この世(量子物理学的な視点)について
キーワード 量子力学 量子重力理論
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近代100年間の天文学で指摘されていることは、
・ 以前は星が無かった場所に、新しい星が発見されることが多い。
・ これは機械的な性能の進化とは関係が無いレベルの問題であること。
・ つまり、観測者が増えることで、人間が凝視することで、量子力学により星が増えている可能性。
この可能性を真面目に、不可思議に思っている学者たちがいます。
つまり、人間は、生きている今も、
・ 興味をもって見ることで、新規を生み出す力を、天から授かっている可能性。
・ 特に、多数が1つの現象を見ることで、粒子の動きが変わり、見る対象のデータが変化する物理現象が量子力学。
昔の人が言った真理、
・ 天災は忘れた頃にやって来る。
・ だから、忘れなければ来ない。
実はこれが真実である可能性が、米国で放送された番組に有りました。
米国は、墜落したUFOと、生き残った宇宙人から、様々なフィードバック技術・「リバースエンジニアリング」(逆行工学)を得た中で、
・ ビッグデータを利用して(世界中での検索内容・通信内容から)
・ 近い未来を正確に視るシステム。
を得ている指摘がされていました。
(中略)
その番組を見た私の解釈では、
・ 人類が、事前に気付ければ、未来閲覧システムで把握された未来は変更される。
・ 事前に指摘することで、ほぼ決まっていた出来事は、変更される。
・ 宇宙人は、事前の気付き、を重視している。
このように理解をします。
そして、未来の変更が起こる原理法則が、量子力学なのです。
何事も、懸念点を事前に知ることで、量子力学で最悪は起こりません。予想は必ず外れてくれます。
(りょうしりきがく: 多数が1つの現象を気にすることで、粒子の動きが変わり、検査結果のデータが変わる物理現象)
これが、記事で分析する理由です。
状況を変えるために、記事に書いています。
今日に思い出す言葉は、
「清濁併せ呑む」(せいだく あわせのむ)ということです。
善も悪も両方を持つ人物、という意味で使うのは誤りであり、
大海が清流も濁流も分け隔てなく受け入れることから、心の広い人のことです。
霊的には、「清」だけを追い求めても、進化はしません。
ただの神経質な潔癖症になる落とし穴と、無理な我慢に苦しみ停止します。
嫌な相手も、話も、現実には在ることを認めます。
でも、それに同調は決してしません。
善も悪もしっかりと見た上で、すべてを愛情の視点で見られることが大切です。
仕方がないことが、多々在るものです。
でも、それをナントカ、愛情の気持ちを持って、目を離しません。
すべてを冷静に愛情を持って、見続けて行くことが、量子力学となり社会を陰から支えます。
コノ世は、量子力学で出現しているという学説が有ります。
何も無い、無の状態の宇宙から、どうして地球のような天体が存在するのか?
