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老子の霊訓10~立ち止まり心の大自然の湖を見渡せ

2013-04-21 15:06:50 | 老子の霊訓
本来の心、心の王国を築かしてくれるようなそういった、精神主義、精神運動の中に自分を没頭させていくということです
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老子の霊訓9~私は素朴な清い心を説く~のつづき
・老子の霊訓10立ち止まり心の大自然の湖を見渡せ
『――  まあ理想としてはそうでございますけれども、現在の社会に生きているものはやはり生活圏ということから考えてくると、都会というものの生活というものを抜きにすることはできないのですが、
都会生活の中で自然に生きるというものの考え方、そういう考え方というのは、それはそれとして説かねばならないようになるのではないでしょうか。
第5条 自然と親しむ
   素直な心を養っていくためには、心して自然と親しみ、大自然の素直な働きに学んでいくことも大切である
   お互いが素直な心を養っていくために大切なことの一つに、自然に親しむというか、大自然のさまざまな営み、姿というものにふれるということもあるのではないでしょうか。自然の営みというものには、私心もなければ、とらわれもないと思います。
いってみれば、文字通り素直に物事が運び、素直な形でいっさいが推移していると思うのです。
したがって、そういう大自然の営みの中に身をおいて、静かに自然の形を見、その動きを観察していくならば、しだいしだいに素直な心というものを肌で理解し、それをみずからの内に養っていくということもできるようになると思うのです。

 たとえば、大自然の中に遊ぶ鳥や獣の姿を見つめてみるのもいいでしょう。鳥たちの無心の動作、そして獣たちの何気ない日々の行動を見るならば、そこに素直な心を養う上での何らかのヒントもつかめるのではないでしょうか。~


老子  そうです。ですから立ち止まる教えというものを都会人に説いて欲しいのです。
よろしいですね。忙しい中で立ち止まってみなさい。
立ち止まって自らを振り返ってみようではありませんか。自らの心の中に澄んだ湖があるかどうかを見つめてみようではありませんか。

自らの心の中にある湖に、さざ波が立ってはいませんか、大嵐になってはいませんか、大波が立ってはいませんか、大波が立っているなら波を鎮めましょう。
自らの心の中にある湖を美しく照り輝いた静かな凪いだ湖にいたしましょう。そういうことを私は言っているのです。


――  しかし現代の人は、既にそういう大自然というものに接する機会が少なくて、人工世界にほとんど毎日、釘付けにされた生活をしているわけですが、その中でそういう精神を養うということは、やはりそれなりの環境なり機会というものを持たねばならぬと思うのですが、
一つの手段(てだて)としてはやはり、禅を行うとか、或いは週に一回は郊外に出て野山を歩くとか、そういうふうな自然との接触を深めるという何かの機会を持つということが心を洗うよい方法となるのではないかと思うのでありますが。

老子  その通りです。ですから現に大自然に恵まれている方々は素晴しい方々です。
彼らは自らの恵みを十分に感謝して下さい。生かして下さい。
残念ながら自然に恵まれていない方々は、別に休日に遊びに行けとは私は申しません。
やはり宗数的な何らかの精神的な修養というもの、これを重視されるということです。
その中において、心の中に大自然をとり返すことはできるはずです。

つまらぬ″淫祠邪教(いんしじゃきょう)″ではなくて本来の心、心の王国を築かしてくれるようなそういった、精神主義、精神運動の中に自分を没頭させていくということです。


――  そういうてだてというものを示さなければ、ただ単に自然に還れということだけでは、中なか理解がいかないのが現代人であろうと思いますけど、
今のお教えによりまして、人びとが真の自然の中に本来の神の子としての姿を自分の心の中に描く、そういう機会を、一日一回でも持つというそういうことを行うということが大事であると、こういうことを我々は説かねばならぬということですね。

老子  そうです。それが瞑想であり祈りではないでしょうか。
そしてあなた方が今書物を出していますが、これは少なくともこの書物を読んでいる方々は、一日に短時間であっても、本来の大自然、大宇宙、神の世界に心を遊ばせることができるということです。
そういう意味において、あなた方の仕事が如何程大切であるかということを悟って頂きたいと思います。』
 

(1986年1月31日の霊示)

・老子の霊訓11~心の大自然をとり戻す運動これも正法の一つ~につづく
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老子の霊訓9~私は素朴な清い心を説く

