうと兄さんは今どこで何してるの?」 「オレか・・ 今な 福島にいるんだ あの忌まわしい出来事から逃れるようにしてここに来たんだがな・・・以前 大学病院にいる時に派遣されて、大震災直後の被災地に来た事があるんだ 余りにも非日常的なことばかりで過酷だけどやりがいがあったんで、それでフリーになったんで再びここへ来てみたんだ 今はボランテイアだけど、やっぱりここに骨を埋めてもいい覚悟でこれから診察活動をしようと思ってるんだ・・」 「そうか・・ それはよかったね」 医師として厳しい任地だろうが、兄は兄なりにやりがいと共にやっと自分の居場所見つけたようだった。
祐樹は他の家族にはこれ以上心配事を増やさないために自分のことは黙っておこうと思い連絡はしなかった。 そして会社の上司にだけは電話で事情を話し、しばらく休暇をもらう事にして病院を出た。
外はもう真っ暗だった。 冷たい風が吹いている・・ 寒い! 北の箕面の山々の峰がうっすらと見て取れる・・ 山の中腹にある<風の杜 みのお山荘>の灯かりだけがボンヤリと見える。 そして目の前のタクシー乗り場の明かりだけがひときは明るかった。
「大丈夫ですか?」 どこかで聞いた事のある声だ・・ 祐樹が振り返ると・・ 「あっ! 貴方は・・ まさかここで私を・・ 待っていて・・」 祐樹はビックリすると共に感謝と感動が入り混じって言葉にならずなぜかポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「帰りもお困りだろうと思いまして・・ それにこの荷物も・・」 「あっ ボクのリュックとストック・・ すっかり忘れていました 預かってもらっていたんですね・・ ありがとうご・・」祐樹が言葉をつまらせ感激の涙を拭いていると・・ 「さあどうぞ! 」 彼女は軽自動車の扉を開け、助手席に祐樹を座らせると松葉杖を運転席との間に置いた。 「さあ出発です! お客様どちらへ参りましょうか・・?」 彼女がタクシー運転手のしぐさをしたので二人で大笑いした。
祐樹は朝までいた箕面森町の家へは向かわなかった。 上の兄が所有する箕面駅近くの集合マンションの一室を、祐樹は大学入学と同時に兄から借りて使っていた部屋がある。 それまでは両親と一緒に住んでいたが、広い家とはいうものの常に父の秘書や書生やお手伝いさんや10数人の人たちが寝起きを共にする中で心に窮屈な思いをしていたから大喜びだった。 しかし たまに上の兄が訪ねて来た時はあわてて掃除をするものの・・ 「なんと汚い部屋に住んでるんだ・・ もっときれいにしろ! そんなことしてたらまた嫁に逃げられるぞ!」とからかわれていた。 勿論 結婚前に妻となる人をここへ連れてくることは一度も無かった。 結婚をするまではここが祐樹の城であり居場所だったのだ。 そしてあの妻が家を出て行った次の日から、ここが再び祐樹の家だった。 病院から10余分で祐樹のマンション前に着いた。
「遅くなりましたけどお礼を言えなくて・・ 本当にありがとうございました。」「いいえ! たまたまですわ・・ お役に立てて嬉しいです」「ボクは太田垣 祐樹と言います ここに住んでいます」 「私は吉永美雪と申します この東の間谷の団地に住んでます」 「そうだ! よろしかったらお食事をご一緒していただけませんか? ボク朝から何も食べていなくてお腹ぺこぺこなんですが、ご迷惑でなければ・・」
美雪はすこし戸惑っていたが・・「よろしいんですか・・?」「よかった うれしいです! ありがとうございます!」 祐樹はそのまま美雪の車を案内した。 学生時代からなじみのイタリアレストランはすぐ近くだった。
「美味しかったわ! こんなに美味しいイタリアンは初めてだわ・・ ご馳走様でした でもマスターが祐樹さんの痛々しい姿をみてどしたん!? とビックリしていた姿やその顔が可笑しくて・・」と思い出しては大笑いしている。 祐樹もつられて二人で笑った。 美雪は祐樹の部屋の前まで送ってくれて・・ 「では失礼します! ご馳走様でした・・ お大事にして下さい!」と手を振りながら帰っていった。
長い一日だった。 祐樹は慣れない不自由な格好でベットに横になりながら朝からのまさに激動の一日を振り返っていた。 そして・・「いい一日だったんだな~」とため息をついた直後から薬が効いたのか いつしかゆっくりと心地よい眠りに入っていった。
(5)へ続く