ミロク文明

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君の私の一歩が朝(あした)を変える!

2012-12-31 16:22:38 | 危機に瀕する日本
「櫻井よしこ」言論テレビというインターネットテレビでのニュース配信
http://www.genron.tv/ch/sakura-live/
「櫻井よしこ」が2012年10月26日、金曜日から週1回のインターネットテレビを始めている。
  2013年1月4日までは、会員登録なしで全てのコンテンツをご覧いただけます
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*第10回放送(2012.12.28)
2012年大総括!櫻井よしこのTV生講演 *櫻井よしこ - Wikipedia
http://www.genron.tv/ch/sakura-live/archives/live?id=10
日本はいま何をすべきか? 日本国民の取り戻すべき価値観は?

中国共産党のX デーはいつか
http://jinf.jp/wp-content/uploads/2012/12/国基研今週の直言【第173回】.pdf

指導部延命のため対外強硬策
その中国が対外的にも対内的にも普遍的な価値観に平気で反する態度に出てきている謎も次第に解けてきた。
所得格差が一向に改まらないのと腐敗が表裏一体の関係になっており、一般大衆が共産党政権に疑惑の目を向けだしたことが背景にある。
ニューヨーク・タイムズ紙は10 月、11 月と続けて温家宝首相一族の蓄財(分かっているだけで2200 億円)を暴露した。

温は中国指導者の中で最も清廉潔白な「温おじさん」として親しまれてきたはずの人物だ。
当局がいくら情報を抑えても、コミュニケーション革命は中国で5 億5000 万人以上のネット人口を生んでいる。
中東、北アフリカの独裁体制が相次いで倒れた「アラブの春」で明確になったように、情報の人為的操作は難しくなってきた時代だ。

中国指導部は自分たちが生き延びるために対外強硬策に転じている実情がはっきりしてきた。その結果を2013 年に目撃できるかどうか。これが年末の感想だ。


生かして頂いて ありがとう御座位ます

福録
あの世「死後の行き先
コノ世の隠れた一面【1】  ・謙虚であれ&素直な心・2・
先祖供養は超お得な徳

老子「道徳経と伊勢白山道」道経「1章~37章」カテゴリー
老子「道徳経と伊勢白山道」徳経「81章~38章」カテゴリー
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あまてらスおホ三かみ  ミロクさん意おホ三神
 【主神】天照日之太神 様 ・神界・内在神(良心)・愛和塊【心柱】
      天之常立太神 様 ・霊界・自我心・相対塊【活力】
      国之常立太神 様 ・現界・肉宮身・個性塊【神美】    
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*【両手を使った完全呼吸法】を行じ身につければ
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集中力・持続力と気配り・忍耐力の【意氣】を強化できます。よ・・世義
魂の発露にとって重要な「思いやり力」を強化させます。よ・・世・・ミロクの世・・・大和ごころ波∞無限大∞

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あの世「自分の行為からの反射

2012-12-28 00:09:12 | あの世「死後の行き先
・平凡とは凄いプレゼント 2012-02-26 *伊勢ー白山 道 記事
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20120226
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アノ世では、この世での「自分の行為からの反射」をひたすら繰り返し受ける時間が止まった次元(現実界の時間イメージの表現では、数年から数百年間と魂の所業によりバラバラです)を過ぎますと、次の転生(てんせい:生まれ変わり)までは絶対安心の境地の次元にすべての魂が在りました。

もう本当に絶対安心の境地です。この世の人間が、悟りだと呼んでいる状態です。
この絶対安心の境地に居ながら、天上のスクリーンに映る今の現実界の様相を魂が見ています。

ここで面白いのは、時間の無い絶対安心の世界から、時間の経過が有る現実世界に生きる人間を見ていますと、今のその人物の姿だけでは無く、それまでの今生での映像も一瞬にして「並行して」見えるのです。
その人の今と過去を同時に見られる(分かる、が正しいです)のです。過去は過去では無く、その人と同時に今に存在するのです。

これは自分の嫌な過去を忘れると霊障(トラウマ)に成るので、あえて思い出して
「その時の自分が何とか生きてくれたから、今の自分が生かされている」
という感謝の気持ちを過去の自分に送るという「自分供養」の私の発想の元は、上記での天上に映るスクリーンでの記憶体験からでした。