2013-04-02 21:44:18 | 老子の霊訓
素朴さと、純朴さ、清らかさ、こうしたものをもっともっと価値あるものとして認められるような、世の中になってほしいと思います
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老子の霊訓8~権力も心の自由は縛れない~のつづき
・老子の霊訓9イエスは愛、釈迦は慈悲、私は素朴な清い心を説く
『――  あなた様のお考えなり、思想というものは非常に高度なもので、現代社会の人間が全く咀嚼(そしゃく)して自分のものとするには、かなり理性なり、理解力なりがなければ中なか困難なお考えであるように思うわけでありますが。

老子  ですからね、私の言うのは、イエス様という方は「愛」を説かれました。
人と人との人間関係、調和の方法ですね、愛というのは、人と人との人間関係、調和の法である愛というのを説かれました。
お釈迦様は「慈悲」ということを説かれました。これは、人への神の恵みですね。神の恵みの大切さといりことを説かれたわけです。

私が説いているのは「素朴さ」です。素朴さと清らかさです。本来聖なるもの、神聖なるものは、それは何かというと素朴さです。素朴で清らかなものです。
それが神の心であり、神の僕(しもべ)の心であったということです。
    *素朴実在論 - Wikipedia(そぼくじつざいろん)とは、実在論の一形態で「この世界というのは、自分の眼に見えたままに存在している」とする考え方のことである。

そうしたものが保てなくなっているために、イエス様のような「愛」による人間関係の調整とか、お釈迦様のような新たな天来の神の恵み「慈悲」というものを説かわばならなくなったわけですが、私の教えはそうではありません。
そうした外から来る力によって調和していこうとするものではありません。

本来ある神の子としての素朴さ、また清らかさ、こうしたものをとり戻しませんか、という考えなのです。
分かるでしょうか。努力の教えではないのです。人間と人間との間を調整しようとか、神から与えられるものをいただこうとか、こういった教えが他の宗教の教えです。


イエス様は自分から他に放射する念を調整することによって人間関係をよくしていこうと、こういう教えですね。

お釈迦様は人間は人間だけの力ではどうにもならないから、やはり大いなる神仏からの慈悲、慈悲の光を得ることによって、悟っていこうとされました。こういった他の力というものを考えておられるわけです。

私はそうではありません。人間そのものの中に素朴さ、清らかさを発見していこうではありませんか。
そして自分自身の心を、素朴に清らかにしていこうではありませんか。
その素朴な心、清らかな心になって、神の童(わらべ)どなった心はそのまま、天国に在るあなた方そのものなのですよと、これが私の教えなのです。

素朴さと、純朴さ、清らかさ、こうしたものをもっともっと価値あるものとして認められるような、世の中になってほしいと思います。
   *人間は純朴さが大切 2012-10-19
老子の言葉 第二十八章 伊勢ー白山 道
真の成功者となれば、常に徳(良心)の有る心で満たされて、大自然から出る原木のように純朴な人間に成ります。
要は、人間が成功を真に極めて至る最後の姿は、原木のような純朴な人間なのです。
従って、初めから純朴な人間が居れば、その人は社会に役立つ器と成れるでしょう。
もし聖人が純朴な人々を使うならば、組織の責任者に登用します。
そうすれば、社会は丸く収まります。

赤子のような、大自然から出る原木のような、純朴な人間であると老子が言っています。


都会の子ばかりが増えて、田舎の子が減っているような現在であります。
そうではなくてね、機械が進んだり、機械文明が進んだり、秒刻みの世界があるというようなことが決して進歩ではなくて、本来ある素朴さ、そういったものの美しさに、人々は醒めてほしいのです。
遂に私の世界観からいうならば、都会など住むのを止めて田舎の方で子供を育てたいと思う人が増えてくるような社会が私の理想に添うものかと思われます。』

(1986年1月31日の霊示)

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老子の霊訓8~権力も心の自由は縛れない~

2013-03-06 22:07:34 | 老子の霊訓
現代人にとって大切なことは、このあくせくとした時代の中において、
輝く泉のような心を持って生きるということです。

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老子の霊訓7~歓楽・煩悩・即(そく)菩提~のつづき
・老子の霊訓8~権力も心の自由は縛れない
『――  まあそういうことで、人々はいろんな材料の中で自分が選択していくわけでしょうが、ここに一つ話は変わりますが、
権力ですね、権力というものがあって、それが人々の自由な選択を許さないというような状態が現在世界のいろんなところにあるのですが、これらについては如何なものでしょうか。


老子  あなたの言っているような、人々を自由にさせないような権力とは一体何んですか。

――  それは例えば、あなたがお生まれになった国の、現在の中国とか、その隣りの国のソビエトとかいうようなところでは、
権力が人々の自由を許さないという状況下が今現在政治的に行われているということですが……。


