毎度毎度の石橋文化センターである。
久留米を知らない人には面白くもないネタだろうが、私のお気に入りの場所だからしょうがない。
進める。
正門から入ってすぐ、来客を出迎えてくれる少女像の足元は、ラベンダーが満開である。
今回訪れたのは、花菖蒲祭りと書かれてあったからだ。
池の畔に、群青色、紫、薄紫 と、色とりどりに咲いていた。
まだ咲き始めで、全部の株が咲いているわけではないが、十分楽しめた。
季節毎の花をゆっくり見たいなら、美術館が休みの月曜日が狙い目だ。
ゆっくりと楽しめる。
菖蒲が映る水鏡から、二つのコブが突き出ている様に見えるのは、鯉である。
睡蓮のほうは見頃を迎えている。
これからしばらくの間は、楽しませてくれるだろう。
岩の上で、長い事サギが羽を休めていた。
家内がこの前行った久留米市の花のイベントで聞いてきた話では、これは石橋正二郎手植えの楠らしい。
ここから、石橋文化センターが始まったとの事。
青空に咲く薔薇。
文化センター自慢の薔薇も、まだまだ見応えある花を咲かせていた。
客が比較的少ないこの日だからか、花々の植え替えがあっている。
ご苦労様。
ペリカン噴水も、清掃の為に水が抜かれ、オジサンたちがせっせとモップを滑らせている。
私達世代の久留米人は、この場所を呼ぶ時は、何故か『ペリカンプール』なのだ。
『ペリカンプール』という名を聞けば、誰しも、ポンと膝を叩き「あった、あった。」と言う筈だ。
文化センターに競技用プールがあった時代、小学校低学年はそのプールには入れなかった。
なぜなら、年少者は足が立たないほどの、水深があったからである。
仕方ないので、当時の母親たちが、勝手に年少の子供らをこの噴水で水遊びさせたのが、その名前の由来ではなかろうか。
謂わば、文化センターの与り知らぬところで、つけられた名前であろう。
文化センター側からすれば、不本意な呼称である。
だって、
開園当初から、ここはれっきとした噴水なのだ。
断じて、プールなどではないと言いたかったに違いない。
そういう訳だ。周囲に更衣室もある筈はない。
子供らは、噴水の周りのベンチ辺りで、堂々とフルチンになり、着替えさせられていた。
夏休みともなると、不法占拠された『プール』の中の子供の数は、優に数百人に及んだ。
こうなれば、親たちの勝ちである。圧勝と言っていい。
手の施しようもなくなった光景を前に、管理者たちの途方に暮れる顔が目に浮かぶようである。
恐らく、当時の管理者たちは、
「今更、ここで泳いではいけませんとか言えんで。」
「ほんなごとな。もうしゃーねえ。見て見ぬ振りを・・・」
てな、具合ではなかったろうか。
こんな暑い日に、
当時を思い出して、そんな妄想をした。