もし自然発生するならば、地球の周囲にも同じような天体がごろごろと有っても良いわけです。
無の宇宙に、大いなる存在からの思いの力(量子力学)が働いて、地球も私達も出現しています。
神様が、「ここに在れ」と思われたのです。
今を良心に沿って、出来ることを最大にして行くことで、この連続が、
・ どんな過去も、上書き修正し。
・ 白紙の明日を固めて行きますing。
つまり、未来は創ることが可能なのです。
これは、物理学者アインシュタインも発言していることです。
・ 人が想像できたことは、それは宇宙のどこかに必ず存在している。
・ 人類が、何を想像するかで、未来は変わって行く。
・ 空想と想像が、人生を変えて行く。
これが近年の量子力学で証明されつつ有ります。
悪いパターンも事前に想像して、それへの努力によって潰して行き、
他人のためにも成る良いことを想像・創造して行くことが、人には可能です。
自分の残りの人生も、創造して行くことが可能です。
これには地道な今日の努力と、そこに良心が在ることが、大切なのです。
量子は観察される前は、波の状態であり、ゆらぎの状態であり、これからの「動き」が白紙状態です。
でも見られること、観察されること、注意して見られることで、ゆらぎの状態の量子が粒という結晶化を始めます。
でも、見るだけ、観察するだけでは、その量子の結晶化(現実化)は弱いのです。
立ち消えに成るのが大半だと感じます。
そこで、
見るだけ、注意するだけでは無くて、
・ ソレに関する「行動」をすること。
これは、婚活、就活、受験、何にでも言えることです。
見ること、注意すること、に加えて更に物理的な行動をすることが重要なわけです。
行動とは、エネルギーが加わることでもあるから、具体的に、
ゆらぎの状態から、粒子になり、更に結晶化して、現実化、希望が実現化します。
(中略)
ここで更に私が感じますことは、
・ 見ているだけでは無くて、行動を加えることが大事。
というセオリーの次に、他の多くのスピリチュアリストと意見が決定的に違うことが有ります。
それは、最悪想定の必要性の有無です。
私は思いを結晶化させる場合、
・ 希望を叶えたり、最善な結晶化へと導くためには、
・ 最悪のパターンや、注意点を、事前に注意して意識したほうが、結晶化の結果が良い。
・ 善だけを見ずに、悪も見た上で、結晶化させたほうが、「継続性の有る」バランスが取られた希望に叶う。
こういうことを私は主張します。
(中略)
これからは、何となく揺らいでいるままの希望を、結晶化させやすい時代の波動が来ています。
自分の良心に従う限りは、大丈夫です。
自分なりに、思いっ切り生きましょう。
アノ世では、時間の流れが消えます。
過去も、現在も、未来も、同時に存在することに成ります。
これがコノ世でも同じなのです。見えないだけで、過去の自分もアノ時に生きたままです。
・ 過去の苦しかった時の自分を励ましたり、過去の自分に感謝することによって、
・ 今の自分の心身が、改善することは起こる。
これは私の相談者の変化から、経験済みのことです。
(中略)
これから、未来も、現在も、過去も、同時に並行して存在するということが、
量子力学に更に「時間の要素」を取り入れた量子重力理論が進歩することによって、
証明されると予告して置きます。
(中略)
これから時間という観念への変化が、科学から起こり始めることでしょう。
今日の言いたかったことは、
・ 今がどんなに悪くても、
・ その今の環境の中でも、
・ 自分が、生かされていることに感謝する人。
これが出来る人は、大丈夫です。未来も。
更には、今の環境の中でも、満足と感謝が出来るように努力して見ること。
その結果は別として、
この努力をした自分は残りますから、未来の自分を変えることでしょう。
最近の科学では、量子力学に更に「時間の要素」を取り入れた、量子重力理論が注目されています。
すべての理論を統一する可能性が有るのが、量子重力理論とされています。
すると分かって来たことは、
・ 私達が居る空間には、時間の流れが「未来に流れる向き」と「過去に流れる向き」の2つが同時に重なって存在している。
・ 人間は、過去か未来か、どちらかを「注目」して無意識に「選択する」ことで、その人にとっての時間の流れ(運命)が変わる可能性が有る。
このような可能性を量子重力理論は示唆しています。
私は多くの人の相談を聞いて来まして、これが非常によく腑に落ちるのです。
(中略)
釈尊は、2500年も前の古代に、これへの答えを出しています。
・ 過去も未来も見ずに、今を正しく見ることが最善。
・ すべての因果の集積は、今に出ている。
・ 過去にも未来にも偏らず、中道の視点を持つこと。
このような示唆をしています。
更に量子重力理論が提示することには、
