長い視点では、マイペースが一番に効率が良く物事を達成することができます
私の大和ごころを志しての旅は「ミロク文明」ミロクの世を地の上に現す方向性。
・老子「道徳経と伊勢白山道」 道経
第二十四章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi03.html
・原文 「書き下し文
跂者不立、跨者不行。「 跂(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。
自見者不明、自是者不彰。「 自ら見(あら)わす者は明らかならず、自ら是(よし)とする者は彰(あら)われず。
自伐者無功、自矜者不長。「 自ら伐(ほこ)る者は功なく、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。
其於道也、曰餘食贅行。「 その道に於(お)けるや、余食贅行(よしぜいこう)と曰(い)う。
物或惡之。故有道者不處。「物或いはこれを悪(にく)む、故に有道の者は処(お)らず。
現代語訳
背伸びをしようとつま先立ちをしている者は長く立っていられない。早く歩こうと大股で歩く者は長く歩いていられない。
自分が目立とうとする者は誰からも注目されないし、自分の意見を押し付ける様な者は人から認められない。
自分の功績を自慢する様な者は人から称えられないし、この様な者は長続きしない。
こういう人間の行為を「道」の観点から言うと「余計な食べ物、余計な振る舞い」と言うのである。
誰もがお腹一杯食べた後にさらに食べたいと思わない様に、「道」を知った人間はそんな事はしないものだ。
英訳文
You can not continue standing on tiptoe or striding for a long time. People do not pay attention to a person who tries to attract them. People do not agree with a person who justifies himself. People do not praise a person who boasts of himself. An arrogant person can not last a long time. These behaviors are called "excess food and behaviors" from viewpoint of "the way". People do not want to eat after getting full. So a person who knows "the way" never conducts such a waste.
*他人を意識するから無理な姿勢をしてしまう 2012-10-15 老子の言葉
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121015
老子の言葉 第二十四章
(独自の超訳)
つま先で立つ者は長い時間は立てず、大股で歩く者は遠くまでは歩けません。
自己弁護する者は他人から認めてはもらえませんし、
自画自賛する者は他人から評価されることがありません。
自慢する人間ほど本当は功績を持ってはおらず、どこに居ても長続きはしません。
これらの人間の不要な行為を真理(道)の視点から表現しますと、
「余計な食べ物」「行き過ぎた行為」だと言います。
このような行為をどんな者でも嫌悪しますから、良心(道)を持って生活する人間にはそのような人は一人もいません。
原文
「跂者不立、跨者不行。自見者不明、自是者不彰。自伐者無功、自矜者不長。
其於道也、曰餘食贅行。物或惡之。故有道者不處。」
(感想)
要するに、「無理をしても長続きしない」ということです。
長い視点では、マイペースが一番に効率が良く物事を達成することができます。
無理をして進学校に入学出来たのは良いが、中に入って見れば付いては行けず、ノイローゼになり退学してしまう。
もし、上から2番目の高校に余裕で入学していれば、どんな人生だったのでしょうか?好きな運動に励んで勉強し、大学にも進んだかも知れません。
同級生(他人や親)を意識して高校を選んだのでしょうか?自分の意志は有ったのでしょうか?
無理をして大金持ちで美男の男性と結婚する。
結婚後は絶えず旦那の浮気を心配し、旦那の家族からの厳しい視線にもさらされる。
果たして、これが幸福なのでしょうか?30年後の奥さんは、どんな顔をしているのでしょうか。
「お金持ち=幸福」というのは、社会・他者を見て“思い込んだ”のでしょうか?
