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イスラエル、エルサレムには、ユダヤ教、イスラム教にとっての聖地「神殿の丘」がある。かつて存在したエルサレム神殿の西側の外壁は今も現存しており、ユダヤ教徒にとっては最も神聖な場所とされている。
この壁は「嘆きの壁」あるいは「西の壁」と呼ばれている。
「嘆きの壁」付近の地下には、それに沿って不規則にネットワークを広げる通路「嘆きの壁のトンネル」が存在するが、イスラエル考古学庁などによる発掘調査で発見されたのは、その地下通路のこれまで知られていなかった部屋だ。
神殿の丘は、ユダヤ教にとっては最高の聖地だが、イスラム教では3番目に重要な聖地とされている。古代には2つのユダヤ教の神殿があった場所で、今日では「アル=アクサ・モスク」と「岩のドーム」がある。
また神殿の丘の西側外壁には、かつて存在したエルサレム神殿の外壁の一部が現存しており、「嘆きの壁」と呼ばれる。
昨年、この「嘆きの壁」から35メートル離れたところにある、東ローマ帝国時代にさかのぼる建物の大規模な発掘調査が開始された。
岩盤を削って作った小さな一連の部屋が発見されたのは、この記念碑的建造物の白いモザイクタイルが敷き詰められた床の下からだ。
New discoveries at the Western Wall Tunnels in honor of Jerusalem's day
東ローマ帝国の建物自体は1400年前のものだが、地下室に残されていた粘土のオイルランプや石灰石のカップはおよそ2000年前のものだ。したがってその時代には地下室が存在したと考えられるが、実際にいつ作られたのかまでははっきりしない。
地下室は、上下に連なる2部屋と中庭で構成されており、それらは階段で移動することができる。部屋の入り口には、蝶番とボルトの痕跡がはっきり残っており、当時扉があったことがうかがえるという。
また壁には、丸・三角・四角に削られた窪みがある。それらの1つは、オイルランプを置くための台で、さらに棚として使う長い空間も見つかっている。

地下室の用途は不明だが、こうしたことから生活のスペースや貯蔵庫として使われていたのではないかと推測されている。
別の可能性としては、エルサレムがローマに占領されていた時代、隠れ家として使われていたとも考えられるという。

70年、エルサレムはローマ軍によって包囲され陥落(エルサレム攻囲戦)。街はエルサレム神殿もろとも完全に破壊されてしまった。
それから10年後にローマ帝国が街を一から再建しているとはいえ、現存するこれ以前の建造物はきわめて少ない。ゆえに今回の発見は、ことさら貴重なものと言える。
もう1つ、この地下室のユニークな点は、大変な労力をかけて岩盤を削って作られていることだ。当時、建物は石材を積んで作るのが一般的だったらしく、墓を除けば、岩を削って作られた完全な部屋はかなり珍しいという。

研究者によれば、この場所の秘密を解き明かすには、さらに2、30年の発掘調査が必要だろうとのこと。現在の目標の1つは、発見された地下室とメインストリートがあった区画とをつなげることだという。
じつのところ地下室だけでなく、それを何世紀も守ってきた東ローマ帝国の建物自体が謎に包まれたままだそうだ。宗教施設なのか、民間施設なのかも分かっていない。ただ11世紀初頭に地震によって崩れてしまったことなら判明している。
発掘調査は今現在続けられており、さらに地下室が見つかる可能性もあるという。
References:jpost. / livescience /
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嘆きの壁に隠された地下室発見 / Pixabay
イスラエル、エルサレムには、ユダヤ教、イスラム教にとっての聖地「神殿の丘」がある。かつて存在したエルサレム神殿の西側の外壁は今も現存しており、ユダヤ教徒にとっては最も神聖な場所とされている。
この壁は「嘆きの壁」あるいは「西の壁」と呼ばれている。
「嘆きの壁」付近の地下には、それに沿って不規則にネットワークを広げる通路「嘆きの壁のトンネル」が存在するが、イスラエル考古学庁などによる発掘調査で発見されたのは、その地下通路のこれまで知られていなかった部屋だ。
嘆きの壁付近で地下室が発見される
神殿の丘は、ユダヤ教にとっては最高の聖地だが、イスラム教では3番目に重要な聖地とされている。古代には2つのユダヤ教の神殿があった場所で、今日では「アル=アクサ・モスク」と「岩のドーム」がある。
また神殿の丘の西側外壁には、かつて存在したエルサレム神殿の外壁の一部が現存しており、「嘆きの壁」と呼ばれる。
昨年、この「嘆きの壁」から35メートル離れたところにある、東ローマ帝国時代にさかのぼる建物の大規模な発掘調査が開始された。
岩盤を削って作った小さな一連の部屋が発見されたのは、この記念碑的建造物の白いモザイクタイルが敷き詰められた床の下からだ。
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居住空間か? それとも秘密の隠れ家か?
東ローマ帝国の建物自体は1400年前のものだが、地下室に残されていた粘土のオイルランプや石灰石のカップはおよそ2000年前のものだ。したがってその時代には地下室が存在したと考えられるが、実際にいつ作られたのかまでははっきりしない。
地下室は、上下に連なる2部屋と中庭で構成されており、それらは階段で移動することができる。部屋の入り口には、蝶番とボルトの痕跡がはっきり残っており、当時扉があったことがうかがえるという。
また壁には、丸・三角・四角に削られた窪みがある。それらの1つは、オイルランプを置くための台で、さらに棚として使う長い空間も見つかっている。

発見されたオイルランプ。 Shai Halevi/IAA
地下室の用途は不明だが、こうしたことから生活のスペースや貯蔵庫として使われていたのではないかと推測されている。
別の可能性としては、エルサレムがローマに占領されていた時代、隠れ家として使われていたとも考えられるという。

Shai Halevi/IAA
当時の姿のまま現存する貴重な資料
70年、エルサレムはローマ軍によって包囲され陥落(エルサレム攻囲戦)。街はエルサレム神殿もろとも完全に破壊されてしまった。
それから10年後にローマ帝国が街を一から再建しているとはいえ、現存するこれ以前の建造物はきわめて少ない。ゆえに今回の発見は、ことさら貴重なものと言える。
もう1つ、この地下室のユニークな点は、大変な労力をかけて岩盤を削って作られていることだ。当時、建物は石材を積んで作るのが一般的だったらしく、墓を除けば、岩を削って作られた完全な部屋はかなり珍しいという。

嘆きの壁のそばで発見された2000年前の地下室。Shai Halevi/IAA
まだまだ謎だらけの聖地
研究者によれば、この場所の秘密を解き明かすには、さらに2、30年の発掘調査が必要だろうとのこと。現在の目標の1つは、発見された地下室とメインストリートがあった区画とをつなげることだという。
じつのところ地下室だけでなく、それを何世紀も守ってきた東ローマ帝国の建物自体が謎に包まれたままだそうだ。宗教施設なのか、民間施設なのかも分かっていない。ただ11世紀初頭に地震によって崩れてしまったことなら判明している。
発掘調査は今現在続けられており、さらに地下室が見つかる可能性もあるという。
References:jpost. / livescience /
☆スゲーなここ!
雇用大崩壊、大失業時代の前に手軽に始めてみませんか?
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