過去の自分も同時に今に生きているのです。
だからもし、昔に悪い事を自分がしたのならば、思い出して今も心中で謝ることは有効なのです。
決してムダでは無く、取り返せないことでは霊的には無いのです。

魂は絶対安心の境地が長く続きますと、この世での時間限定の挑戦をしたく成るのです。それも波乱万丈の人生を自分で選ぶ冒険を、あの世ではしたいと思うのです。
しかし、いざ生まれ出ますと、自分は不幸な人間だと落ち込むわけです。

だから今が苦しい人も絶対に大丈夫なのです。今が貧乏ならば、大金持ちに飽きた魂かも知れませんよ。
大切なことは、この期間限定の世界で自分の良心(内在神)に沿った生活をすることなのです。

もし、見えない先祖霊や神様を、自分には見えなくて証拠がなくても信じられて、感謝を捧げられれば最高です。
さあ、逃げずに今の現状を思いっ切り楽しんで遣りましょう。


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老子の霊訓3~知者は知に医者は技に溺れ、本質の外を空回りしている

2012-12-27 22:30:35 | 老子の霊訓
自然のままに素朴な信仰に生きた方が、むしろ人間は神に近い存在となるのです。
*レムリア・ルネッサンス推奨局 2008/07/30(水)ブログの記事
http://manucitizen.blog107.fc2.com/category36-1.html
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・老子の霊訓2~無為自然の道~ のつづき
老子の霊訓3 ~知者は知に医者は技に溺れ、本質の外を空回りしている
『老子  ですから現代人は、とかくあなたも仰った様に詰め込み過ぎる。知り過ぎる。知り過ぎて馬鹿になっていく。
今の医者とか、科学者とかいうものは、言葉としては悪いかも知れませんけれども、いわば利巧馬鹿、お利巧さんの馬鹿者というものです。

医者というものは自分の医学に自惚(うぬぼ)れて酔ってしまって、たとえば死というものをいろいろ研究しています。死というものは心臓が止まった時に死であるとか、脳波が止まった時に死であるとか、こういった死のことをいろいろ考えて解ったような気になっているわけです。
死というのは、肉体から魂が離脱することであります。それが死であります。当然のことです。

  *あの世「死後の行き先
それを肉体の器管の動きばかり研究して、分かった分からないとやっているわけです。
私たちから見れば、非常におかしくて腹を抱えて笑っているような状況です。それで自分が賢いと思っているのです。本当に自分が賢いと思っているのです。これがおかしくてたまらないのです。

私たちからみるならば、こういった利巧馬鹿というのが、一杯居るのです。
つまり本当の死を知らなくてなぜ死んだか、何処で死んだか、生きているのかを決めるのか、そんなことに一所懸命あくせくしているんです。
こういったのが医者の先端にいる方々であります。また遺伝子工学とかいって、いろんな遺伝子の組換えだとか、或いは精子と卵子の問題、こういった人工でいろんな生き物を作る試み、こういったことをやって生命の神秘が解けたなどといって喜んでいる人達がいるんです。

そういったことを何十回何百回やったところで生命の秘密は解けないのです。魂の問題は解けないのです。魂の問題は魂の問題なのであります。
それを知らずしていくら生物学的に分析したところで限界です。
お釈迦様の掌の中で、゛孫悟空゛が宇宙の果てまで行ったと思ったのと同じことになってしまうのです。


こういった利巧馬鹿が非常に多いのです。それはそれでいいのです。知識として、技術としてそういったことを解明することは悪いことではありません。
ただこれで得意気に、したり顔をするのが間違っているといっているのです。
彼らは非常に可哀相であります。可哀相な方々であります。

彼らは死んでこちらの世界に来ます。そして自分らの脳があることを見て、脳があるということは私は未だ生きているということであろう。
心臓が動いているような気がするから未だ生きているのだろう。手を当ててみると心臓の音が聴こえるわけです。
死んでこちらへ未てもですね、ということは心臓が動いているということは、医学的に見て俺は生きているわけだから生きているのである。
――なんて言って親族とか、或いは子孫たちにですね、出て来ては災いを起こしている。こういった馬鹿な霊たちが沢山居るのです。
  *あの世「死後の行き先
これは知識で自分の思考を狂わしてしまっているわけです。
心臓が動いていると思っている。
霊としても暫くはですね、肉体と同じものはあるのです。
同じような対応するものがあるのです。
死んでその後でも自分の胸に手を当てると心臓も聴こえているのです。
それで自分が生きていると思っているのです。

