実は少し前から、また右股関節に痛みがある。
1年前の痛みに比べれば、大した痛みではないが、念のために整形外科でリハビリを受けている。
担当の理学療法士は、このブログを読んでくれていて、ストレッチをしながら、
「この前の久住山、寒そうでしたね。」
「そうそう。ただあの後、股関節は痛まなかったよ。今回のリハビリは、短くて済みそう。」
「でも、筋肉に張りがありますよ。それに普通の道の方が傷むんでしょう?」
そうなのだ。
前回の時も、山の登り降りはそうでもなく、平坦な歩き易い道になると、途端に痛みが走った。
色々原因は考えられるが、とにかく、4月には久留米つつじマーチもある事だ。
一度、まとまった距離を歩いてみて、状態を確認しておきたい。
と言う訳で、
今日は、山登りでもチャリ漕ぎでもなく、地味に街歩きである。
八女方面に当てどもなく歩きだす。
仕立屋甚五郎。
この場所は今まで、ころころと店が変わっているが、また新しい店舗に変わったようだ。
和服関係の店?
・・・何か違和感。
和服屋さんが手羽先を?
世界一おいしいと思われる高橋さんの手羽先って、あーた。
分かりにくいにも程があるぜ。
何はともあれ、成功を祈りたい。
以前、私が住んでいた場所から1kmほどの所に、『権現さん』と呼ばれる小高い丘がある。
小さい頃は、すぐ上の兄貴の後ろにくっついて、虫取りによく行ったものだ。
長じて中学生になると、
あんな悪事や、こんな悪さ、はたまたあんな事件や、あの恐怖の火・・・
・・・止める。
これ以上続けると、私と私の友人達の名誉が損なわれる恐れがあるからだ。
権現さんから更に1km程進む。
成田山。
成田山新勝寺の分院として、昭和33年建立されたとの由。
同じく兄貴と一緒に、少し足を延ばして、別の昆虫が捕りたい時に行く山だった。
宝石を散りばめたという噂の鳥居だの、巨大な観音像だの、謎の仏舎利塔だの、
全く持って・・・
これも止めておく。
毒しか吐きそうにないからだ。
浦山公園。
記憶が定かではないが、成田山に行くと、必ず兄貴が連れて行くところがあった。
そこは、ただの禿山であり、頂上に石棺が一つ置いてあった。
もしかしたら、ここがそうだったかもしれぬ。
兄貴は、石棺の前に立つと、
「(石棺を)拝まんと、祟りがあるとぞ。」
と私を必ず脅した。
その度に幼いヒロ君は、大慌てで小さい手を合わせたものだ。
禿山だった古墳は、鬱蒼とした森となっていて、遊歩道まで設けられている。
この場所が、私が幼い頃、手を合わせた場所だったかは、今となっては分からない。
兄貴は11年前に亡くなってしまい、確認のしようが無いからだ。
こうなったらついでだ。
今日は古墳巡りとしゃれこむか。
筑紫平野は、犬も歩けば古墳に当たる。
どうせもっと歩くつもりだったのだ。
石人山古墳まで行くかな。
Mapのナビゲーション通りに進む。
最短距離をナビゲートするもんだから、こんな裏道が盛りだくさんである。
始めて通る道には、様々な気付きがある。
時を忘れるほど面白く、あっという間に、
目的地到着である。
古墳は公園になっており、資料館も併設している。
大体、どの場所でもそうなるが、
前回ここに訪ねた折、私が興味があるのが分かるらしく、学芸員がべったりと付いて熱心に説明してくれた。
背後の小高い山が、墳墓である。
前方部から登って行く。
年代は5世紀前葉。
と言う事は、埋葬者の勢力とは・・・・
この件も書くのは止めておく。
とてつもなく長くなるからだ。
前方部と後円部のくびれのところに、多数の石人が埋まっていたとの事。
小屋が見える。
小屋の中には武装した石人が。
今も被葬者を守っているかのようだ。
石人の後ろに石室と石棺があった。
石人山古墳を降りて公園内を進むと、
弘化谷古墳がある。
年代は石人山古墳より1世紀ほど下る。
石室の様式が肥後様式とある。
この件は非常に興味深いが、勿論、ここでは触れない。
古墳頂上部から筑紫平野を望む。
では帰るとするか。
歩数3万歩。距離は22km程。
15km過ぎた辺りから、股関節に疼痛がでた。
まだまだ、本調子とは言えないかな。