老子  では権力は彼らを鎖で縛っているわけですか。

――  まあ具体的に鎖というもので縛っているわけではないわけですが、それは一つの法律とか、或いは武力、警察力とかで縛っているわけですがね。


老子  それは生きている人間の動くべき範囲を狭めるかどうかということであって、先程私の言ったような、心の中における牧歌的生活には関係のないことであります。゛
毛沢東(もうたくとう)思想゛というのがあるかもしれません。けれども、人々の心の中は自由であります。これは先程言ったモルモットであります。

立ち止まってふと、考えてみるかどうかであります。ですからこの世的なものは余り信用されないことです。
思想においても、機械とかその他便利なものにおいても、いろんな発明においても、機械とかその他便利なものにおいても、この世的なものはもうほどほどに交際(つきあい)程度に信用するということですね。
つきあい程度です。世間から離れない程度、そして自分の心の王国をあくまでも守ることです。

その心の「王国」は、決して飾りたてたものではありません。
心の王国というのは、大いなる田舎であります。大いなる田舎の風景であります。
自分の心の中にそうした大いなる田舎の風景を隠しておく、或いは保って置くということです。

現代人にとって大切なことは、このあくせくとした時代の中において、輝く泉のような心を持って生きるということです。
深い水を湛えた、深い緑をたたえた、輝く泉のような心でもって生きていくということです。

  *老子「第七十八章」道徳経~天下莫柔弱於水。
天下に水より柔弱(じゅうじゃく)なるは莫(な)し。
            
――  それはもう現象世界のなり行きや、その結果に一喜一憂しないという考え方ですね。本質としては現象否定でもいいわけですね。


老子  そういう見方もできるかも知れません。けれども、この現象世界を縁(えん)として゛地獄゛に堕ちている方々がこれだけ居るかという現実に接したならば、そうした教えも説かざるをえません。そうではないでしょうか。

この現象世界で修行を積むことによって、すべての人々が一つの学校を卒業するように、どんどん上級に上がっていけるならば、
例えば現象世界というのが小学校であって、これを卒業したら中学校へ、中学校から高校へと、卒業していけるものならば、それは結構なことでありますが、
この現象世界、小学校を経過して幼稚園、保育所へと行く人が大量に居る現代において、こういう教えも必要でないかと思います。』

(1986年1月31日の霊示)

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老子の霊訓7~歓楽・煩悩・即(そく)菩提~

2013-03-04 19:55:56 | 老子の霊訓
煩悩という言葉は響きが悪いかも知れないけれども、
人間が生きていくための意欲であります。

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老子の霊訓6の後~純白のスーツの譬(たと)え~のつづき
・老子の霊訓7 ~歓楽(かんらく)・煩悩(ぼんのう)即(そく)菩提(ぼだい)
『――  現在、世相をみますと、その誘惑の世界というものは非常に大きくなりまして、ギャンブルは巷に満ち溢れているし、
或いはいろんな歓楽の世界というのも充ち溢れていて、そのような享楽の風潮が世の中を風靡(ふうび)しているという現状でありますが、これは一体どっちの側がそのような世界にしているのでしょうか。


老子  ま、どちらとも言いかねるところがありますが、今私の譬えを使うならば、神の国の立食パーティですね、立食パーティ自体は素晴しいものなのです。
ところが食物を食べたり、飲物を飲んだりするうちに、もちろんお酒をかけることもあるし、食べ物で衣服が汚れることがあるのです。
これはパーティであるという性格上、やむをえないのですね。

ただそれがいま言った歓楽にあると思うんですね。ですからそういった汚す危険性というのは誰にもあるんです。それはやむを得ないことです。
ただ、要はそういったものから身を守れるかどうか、お酒がかかったら、それをすぐ洗えるかどうか、そういったことなのです。

だんだん染まってしまうかどうかという、そこの一点にあるわけですね。
ですから誘惑のある歓楽、あなたは歓楽といわれた。それは歓楽というものがこの地上にあるということは、或る意味においてパーティにおいて飲食をするという行為自体に服を汚すことがあるという可能性を含んでいるということ、これと同じことだと思うのです。

ですから歓楽そのものを無くしてしまえばいいというのは、パーティで飲み物も、食べ物も無くしてしまえば服を汚すこともしないであろうといっていることと同じことですね、やはりないと困るのです。
あった方がはなやかですし、楽しいのです。