だからいろんなところへ出て悪さをするんです。こういった馬鹿なことになるんです。
要するに知識を獲得するのはいいんだけれど、本来雲的な理解のもとに知識を増やすのは、その人の器を大きくすることでいいのだけれど、利巧馬鹿が多くて困る。
むしろこういう世の中であるならばもうそんな知識なんかいらないのです。
自然のままに素朴な信仰に生きた方が、むしろ人間は神に近い存在となるのです。


――  まあしかし、近年年を追うごとに、人間はその理性というものを強く求めるようになり、理性で納得できるものを真として認めるようになり、
かつてのイエス様の時代、またあなた方の時代の、或いはそれ以前の時代のように人びとが素朴でなくなったということも、時代の移り変わりでやむを得ないことではなかろうかと思うのでありますが。

昔であれば大黄河が流れているとか、或いはそこに大砂漠があるとか、或いは大森林があるとかいう中で人間が生きていたということによって自ずからそういうふうな、
大自然と神と人間とが対峙した状態で物事を考えていたのですが、現代ではその間に汽車が走り、自動車が走り、人が塵き、ビルが建ち並ぶというふうな時代になって来ますと、そういうことになってくるのではないでしょうか。


老子  必ずしもそうとも言えないのです。まあ世の中が悪いといえば悪いのです。
要するに科学者、或いは経済人、経済学者達、そうした方は勉強をした。勉強をしてその行末がこうなっているわけです。

あなた方の世の中というのは、要するに勉強すればそれだけで報われる。賢いことはいいことだ、こういった世の中なわけです。
ですからそうした賢い人の行末が科学者になったり、医学者になっているわけです。
で彼らが言うことだからそうなんだろうと、こういうことですね、そして今の時代に賢い人がたとえば宗教家とかになるかというと残念ながら大半はそうではないわけです。

そういう人たちはもっと現世的な方向へ行っているわけです。そうですね、そこに問題があるんです。ですからむしろ私はそういった賢い方々に、今まで不毛であった。
最近まで不毛であった、こういった霊的世界の方に踏み込んで貰いたいと思うのです。
そういった方々が全力を尽くして勉強されたならば、そして霊的世界を解明されたならば、世の中はもっと、もっと幸福になるはずです。

そうした賢い人達が科学者や医学者や、工学者とかそんなものになって分かったような顔をしているから、世の人もそういった偉い人が言っているのだからそうであろうと、こう思ってしまうのです。
ですからそれはそれで結構ですが、もっと霊的な世界においていわゆる現代的に言っても賢い人たちがどんどん進出してくることを私は希望するものです。
 』
(1986年1月31日の霊示)
 老子の霊訓4神的な自己の掘り起こし方についてにつづく
 老子の霊訓3 知者は知に医者は技に溺れ、本質の外を空回りしている
 老子の霊訓2 無為自然の道
 老子の霊訓1 人生とは砂中の宝塔を掘り起こす作業
老子の霊訓カテゴリー
(1986年1月31日の霊示)  *(K会?の霊言集リスト)
     *老子 - Wikipedia  *老子道徳経 - Wikipedia
老子(ろうし)プロフィール~ ≫老子「第一章」道徳経≫ 

福録
伊勢白山道(ブログ)「老子の言葉」
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/c/3183d0c611a7972ceca4690825a7e5c3
伊勢白ペディア~伊勢白山道事典「老子」  ・老子(言葉)について
*老子「道徳経と伊勢白山道」道経「1章~37章」カテゴリー
*老子「道徳経と伊勢白山道」徳経「38章~81章」カテゴリー

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老子「第二章」道徳経

2012-12-25 17:25:51 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
だから「道」を知った聖人は人為的にこれらを区別せず、言葉にできない教えを実行する
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・老子「第一章「道徳経と伊勢白山道」道経 
第二章*老子を英訳http://www.chonmage-eigojuku.com/magetan/roushi01.html 
・原文 「書き下し文
天下皆知美之爲美。斯惡已。 「天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。 
皆知善之爲善。斯不善已。 「みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ。
故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。 「 故(まこと)に有と無相(あい)生じ、難と易相成り、長と短相形(あらわ)れ、高と下相傾き、音と声相和し、前と後相随(したが)う。

