私の股間に14本もの針を突き刺すと言う、悪魔でさえ目を背けるような惨劇から3週間程経った。
言っておくが、ただでさえ私の股間は、軟弱に出来ているのだ。
ハッキリ言って、自転車に乗るには致命的な痛手だ。
いやいや、
ここで負けてはなるまい。
勇気を出して、自転車に乗ろう。
恐る恐る漕ぎ出してみた。
キコキコキコ
ホッ
心配は杞憂だったようだ。
一番最初だけはチクリとする感覚があるにはあったが、なんとか大丈夫ようだ。
向かった先はここだ。
大善寺、弓頭(ゆがしら)神社。
祭神は景行天皇の皇子、国乳別(くにちわけ)皇子となっている。
水沼別(みぬまわけ)の祖で、代々武門の家柄であったようだ。
日本武尊は、現地司令官を務めた複数の皇子達の総称だが、もしかしたら、この国乳別皇子こそが、モデルであったかもしれない。
後の、神功皇后の新羅征伐の際は、水沼の君が弓大将であったため、この社名が付いたとの言い伝えあり。
果して、この水沼の君の祖である国乳別皇子と、後代の玉垂命との関係はどうなのだろうか?
非常に興味がわいてくる。
ここの宮司は、この社の由緒を熱く語る人だと聞いている。
一度お会いしてお聞きしてみたいものだ。
神社を一歩出ると、
通常より幅の狭いレールに乗せられた、小さな蒸気機関車が置かれている。
かつてこの場所に大川線という軽便鉄道が走っていたそうだ。
現在の西鉄大牟田線大善寺駅から分岐し、大川榎津まで走っていたらしい。
この大川線の他に、津福駅から縄手に走る上久留米線と言うのもあったようにかかれている。
いずれも、軍需産業でもあった日本ゴムや日華ゴムへ、工員を輸送するのが主たる目的であったようだ。
へーー!
知らなんだ。
その主たる目的を失った戦後、廃線となる。
蒸気機関車の他、ガソリンカーと呼ばれていた気動車も保有していたとの由。
久留米の工場で働く工員達と原料や資材などを満載し、黒煙を濛々と挙げながら、意気揚々と走る列車の雄姿が目に浮かぶ。
さて、今日はこのくらいで引き上げるか。
往復20km程度の軽めのロードだったが、
何となく・・・
股間は大丈夫だぜ。
イエーイ!