――  しかし現在の文化の中には、非常に危険な要素が沢山現れてきているように思いますけれど、新しい機械の発明なども人の心を物質偏重、物依存、
ひいてはその性行を怠情な方向へ持っていったり、便利性が生む余剰時間というものを精神の糧の培養に使わず、かえって煩悩を益々強めるような悪材料を供給しているように思えるのですが、
これなどは一体いずれの側がそういうことに仕向けているのかと判断に迷わされるふしもあるのですが……。


老子  どちらの側というあなたの考えは、非常に間違っております。
仏教の言葉にも「煩悩即菩提」という言葉があるはずです。煩悩というものは、悪魔の属性であって、天使の属性ではないかといったらそうではないのです。

そのようなものを、たとえば服ですね、服なら服を着てパーティに出るという話をしましたが、服など着なければ汚れないわけですね、
ところが煩悩というのは、さっき言った、白い服のようなものなのです。それ自体は素晴しいものなのです。

けれどもその煩悩という服はですね、非常に汚れ易いのです。白なんです。

これは黒であったり、濃い色であったら汚れにくいのですが如何んせん白い服でできているために、非常に染まり易いんです。
それは服が悪いのではないのです。そういったものとして作られているんです。
これは別に悪魔の仕業でもなんでもないのです。汚れやすい白い服、それこそが煩悩そのものなのです。

白い服そのものが悪いのではありません。それは素晴しく映えるものです。
パーティにおいては映えるものなのです。ところが汚れ易いという欠陥を持っているのです。
これが煩悩です。煩悩という言葉は響きが悪いかも知れないけれども、人間が生きていくための意欲であります。』

  (1986年1月31日の霊示)

 ・老子の霊訓8~権力も心の自由は縛れない~ につづく
 ・老子の霊訓6の前~純白のスーツの譬(たと)え 
 ・老子の霊訓6の後~純白のスーツの譬(たと)え~
 ・老子の霊訓1 人生とは砂中の宝塔を掘り起こす作業
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老子の霊訓6の後~純白のスーツの譬(たと)え~

2013-02-04 22:51:34 | 老子の霊訓
俺はシミをつくった、しかしこれは悪かったとは思わない――
そういう我意、我執です。自分の節に固執しているこうした姿なのです

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老子の霊訓6の前~純白のスーツの譬(たと)え~のつづき
老子の霊訓6の後~純白のスーツの譬(たと)え
――  まあしかし、それができるものと、できないものとがいるわけです。
出来る人はそこに反省期というものを、自分自身で十分時間をかけて、そして本来の元居た自分の世界へと還ってくるのでしょうが、
そうでないものは、その反省もせず、現実の自分達の世界に居坐って、類は類をもって集まるの法則に従い、彼らは徒党を組み、さらに親分子分の関係をつくり、そのボスの言う通りボスに従って行動しているというのが現状ですが、
そういう彼らに神は自由を与えられているということが問題ではなかろうかと思うのですが……。

老子  しかし、少なくともパーテイ会場には入って来れないのです。その姿では入っては来れないのです。しかしそのシミだらけの服でね、いろんな街を放浪しているんです。しかし人にすぐ見つかってしまうのです。
――あすこに汚い男が来るよと言われる。それで、かまわないじゃないか、と最初は息巻いているのですが、いろんな人に指差されるとだんだん居られなくなってまた次の町へ逃がれて行きますが、そこでもまた同じようなことが繰り返されて次の町へと逃げていく。

こういうように彼らは安住するところのない可哀相な人達なのです。
それでもお父様にお願いしたくないと、反発しているのです。反抗心をもっているのです。
帰って来て、故郷に帰ってお父様にお願いすれば買って頂けるのです。

それをあくまでも自分の節を曲げないと、――俺はシミをつくった、しかしこれは悪かったとは思わない――そういう我意、我執です。自分の節に固執しているこうした姿なのです。
だからあなたは自由を許すというけれども、彼ら自身そんなに楽しければいいですよ、楽しければあなたの言うとおり自由ですよ、けれども彼らは楽しくはありません。

彼らの大部分は苦しいといっています。辛いといっています。それでも時折乱暴しているわけです。暴れているんです。
けれどもいま言った喩と一緒で、一つの村から村へ、町から町へ動く時に、やはり人々からいろいろ指を差されてですね、厭な感じを受けてまた居られなくなるとよそへ行く、こういうことなのです。