是以聖人、處無爲之事、行不言之教。 「ここを以(も)って聖人は、無為の事に処(お)り、不言(ふげん)の教えを行なう。
萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。 「万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず、生じるも而も有とせず、為すも而も恃(たの)まず、功成るも而も居(お)らず。
夫唯弗居、是以不去。 「夫(そ)れ唯(た)だ居らず、ここを以って去らず。

・現代語訳
世の人々は皆美しいものを美しいと感じるが、これは醜い事なのだ。
同様に善い事を善いと思うが、これは善くない事なのだ。

何故ならば有と無、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、これらは全て相対的な概念で、音と声も互いに調和し、前と後もお互いがあってはじめて存在できるからだ。

だから「道」を知った聖人は人為的にこれらを区別せず、言葉にできない教えを実行する。

この世の出来事をいちいち説明せず、何かを生み出しても自分の物とせず、何かを成してもそれに頼らず、成功してもそこに留まらない。
そうやってこだわりを捨てるからこそ、それらが離れる事は無いのだ。


英訳文
Everyone recognizes the beauty as the beauty. But this is an ugly thing. Everyone recognizes the good as the good. But this is a bad thing. Because being and not being, difficult and easy, long and short, high and low, these are relative concepts. Sounds and voices harmonize each other. The front and the back exist each other. So the saint who knows "the way" does not distinguish them and practices teachings that cannot be told. He does not explain all things of the world, does not possess things that he made, does not rely on things that he achieved, and does not stay in his success. All of them follow him because he is never attached to them.


*比較心の上での認識は間違いである 
2012-08-25 伊勢ー白山 道 記事全文http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20120825
老子の言葉 第二章
(独自の超訳)
世の人々は全員が、美しいものは美しいと認識している“つもり”だが、これは正しくは無いのです。
世の全員が、善は良いものだと思っているが、これも正しくは無いのです。
その理由は、善と悪、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、金持ちと貧乏、美人と不美人、
・・・・このように全てを「他人と比較する」心から人は認識しているからです。
これが正しいことなのでしょうか?
犠牲者が居るような人の認識は、本当に正しい気持ちなのでしょうか?
そうではなくて、全てがお互いに調和して存在することを知って初めて、人は正しく物事を認識することが出来るのです。

だから真理(道)を知った聖人は、このような「比較する」区別をせずに、無言のままで自分の生活態度により正しいことを実行して人々に見せます。
聖人は、名声や評価を求めずに、善いことをしても見返りを求めません。その必要が無いのです。
なぜならば、他人も含めて、コノ世のすべての物事が聖人の「持ち物」であることを知っているからです。
原文
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。」
(感想)
第二章では、老子が珍しくも御自身のことを説明しています。
しかし、この原文から老子の言いたい真理に気付く人が、どれほどいるのかが疑問です。それほど超高度なことを老子は言っています。

人間が自分は知っていると思い込んでいる程度などは、すべてが弱者との比較から成り立っているのです。
人間は比較することでしか、物事の認識が出来ない程度だと示唆しています。
そうでは無くて、すべてが善も悪も、敵も味方も一体であることを知らなければ生けません。

老子は、コノ世の全てが自分自身の持ち物だから、名声も・金も・見返りも不要だと言っています。自分で自分をホメること(=他人からホメられること)は不要であり、良いことも悪いことも、すべてが自分自身に対してすることに成る真理を知っているのです。
これは、すべてを支配する王様という独裁者の意味などではなく、究極の下からの視点なのです。
コノ世の全てを持つと言うこと=何も持たない、ことに成るのです。これは想像してみれば分かります。
これは、老子だけに言えるのではなく、私たち全員も同じ法則の下(もと)で生きています。


つまり、老子の視点とは、とてつもなく巨大なのです。
まるで宇宙から、無数の星の中の1つである地球を見ているかのような気持ちです。
私たちも小さい視点で生活をしていますと、社会生活で嫌なことばかりを感じてしまいます。
しかし、広い宇宙から地球をながめるような気持ちで生活をしますと、細かいことに執着して悩むことを止めて行きます。
他人も自分自身であるという、愛情のカタマリに成って人類が生き出せば、コノ世は素晴らしい世界へと直ぐに変わるでしょう。

こんな大きな視点を持てなくても、自分の周囲に居る人間を自分だと思って生活するだけでも、幸運がやって来ます。
そのような法則なのですから、仕方がないでしょう。これに気付けるまで、人間は苦しいものなのです。

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*全体で1つだった、が分かるまで苦悩は続く 2017-07-28 老子の人生論
伊勢ー白山 道 記事全文http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20170728
参考記事:老子の言葉 第二章「比較心の上での認識は間違いである」

「老子の人生論」第二章

* 善と悪、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、金持ちと貧乏、美人と不美人、健康と病気、白と黒などなど。

このように全てを「比較する気持ち」から人は、物事や他人を見て認識しています。

はたして、これが正しい認識なのでしょうか?