・ 同じ空間に、時間の流れが「未来に流れる向き」と「過去に流れる向き」の2つが同時に存在しているために、
「時間の逆転現象」が、十分に起こり得る。または、起こっている。
というものが有ります。
これも因果の視点では、よく発生していることです。
・ 過去生の親が、今生は自分の子供として、一緒に暮らしている。
これが、多くの人に観られることを私は感じています。
(中略)
段々と最新科学が、輪廻転生(生まれ変わり)や、運命の真相に迫り始めています。
この先に、先祖(遺伝子の集合体)への感謝が、今の自分を良く生かすことになる現象も、
量子重力理論の「時間の逆転現象」から証明されることでしょう。
量子力学では、
・ 人間が観測することによって、光の粒子の状態が決まります。
(粒子の状態が定まることを「波動関数が収束する」と言います)
ここで面白いのは、窓の格子に光を当てて、壁に縞模様を出現させた場合、
・ 科学知識の有る人が見ている縞模様と、
・ 知識の無い一般人が、格子を通して現れる縞模様を初めて見た場合では、
・ まったく同じ条件の実験であるのに、見る人によって、その時に測定される光の粒子の状態が異なる。
・ その現れた縞模様を各人に描写させた場合、その形も実際に微妙に違う。
観測する人によって、異なる粒子の状態に成る不思議。
同じ形象を見ているのに、観測する人により縞模様の形が変わる不思議。
(中略)
コノ世は、
・ 間違った先入観や、
・ 「悪い」思い込み、
・ 正しく知らないこと(正知:せいち。釈尊が仰った、正しく物事を知らないと悟ることは無理)、
などなどが、自分の不幸を出現させている可能性について気付いて頂ければ幸いです。
自分が正しい視点を持てれば、今見えている世界も正しく理解が出来ることでしょう。
自分に植え付けられた、様々な経験から来る先入観から「目覚め」れば、
不幸や不運の悪循環から解放されて、人生が変わる可能性が誰にも有るということを、量子力学の実験が示しているわけです。
見る人の知識量によって、現れる縞模様が変わることを、量子力学が証明した。
これは、人が正しい知識を持てれば、これから出現する自分の未来も変わるということを、今日は言いたかったのです。
科学雑誌などで定期的に取り上げられる話題に、
・「シミュレーション仮説」(我々はシミュレーション・創られた実験場の中で生きている、とする見解)
というものが有ります。
(中略)
「そんなバカな」と言われながらも、科学者の間では科学が進むほどに定期的に「シミュレーション仮説」というものが浮上します。
その理由の1つには、
・ 自然界を見ても、人間の肉体を見ても、計算では有り得ない「回復力」が起こること。
・ 人工的な実験では、「修正力」「回復力」は再現が出来ない。
・ それは、コノ世がシミュレーション・仮想実験の世界でなければ、辻褄が合わない。
更には、量子力学(多数が1つの現象を気にすることで、粒子の動きが変わり、検査結果のデータが変わる物理現象)
の解明が進むほどに、
・ 量子力学が成り立つこと自体が = シミュレーション世界を創っているプログラミングに触れている証拠。
このようなことが言えることを私は感じます。
・ 観察者=神様
・ 私達=観察されている
この関係が存在する可能性を、忘れないでおいてください。
ただ、霊的な真実では、
・ 観察者と、観察される者が存在する間は、このシミュレーションの世界は終わらずに、いつまでもこのままなのです。
霊的な真実では、観察者と観察される者は、同じ1つの存在だった。
これが釈尊が仰った、「天上天下唯我独尊」の意味です。
般若心経の作者である鳩摩羅什に、最も影響を与えた人物が龍樹です。
釈尊が残された予言の中に、
・「あのね、私が死んだ後に、南インドに龍樹菩薩という者が生まれてね、
凄いことを説明するから、待っててね」
というものがあります。
そして釈尊の死後、700年ほど経過してから本当に南インドに誕生した不思議な天才児だった龍樹は、釈尊の残された因果論を読んだ時に激しく感動して、
・ 釈尊という人は、完璧だ。これこそ宇宙のすべてを表現している。
・ でもな、説明不足の点がある。
・ それはな、「空」について、釈尊はわざと説明不足にしたままだ。私が言ってしまおう。
そして、龍樹が説明したことは、最新物理学の量子力学と同じことでした。
・ 見ることでデータが変化する。
・ 見ることで、生まれたように見えるだけ。
・ 真実は、途中の姿を見ているだけで、存在はしていない。
・ 途中の姿だけが出現するのが宇宙。
・ その実体は無い。だから、すべては空なんだ。
・ あなたは、存在していない。
・ 私が見ている最中だけ、途中の姿が見えるような気がするだけ。
・ だから、コノ世の喜怒哀楽で心配するな!