このようなことは、世の中には色んな面で存在します。
人生は100m競走ではなく、マラソンです。
100m競走の成績(コノ世的な短い栄華)が良くても、30km以降(人生の後半)にリタイアしていてはゴール出来ないのです。
しかし多くの人間は、100m競走の速さで走る他人を見て焦ります。自分の遅さを見て心配しています。
結果的には、マイペースの人間が一番遠方までたどり着くものなのです。
老子の原文では、
(1) 自分が目立とうとする者は、誰からも注目されない。
(2) 自分の意見を押し付ける様な者は、他人から認められない。
(3) 自分の功績を自慢する様な者は他人から称えられないし、この様な者は長続きしない。
(4) 人間は、お腹一杯食べた後に、さらに食べたいとは思わないものだ。
だから「余計な食べ物、行き過ぎた行為」のような事をせずに、マイペースで自分の道を行きなさい。
と、老子は言っています。
ただ、マイペースの注意点は、自分にとって少しでも嫌なこと辛いことがありますと、自分のマイペースでは無いから止めてしまうと言うのはダメなのです。これでは自分が成長しませんし、生活も良く成りません。
老子が、他人にアピールするような「他人を意識した生活」をせずに、自分を見詰めて生きなさいと言っているように響いて来ます。
つま先で歩くのも、大股で歩くのも、他人を意識しているから行う無理な姿勢です。
他人を意識していなければ、人は自然な姿勢で歩くものなのです。
人間は、他人への挑戦では無く、自分へのチャレンジをして行くことが短い人生において大切です。
そして、自分が歩いた跡が道となり、その道が続く方向(流れ・未来)が自分自身を最善の幸福へと導きます。
その道を歩き切れば、自分にとっての王道と成ります。
この章は、老子が最も嫌いなタイプの人間の説明でもあります。
原文では、このようなタイプの人間のことを老子は、人間ではなくて「物」のレベルだと嫌悪しているのを感じます。
二千五百年も前の社会も、現代と同じような自慢・スタンドプレー・他人との競争に染まっていたようです。
自分自身を見詰める生活をしていれば、上記のような行為をしません。
今日も、「他人を見ずに」自分自身を見詰めて歩いて行きましょう。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
* コノ世で生きる注意点と、成功する秘密 2017-11-29老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20171129
参考記事:老子の言葉 第二十四章「他人を意識するから無理な姿勢をしてしまう」
「 老子の人生論」第二十四章
無理に背伸びをする人は、その場に長く居ることは出来ません。
嫌な事を、飛ばして行く者は、どこにも辿り着くことがありません。
自分を良く見せようとする者は、誰にも見てもらえません。
自分のことを良いように聞かせる人は、誰にも意見を聞いてもらえません。
自分の意見を押し通す人は、その意見が叶うことは逆に無くなります。
自画自賛する人は、他人から良い評価をされることが逆に無くなります。
以上のようなことを真理(道)の視点で言いますと、
「どんな贅沢も、食べ過ぎれば、要らないモノに成る」
このように表現します。
コノ世のモノ(幸運・金運・地位・安心感・・・・)は、「余計な事」を嫌って避けて行きますから、
正しい道を行く人は上記のようなことを避けます。
(感想)
コノ世でより良く生きる方法。
生きて行く上での注意点。
何かを成す為の、本当の近道。
このような秘密が開示されています。
・ 「嫌な事を、飛ばして行く者は、どこにも辿り着くことがありません。」
仕事でも、勉強でも、嫌なことを避けている間は、自分が得をしたようなつもりでいましても、
「何も成すことが出来ない」
「前に向けて飛び越えたつもりが、実は後ろ向きに飛んでいただけ」
このようなことが有るものです。
・ 「どんな贅沢も、食べ過ぎれば見るのも嫌に成るのが人間」
結婚しましたのに、伴侶には目も行かず、タレントの追っかけをしたり、他の異性ばかりに目が行く人が多いものです。
でも現実に、すべての異性との関係が叶えば、その人はどうするでしょうか?
他の異性との関係が「つまらなく感じ」、元の伴侶に戻るものです。
そういう他に目が行く贅沢が出来るのも、あれほど嫌だった伴侶が居てくれるからこその、幻想だったことが分かるものです。
・ 人間は、不足感、飢餓状態、が有ってこそ、良い夢・幻想を見るものです。
今の自分は、何も叶わない、無いモノばかりだと思う人は多いです。
でも、だからこそ、良い夢、希望、必死感、生きる活力が出る、という側面が人類に有ります。
・ コノ世のモノ(幸運・金運・地位・安心感・・・・)は、「余計な事」を嫌って避けて行く。
ここに、コノ世での成功・幸福・裕福に成る秘密が在ります。
もし、老子のこの言葉が真実ならば、
・ 余るほど金銭を持つ人は、余計な金を持つのに裕福が継続するのは変だ?