陰と陽は、2つで1つなのです。(老子思想の中心)
比較でする認識は間違いです。お互いにセットで全体で1つであり、これに気付いて初めて人は正しく物事を認識することが出来ます。

真理(道)を知った聖人は、このような「比較する」区別と認識をせずに、

無言のままで自分の生活態度により、正しいことを実行して人々に見せます。

つまり、比較により自分が判断する側では無くて、自分が正しい「行動を見せる側」に「徹するのです」。

(感想)
老子が人類に対して、
* 「脳が認識するパターンが、比較情報を基本としている間はダメなんだ。真理・真相を観ることは無理だ」
と仰っています。

例えば、小学校の1つの教室を見てみましょう。
教室の中には、男子と女子、悪ガキ、いじめられっ子、病気の子、活発な子、静かに読書する子、色々な生徒たちがいます。

もし宇宙人に対して、小学校とは何か?を説明するとすれば、どう書くのでしょうか?
・ 正解(真理)は、小学校の「全体」を説明する内容を書くことです。

でも人類の視点は
・ 細かい「その中身の違いと比較」をひたすら見ようとする。
・ 更には、ソレにより喜怒哀楽をひたすら繰り返す
・ 小学校全体を見ることを忘れてしまう。

このようなことが言えます。
人類は、陰だけを見て悲観するか、または陽だけを見て欲しがります。
でも真理の真相は、陰陽2つセットが離すことが出来ない実体だったのです。

今の自分の環境は、陰だけしか見えない。
隣人を見れば、陽ばかり集まっている。
片方だけを見れば、苦しいという認識が継続します。

でも、両方で1セットだから、それでも楽しい。
幸福な人が存在するのを見れば、自分も楽しい。

・・・・でも若い内は、「そんなこと出来るかい!! アホか〜」
「平等で無いのはオカシイ!」
と成るのが今の人類です。
これでは、闘争が止むことはありません。

でも、清貧な老人は、元気なよその子供たちを見るだけでも嬉しそうにします。
なぜでしょうか?
ここに真理の断片が在ります。

「そんなこと出来るかい!!」と思っていた人々も、色々な人生経験をして行きますと、変わって行くものです。
「あの人も丸く成った」と言われます。
なぜでしょうか?
真理は、低い闘争の視点では観えず、高い心境では受信状況が良いテレビのように見えだします。

更にこの項で老子は、
* 会社でも、家庭でも、他人の仕事や行動の粗ばかりが気になる間は、自分自身がダメなんだ。
* 自分が、「正しい行動を見せて行く」ということに没頭が出来るように成ることが最大事だ。
とも示唆しています。

・ 他人と比較する前に、自分の行動に重きを置いて暮らしたいものです。

人間は、自分の思考の判断の基準が、ただの比較心から起こっていないか?
に注意し、
常に全体で1つ、という視点から生活をしたいものです。
ここに人生の答えが在りそうです。

生かして頂いて 有り難う御座います


老子の人生論 伊勢ー白山 道 記事一覧
老子「第一章」道徳経    老子「第三章」道徳経 ≫つづく 
 始め老子プロフィール「第一章」道経    「第八十章」徳経≫        
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老子「第一章」道徳経

2012-12-23 20:09:39 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
これが正しい人生(道)だと言い表せる様な人生(道)は、本当に正しい偉大な人生(道)などではない
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・老子「第一章「道徳経と伊勢白山道」道経 
第一章 *老子を英訳http://www.chonmage-eigojuku.com/magetan/roushi01.html
・原文 「書き下し文
道可道、非常道。 「 道(みち)の道とすべきは、常(つね)の道に非(あら)ず。
名可名、非常名。 「名(な)の名とすべきは、常の名に非ず。

無名天地之始、有名萬物之母。 「名無きは天地(てんち)の始め、名有るは万物(ばんぶつ)の母。
故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。 「故(ゆえ)に常(つね)に無欲(むよく)にしてその妙を観、常に有欲にしてその徼を観る。