このようなことを龍樹は説明し、途中で歴史から消えます。
量子の実験より、
No.1 「量子(コノ世)は実在しなかったが、人間に観測された時に初めて出現する」
↓
No.2 「人間も誰かに観測されていないと、注目されていないと、うまく育たない」
という2つ目の展開No.2が分かりました。この次に、
「観測するモノと、観測されるモノ」
「見ているモノと、見られて誕生したモノ」
という2つの間の関係性とは何か?が重要に成ってきます。
ここで忘れてはいけないことは、No.1の量子実験において、研究者が観測することにより新規で「そこに」誕生した量子とは、その研究者から生まれた量子だということです。
違う研究者が観測した時には、また違う量子が観測されることでしょう。
ここに大いなるヒントが在ると感じます。つまり、
「見ているモノ=見られて誕生したモノ」
さらには、
「あなたが見ているすべてのモノは、見ているアナタ自身に依存している」
見ているアナタなしでは、見られているその対象は存在しない。
と展開されることを感得します。
つまり、「あなたが子供を見ている間は、子供にはアナタ自身が投影されている訳です」
あなたは、量子的には「自分の子供に対して自分自身を見ており」、そして怒ったり・泣いたり・喜んだりしていることを知っておきましょう。
量子的には、自分の子供を叱る時は、自分自身に怒っていることに霊的(量子的)には成るのです。
「量子(コノ世)は、人間に観測されるまで存在していなかった。無だった」
「量子(コノ世)は実在しなかったが、人間に観測された時に初めて出現する」
。。。。。これはつまり、
「人間も誰かに観測されていないと、注目されていないと、うまく育たない」
という性質を根底に持つことを感じます。
(中略)
だから安心して、自分自身に内在するもの(内在神・先祖DNA)に注目して、静観して、「それ」を育てましょう。
自分が育てたものは、自分自身を助けてくれるのです。
これは霊的な世界観から観ましても、完全に言えることだと感得します。
これからも、社会を、世界を注目して行きましょう。人間が注目することは、無難に成って行くからです。
オーストラリアの科学者が非常に興味深い実験に成功したようです。
「量子(コノ世)は、正常にそれが測定されるまで、現実には存在していなかった」
ということです。
量子のレベルでは、あなたが「それ」を見ていない場合、「それは」現実に存在しないという証明です。
(中略)
これはつまり、
「人間が測定するまでの量子の実験では、実際には量子が実験直前まで存在していなかったことが証明される」
↓
「量子(コノ世)は、人間に観測されるまで存在していなかった。無だった」
↓
「量子(コノ世)は実在しなかったが、人間に観測された時に初めて出現する」
↓
「観測者=人間は神の性質を持つ存在だった」
実は、これと同じことを今から約150年前にロシアで生まれた神秘家グルジェフも発言しています。
「人生は“私が存在して”こそ初めて真実となり出現する 」
私が感じる宇宙は、「白紙状態」という膨大なエネルギーの磁場1つが存在しています。
この「白紙状態」を垣間見た精神世界の人々が、これを「無」と表現しているようですが、それは正確では無いです。
いかようにも観測者=人間により変容する、膨大なエネルギーの「白紙状態」が実在するのが宇宙の正体だと感得します。