ただね、仲間が居るのです。似たようなのが居るわけです。穢い男がね、乞食や浮浪者のようなのが居る。こういった者とは話ができる。
浮浪者がね、もの凄い身なりをして居るわけです。ある町にはね。それを見ると男は胸を張って言うわけです。
――『俺は見ろ! 今はこれ汚れているけれども俺のスーツは純白だったんだ』こういって浮浪者相手に威張っているわけです。
ですから浮浪者の方は浮浪者の方で『ああこの人は今汚れているけれども、元着ていた服は、いい服みたいだ、キットいいとこの若旦那に違いない。

或いはいいとこの坊っちゃんに違いない――。』と、こういったことで敬まったりするわけですね。
これが地獄の親分子分の関係の姿です。しかし誰もそういうふうになりたいとは思わないでしょう。
何がよくて、何がよくないかということは、人々がそういうふうに憧れるかどうかということで決まると思うのです。


――  まあその程度で済めばいいのですけれども、彼らはさらに味方を増やそうとしてこの三次元に生活している者に憑依したり、彼らを誘惑したりして味方に引ずり込もうとそういう態度で餌物を狙っていますが。

老子  まあそれはね、こういうことなんですよ。彼らはパーティ会場に入ってくることはできないのです。
しかし、小窓が開いているんですね、パーティ会場には、そうすると、立食パーティをやっているわけです。食べているうちにまた、なかの誰かが純白のスーツ、純白のドレスを汚すことがあるんですね。

――あ、汚しちゃったなと、その人は思います。洗いに走ろうかなと思っているのですね、その時に窓から顔を出してですね、
『おいおいお姉さん。僕も、それ汚したけど気にしなくてもいいよ』『そのままでいいじゃないか、またどうせ汚れるんだからいいじゃないか』と、こうやって誘惑の声かけているんですね。

言われてみるとそうかなと思ってね、またそのシミのままで、またその立食パーティを続けている。
そのうちまたシミが付いちゃうと、また来るわけですね、
『いいじゃないか、いいじゃないか』と――すると、だんだんそのシミが拡がって、先ほど言ったのと同じことになるわけですね、だから彼らは誰かに小窓から、誘惑の囁きの声を送っています。
けれどもそれを聴くかどうかはね、その人自身の自由なのです。彼らも強制的にどうこうすることはできないんです。

もし地獄霊達が強制的にこの世の人間を狂わすことができるなら、この世の人間はほとんど狂っています。もう既に狂っております。
けれどもそうではありません。それは心に開いた小窓だけを通して彼らが話しかけることができるからです。その窓が大きくなっていると、勿論力ずくで浚(さら)うこともできるわけです。

で、その小窓とは一体何であるか、それがあなた方がよく知っている、
同類相通ずるの法則なのです。彼らと通じている部分がどれだけあるかですね、最初は少さな小窓なんです。
声が聴こえるだけです。それがだんだん開いてくるわけです。やがて自由に出入りできるような大きなドアになってくるわけです。
ここまでくると、さあどちらが悪いとも言えない面があるわけです。どちらもどちらという意見もあります。そういうことなんです。』


 ・老子の霊訓7~歓楽(かんらく)・煩悩(ぼんのう)即(そく)菩提(ぼだい)~ につづく
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*良心は「徳=悳」の心 http://plaza.rakuten.co.jp/mirokubunnmei567/diary/?ctgy=8
・YOGI OSANAGO 動画再生リスト

あまてらスおホ三かみ  ミロクさん意おホ三神
 【主神】天照日之太神 様 ・神界・内在神(良心)・愛和塊【心柱】
      天之常立太神 様 ・霊界・自我心・相対塊【活力】
      国之常立太神 様 ・現界・肉宮身・個性塊【神美】    
生かして頂いて ありがとう御座位ます


*【両手を使った完全呼吸法】を行じ身につければ
    http://plaza.rakuten.co.jp/mirokubunnmei567/diary/?ctgy=6
集中力・持続力と気配り・忍耐力の【意氣】を強化できます。よ・・世義
魂の発露にとって重要な「思いやり力」を強化させます。よ・・世・・ミロクの世・・・大和ごころ波∞無限大∞

世義幼子http://plaza.rakuten.co.jp/mirokubunnmei567/diaryall
ミロク文明人徳得 
  http://blogs.yahoo.co.jp/mirokubunnmeizinn/MYBLOG/yblog.html?m=l&p=1
ミロク文明http://blog.goo.ne.jp/mirokubunnmei1919
   新しき[神]の国の写し絵、天国地の上に現す
ミロクの世 ミロク文明人 大和ごころを志しての旅は・波・∞無限大∞