此兩者同出而異名。 「この両者は同じきに出でて而(しか)も名を異(こと)にす。
同謂之玄。 「同じきをこれを玄(げん)と謂(い)い、
玄之又玄、衆妙之門。 「玄のまた玄は、衆妙(しゅうみょう)の門なり。
現代語訳
これが「道」だと言い表せる様な道は、偉大なる不朽の道ではない。
これが「名」だと呼べる様な名は、真実不変の名ではない。

天地が創られた時には名など存在せず、万物が生み出された後にそれらは名づけられたのだ。
だから無欲な心をもってすれば、万物の深遠なる姿を見る事ができるだろう。
欲望の虜のままでは、万物の上辺の姿しか見る事ができない。

この両者の根源は同じ一つの物であるのに、それぞれ別の名を持っている。
その根源を「玄 - 深遠なる神秘」と私は名づけたが、
その玄のさらに玄からこの世の全ては生み出されている。


英訳文
"A way" you can call it way is not the great everlasting way. "A name" you can call it name is not the true unchangeable name. There was no name when the world was created. After all things were created, they were named. So if you are disinterested, you could see profound forms of all things. If you are greedy, you can see only surface of them. The source of both of them is the same one. I named it "deep mystery". And the further source of the mystery is producing all phenomena and things of the world.


*ネームバリューにダマされずに本質を見る大切さ  2012-08-23
伊勢ー白山 道 記事全文http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20120823
老子の言葉 第一章
(独自の超訳)
これが正しい人生(道)だと言い表せる様な人生(道)は、本当に正しい偉大な人生(道)などではない。

これが本当の「名前」だと呼べる様な名前は、真実の名前ではない。
天地が創られた時には名前などは存在せず、万物が生み出された後にそれらは勝手に名づけられたのだ。
だから無欲な心をもって見れば、“名前に左右されない”物事の本当の姿を人は見る事ができるだろう。
欲望の心のままでは、人は物事の上辺の姿しか見る事ができない。名前(人の地位)に左右されてしまう。

この世は、すべてが1つの同じ根源存在から創られたのに、陰と陽という2つの別々の名前を持っている。
その1つなる根源存在を「深遠なる神秘」と私は名づけたが、その神秘(玄)もやはり別の神秘からこの世の全ては生み出されている。これが、この世の万物が生まれ出る門(仕組み)です。

原文
「道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。」
(感想)
どんな人間の人生も“意味が有り”、それぞれ非常に大切な人生だと言うことです。
コノ世で偉い人物の人生が正しい訳では無く、どんな人生でも二度と無い大切でかけがえのない人生なのです。
人は、自分の人生は失敗だったとよく言います。
でも、生み出した存在(親)からすれば、わが子たち(人間)がコノ世で色んな経験をして七転八倒していても、それが輝いて美しく見えるのです。
親は、自分の子供が学校で悪い点数を取ってくれば将来を心配して怒りますが、祖父母は孫が取る点数よりも孫が存在するだけで十分なのです。
だから生み出した根源存在からすれば、どんな人間の人生も素晴らしいのです。

人間が他人を見ている時は、その人物を見ているのか、その人の名前(持ち物など)を見ているのか、どちらなのでしょうか?
知人によく似た人物が名前を偽って成りすましますと、多くの人々はダマされます。
知人の心・性質までは知らないから外見だけでダマされます。しかし、ダマされた人は、普段から知人の心を見ようとしていたのでしょうか?
私たちは日常生活において、他人の外観(ネームバリュー)だけを見ようとはせずに、相手の気持ち・本質を見る視点を持つことが大切なのです。
自分の家族にも、家族の気持ちを「見ようとする心」を自分が持つことが大切です。


最後の文章は、非常に大きな内容を老子は言っています。おそらく現代物理学においても言える内容だと思います。
この宇宙の始まりと実相を言語表現しようとすれば、言葉の限界があります。しかし、老子の深遠性は、的確に表現していると感じます。
要約しますと、
「宇宙は、1つなのに、2つの名前(陰陽の側面)を持っている。
しかし、その唯一の1つは、2つから生まれているのだ。」