と思われるかも知れません。
でも真の金持ち、何代も続く金持ちほど、自分に財産が有るとは思っていません。
「自分は預かっているだけ」と謙虚な人が多いです。
子供を持つ人も、
「自分は、大切な子供を天から預かっているだけ。自分のモノでは無い」
このように思える親の子供は、良い方向に成長します。
恋人や伴侶も、「自分の持ち物では無い」。
このように思える人は、その相手との良い関係が継続します。
この項のような視点を、参考にして頂ければ幸いです。
現代社会に生きる人間にも、十分に言える内容ばかりでした。
生かして頂いて 有り難う御座います
・老子の人生論 伊勢ー白山道 記事一覧
*伊勢白山道 老子の言葉 記事一覧
*「柔訳 老子の言葉」が完成しました 2013-04-03 伊勢白山道
*伊勢白ペディア「老子(言葉)について」収録内容 記事一覧
*「老子の言葉 写真集 上・下巻」 2013-11-22 伊勢白山道
*老子「道徳経と伊勢白山道」道経「 1章~37章」記事一覧
*老子「道徳経と伊勢白山道」徳経「81章~38章」記事一覧
始め老子プロフィール ≪「第一章」道経 ≫「第八十一章」徳経
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第二十四章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi03.html
・原文 「書き下し文
跂者不立、跨者不行。「 跂(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。
自見者不明、自是者不彰。「 自ら見(あら)わす者は明らかならず、自ら是(よし)とする者は彰(あら)われず。
自伐者無功、自矜者不長。「 自ら伐(ほこ)る者は功なく、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。
其於道也、曰餘食贅行。「 その道に於(お)けるや、余食贅行(よしぜいこう)と曰(い)う。
物或惡之。故有道者不處。「物或いはこれを悪(にく)む、故に有道の者は処(お)らず。
現代語訳
背伸びをしようとつま先立ちをしている者は長く立っていられない。早く歩こうと大股で歩く者は長く歩いていられない。
自分が目立とうとする者は誰からも注目されないし、自分の意見を押し付ける様な者は人から認められない。
自分の功績を自慢する様な者は人から称えられないし、この様な者は長続きしない。
こういう人間の行為を「道」の観点から言うと「余計な食べ物、余計な振る舞い」と言うのである。
誰もがお腹一杯食べた後にさらに食べたいと思わない様に、「道」を知った人間はそんな事はしないものだ。
英訳文
You can not continue standing on tiptoe or striding for a long time. People do not pay attention to a person who tries to attract them. People do not agree with a person who justifies himself. People do not praise a person who boasts of himself. An arrogant person can not last a long time. These behaviors are called "excess food and behaviors" from viewpoint of "the way". People do not want to eat after getting full. So a person who knows "the way" never conducts such a waste.
*他人を意識するから無理な姿勢をしてしまう 2012-10-15 老子の言葉
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121015
老子の言葉 第二十四章
(独自の超訳)
つま先で立つ者は長い時間は立てず、大股で歩く者は遠くまでは歩けません。
自己弁護する者は他人から認めてはもらえませんし、
自画自賛する者は他人から評価されることがありません。
自慢する人間ほど本当は功績を持ってはおらず、どこに居ても長続きはしません。
これらの人間の不要な行為を真理(道)の視点から表現しますと、
「余計な食べ物」「行き過ぎた行為」だと言います。
このような行為をどんな者でも嫌悪しますから、良心(道)を持って生活する人間にはそのような人は一人もいません。
原文
「跂者不立、跨者不行。自見者不明、自是者不彰。自伐者無功、自矜者不長。
其於道也、曰餘食贅行。物或惡之。故有道者不處。」
(感想)
要するに、「無理をしても長続きしない」ということです。
長い視点では、マイペースが一番に効率が良く物事を達成することができます。
無理をして進学校に入学出来たのは良いが、中に入って見れば付いては行けず、ノイローゼになり退学してしまう。
もし、上から2番目の高校に余裕で入学していれば、どんな人生だったのでしょうか?好きな運動に励んで勉強し、大学にも進んだかも知れません。
同級生(他人や親)を意識して高校を選んだのでしょうか?自分の意志は有ったのでしょうか?
無理をして大金持ちで美男の男性と結婚する。
結婚後は絶えず旦那の浮気を心配し、旦那の家族からの厳しい視線にもさらされる。
果たして、これが幸福なのでしょうか?30年後の奥さんは、どんな顔をしているのでしょうか。
「お金持ち=幸福」というのは、社会・他者を見て“思い込んだ”のでしょうか?
