雁俣山を降り駐車場に着いた頃合いで、予報通り、小雨がパラついてきた。
計ったようなタイミングである。
時刻も丁度正午だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/c7/bc26660e894cfbbcb320254041e5a1b7.jpg)
車を止めさせて貰った東山本店で昼食にした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/62/a2cb1d59b16778fe00ff130d1e4356fc.jpg)
私が注文したのは、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/3f/204d6933f401d832d3a8d1a7ae14acc2.jpg)
「地鶏そばでーす。」
and
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/73/7b2b8382275738f21d5ac6915fd2eb46.jpg)
「山女魚の串焼き、お待たせしました。」
20cmを超える山女魚が目の前に。
では早速、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/3d/e148c046359a2812e01cb2b6525370e5.jpg)
ガブリ
うんめえ。
やっぱ山女魚は美味いね。
食事の後は五家荘へ。
さて、ここで問題である。
菅原道真は、傷心のうちに太宰府でその生涯を閉じた。
ここまでは誰しも知っている。
では、道真の子供らは、どうなっただろう?
数年前に五家荘に来るまでは、私はついぞ知らなかった。
読み辛いとは思うが、下の由来を読んでいただきたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/ca/29d10b2a82e84e607efdba3f948c9708.jpg)
藤原氏に追われて、遙々こんな山奥まで逃げ込んで来ていたのだ。
平家の落人がここに住み着く、実に300年も前の事である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/9f/24f13e9486ed4736e4765cef666bd506.jpg)
左座(菅原氏)二家と緒方(平氏)三家を合わせて五家。
五家荘の由来である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/f8/42495491019438c09f06943ca2cb8681.jpg)
そんな左座家の歴史を語ってくれるのは、無論、左座さんちの奥さん(向かって左)である。
早い話が、菅原道真公直系の子孫の奥方様なのだ。
世が世なら、ハハーっと土下座して拝謁すべき所である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/73/613dab0b47be61363b07461518e065b6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/7d/3187047925b91f8016eeb98ffc3ef7b1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/01/47ed7fae1ae1ca513226b3e2c75574b9.jpg)
入口が3つある。
ここは身分の高い者しか上がれなかった、一番格式が高い玄関。
菅原家の家紋である梅の文様が(写し忘れた)彫られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/be/8c18903272bb76ef55aa6e41e548fda9.jpg)
二階の隠し部屋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/aa/f02437532010226fe5bfebe7a7920869.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/b3/5d63e4a91e89007f2767be55039aa232.jpg)
江戸末期に書かれた古文書。
当時の左座家の当主が、子孫に向けて書き残したのだろう。
左座家代々の歴史が記されている。
移動。
国道沿いには、平家の落人である緒方家がある。
私は2年前に立ち寄っていて、スルーしたいところだが、
「私らは行ってなーい。」(ブーフーウー)
勿論、行きますとも!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/06/462cbbae75b5a560d0203ea5b98a237b.jpg)
緒方家。
平清盛の孫の清経は、公式には壇ノ浦で死んだ事になっている。
ところがどっこい、この家の伝承では、
長い逃避行の末、この地に辿り着き、緒方と名を変え住み着いた。
となっている。
真否はどうであれ、少なくとも、平家の貴人だった事は間違いなかろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/fa/8ba58b0875ceea9823d8f704679b75ae.jpg)
それにしてもである。
先住の左座家が、よく受け入れたものだ。
平穏な暮らしの中に、突然やって来たのは、いつ何時、追討の兵がやって来るか分からない平家の落人なのだ。
この地に密かに隠れ住んでいた左座家にとって、これほど迷惑千万な集団はなかったろうに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/28/28d90dd4890c5866a1e46a5f46873b48.jpg)
こちらも丁寧に説明してくれる。
「この家は築300年です。」(オジサン)
「ほほう。」(ブーフーウー)
(知っとる 私)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/5d/99ac25668863381aef70d32106fc3173.jpg)
「あれをご覧ください。屋根裏の黒い壁の裏は、隠し部屋になっとります。」(オジサン)
「ほほう。」(ブーフーウー)
(知っとる 私)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/03/cbd66bc6fde4e9c3cb3e5eb29db66969.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/ab/6f0f6e990216fd8c92c1ffea9acd2dab.jpg)
「これは生首を入れた棚と伝えられています。」(オジサン)
(え!それって、初めて聞いた)
「ほほう!」(一同)
ん?
ちょっと待てよ。
さっき、築300年って言ったやん。
この家が建った頃って、とうに、太平の世になっとらんか?
とは、
言ってないけどね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/f2/8635b536aa00b795ff574599c1900f07.jpg)
「裏に回れますバイ。赤マンサクが綺麗かですよ。」(オジサン)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/ef/a36bf06ba22658ca289e788124dad61b.jpg)
ほんとだ。
マンサクだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/43/0675f212e37154a72239432817a67529.jpg)
「そんじゃ、皆さん。そろそろ久留米に帰りますバイ。」
「ハーイ ( ̄∇ ̄*)ゞ 」