  *コノ世のすべては「五行=木・火・土・金・水」の5種類の元素
1=2、という「循環」から万物が発生していることを老子は示唆していると私は解釈します。
別の表現にしますと、男女2名から子供が生まれます。
夫婦では1組ですが、大人の人間では2名です。
また、宇宙から地球を見ますと1つの天体です。しかし、地上から見ますと、多くの国々や70億人の人類が存在しています。1=70億。

つまり名前という視点を変えれば、同じ1つのモノであってもコロコロと姿も数量も変化するのです。
このようなことが、世の中には色んな場所で意味で存在するのです。
だから老子は、
「名前というものにダマされずに、その本質を見ましょう」と言っているように私には感じます。

「読者の超訳」
ひとがこれが神様だと言い得るような神様は、本当の神様ではない。人は神に色々な名前を付けるが、それは「本当の」神の名前と言えるだろうか。
天地は名前も形もないところから始まり、そこから「あれ」や「これ」と名前や形になって万物が生まれて来たのだ。
名前や形にとらわれずにその本当のところ(妙)を見つめる(見神)。また名前や形にとらわれてその上っ面に目を奪われる。一見違うように思えるが、これらは私たちの意識の深いところ(玄)から生れて来る、同じ一つの神秘のはたらきなのだ。その神秘のはたらきの奥に更なる神秘(玄之又玄)がはたらいている。全てのいのちの不思議はそこから生れて来る。


生かして頂いて ありがとう御座位ます


どんな人の人生も素晴らしい 2017-07-26 老子の人生論
伊勢ー白山 道 記事全文http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20170726 
参考記事:老子の言葉 第一章「ネームバリューにダマされずに本質を見る大切さ」

「老子の人生論」第一章
*「これが正しい人生(道)だと言い表せる様な人生(道)は、本当に正しい偉大な人生(道)などではない。」

(感想)
・ 自分の人生は、何をしても途中で止めてしまうダメな人生だ。
・ 自分は何をしても他人に劣り、恥ずかしい人生。
・ 良い行いよりも、悪い行い、恥ずかしい行いの方が多い自分の人生。

このように自身を卑下(ひげ:自分を他人より劣った者にすること)する人はいます。
更には、自分自身を罵倒するように、自分を呪うような人も、中にはいます。

・ 自分の人生は本当にくだらない、最低だ。

自分の努力不足を、まるで自分も親も家系も他人事のように罵倒することで、自分の小さなプライドを保とうとする人もいます。

でも老子は、
* 「これが正しい人生だと、言えるような人生はどこにも無い!」
と断言されています。

これはつまり、
* 「たとえどんな人生であっても、それで素晴らしいのだ!」
と老子が深い深い視点から断言されていると私は感じます。

更には、老子は挑戦的に、挑発するように、
* 「正しい人生というものが本当に有れば、どんな人生か?教えて欲しい」
と問い掛けているようにも私は感じます。
では、正しい人生とは何でしょうか?

・ 他人に勝ることが、正しい人生なのでしょうか?
「他人に勝つ」と思う時点で、何か恥ずかしいものがあります。
他人に勝った後は、どうするのでしょうか?

・ 裕福に成ることが、正しい人生なのでしょうか?
金持ちに成りたければ、犯罪でも一時的には可能です。
やはり、富裕と正しい人生には関係がありません。

むしろ日本には、清貧(せいひん:貧しくても清く正しく生きること)を美しいと感じる文化がありました。
清く正しく「生きたい」と思えることが重要に感じます。
でも人生は厳しくて、そう思いながらも、その結果は清く正しく無いことも人生でしてしまうかも知れません。

でも老子は、
* 「それで良いのだ」
* 「正しい人生など無い」
という全肯定をしているのが、この「第一章」の趣旨に感じます。

要するに、正しい人生とは、
* 正しく生きたいと「思えること」
* 正しく生きようと「すること」
* そう思えた人生は、どんな結果でも正しい人生だった

人生の結果は関係なくて、人の志(こころざし)にこそ、それは正しい人生だと言えるモノを感じます
私は、誰のどんな人生も素晴らしいと思います。
どんな結果でも、悩みながら、悲しみながら、怒りながら、心配しながら誰もが生きています。

そもそもが人が、こういう生きる経験が出来ることが、地球という惑星にとっての奇跡であり、見渡す宇宙の範囲内でも無いことなのです。
誰もが大いなる奇跡の中で生きています。生かされています。
だから、どんな人生でも奇跡であり、素晴らしい

生かして頂いて 有り難う御座います


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生かして頂いて ありがとう御座位ます


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