このようなことは、世の中には色んな面で存在します。
人生は100m競走ではなく、マラソンです。
100m競走の成績(コノ世的な短い栄華)が良くても、30km以降(人生の後半)にリタイアしていてはゴール出来ないのです。
しかし多くの人間は、100m競走の速さで走る他人を見て焦ります。自分の遅さを見て心配しています。
結果的には、マイペースの人間が一番遠方までたどり着くものなのです。
老子の原文では、
(1) 自分が目立とうとする者は、誰からも注目されない。
(2) 自分の意見を押し付ける様な者は、他人から認められない。
(3) 自分の功績を自慢する様な者は他人から称えられないし、この様な者は長続きしない。
(4) 人間は、お腹一杯食べた後に、さらに食べたいとは思わないものだ。
だから「余計な食べ物、行き過ぎた行為」のような事をせずに、マイペースで自分の道を行きなさい。
と、老子は言っています。
ただ、マイペースの注意点は、自分にとって少しでも嫌なこと辛いことがありますと、自分のマイペースでは無いから止めてしまうと言うのはダメなのです。これでは自分が成長しませんし、生活も良く成りません。
老子が、他人にアピールするような「他人を意識した生活」をせずに、自分を見詰めて生きなさいと言っているように響いて来ます。
つま先で歩くのも、大股で歩くのも、他人を意識しているから行う無理な姿勢です。
他人を意識していなければ、人は自然な姿勢で歩くものなのです。
人間は、他人への挑戦では無く、自分へのチャレンジをして行くことが短い人生において大切です。
そして、自分が歩いた跡が道となり、その道が続く方向(流れ・未来)が自分自身を最善の幸福へと導きます。
その道を歩き切れば、自分にとっての王道と成ります。
この章は、老子が最も嫌いなタイプの人間の説明でもあります。
原文では、このようなタイプの人間のことを老子は、人間ではなくて「物」のレベルだと嫌悪しているのを感じます。
二千五百年も前の社会も、現代と同じような自慢・スタンドプレー・他人との競争に染まっていたようです。
自分自身を見詰める生活をしていれば、上記のような行為をしません。
今日も、「他人を見ずに」自分自身を見詰めて歩いて行きましょう。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
* コノ世で生きる注意点と、成功する秘密 2017-11-29老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20171129
参考記事:老子の言葉 第二十四章「他人を意識するから無理な姿勢をしてしまう」
「 老子の人生論」第二十四章
無理に背伸びをする人は、その場に長く居ることは出来ません。
嫌な事を、飛ばして行く者は、どこにも辿り着くことがありません。
自分を良く見せようとする者は、誰にも見てもらえません。
自分のことを良いように聞かせる人は、誰にも意見を聞いてもらえません。
自分の意見を押し通す人は、その意見が叶うことは逆に無くなります。
自画自賛する人は、他人から良い評価をされることが逆に無くなります。
以上のようなことを真理(道)の視点で言いますと、
「どんな贅沢も、食べ過ぎれば、要らないモノに成る」
このように表現します。
コノ世のモノ(幸運・金運・地位・安心感・・・・)は、「余計な事」を嫌って避けて行きますから、
正しい道を行く人は上記のようなことを避けます。
(感想)
コノ世でより良く生きる方法。
生きて行く上での注意点。
何かを成す為の、本当の近道。
このような秘密が開示されています。
・ 「嫌な事を、飛ばして行く者は、どこにも辿り着くことがありません。」
仕事でも、勉強でも、嫌なことを避けている間は、自分が得をしたようなつもりでいましても、
「何も成すことが出来ない」
「前に向けて飛び越えたつもりが、実は後ろ向きに飛んでいただけ」
このようなことが有るものです。
・ 「どんな贅沢も、食べ過ぎれば見るのも嫌に成るのが人間」
結婚しましたのに、伴侶には目も行かず、タレントの追っかけをしたり、他の異性ばかりに目が行く人が多いものです。
でも現実に、すべての異性との関係が叶えば、その人はどうするでしょうか?
他の異性との関係が「つまらなく感じ」、元の伴侶に戻るものです。
そういう他に目が行く贅沢が出来るのも、あれほど嫌だった伴侶が居てくれるからこその、幻想だったことが分かるものです。
・ 人間は、不足感、飢餓状態、が有ってこそ、良い夢・幻想を見るものです。
今の自分は、何も叶わない、無いモノばかりだと思う人は多いです。
でも、だからこそ、良い夢、希望、必死感、生きる活力が出る、という側面が人類に有ります。
・ コノ世のモノ(幸運・金運・地位・安心感・・・・)は、「余計な事」を嫌って避けて行く。
ここに、コノ世での成功・幸福・裕福に成る秘密が在ります。
もし、老子のこの言葉が真実ならば、
・ 余るほど金銭を持つ人は、余計な金を持つのに裕福が継続するのは変だ?
と思われるかも知れません。
でも真の金持ち、何代も続く金持ちほど、自分に財産が有るとは思っていません。
「自分は預かっているだけ」と謙虚な人が多いです。
子供を持つ人も、
「自分は、大切な子供を天から預かっているだけ。自分のモノでは無い」
このように思える親の子供は、良い方向に成長します。
恋人や伴侶も、「自分の持ち物では無い」。
このように思える人は、その相手との良い関係が継続します。
この項のような視点を、参考にして頂ければ幸いです。
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