<ソロ活動開始>
2000年クリヴィを脱退し、ソロ活動を始めたトーダルは、新しいアルバムの製作に取りかかった。それは2001年にソロ活動ファーストアルバム「オモチャヤサン」となって誕生する。
クリヴィをあんなにもめて脱退したほどトーダルがやってみたい音楽とは何なのか・・・と思っていたファンは「オモチャヤサン」を聴いたとき、びっくり仰天したと思う。
「オモチャヤサン」はもちろんクリヴィ時代の音楽とは全く異なる作品だった。
なぜなら、そこには「ブラックユーモア」と「人間社会への風刺」がぎっしりつまった異色の歌が収録されていたからだ。
もっとも歌詞はレアニード・ドラニコ-マイシュークという詩人が書いた物で、トーダルが書いたわけではない。しかし、わざわざこの詩人のこの作品を選んだところにトーダルの挑戦があったと思われる。
こうしてソロ活動ファーストアルバム「オモチャヤサン」で衝撃を与えたトーダル。
確かに作品の中でも異色のアルバムと言えるけれど、(「月と日」も異色かも。(^^;))ベラルーシ音楽史上の中で見ても相当異色の作品である。聴いていると笑えるのに、笑顔が凍りつく瞬間がたくさんある・・・。
その一方で、子供向けの舞台音楽にも手を出すことになる。
ミンスク子ども劇場がスウェーデンの児童文学「屋根の上のカールソン」(原作アストリッド・リンドグレーン)をベラルーシ語の劇にして上演することになり、その音楽をトーダルが担当した。
<WZ-オルキエストラ結成>
2001年トーダルは自分のグループ「トーダル&WZ-オルキエストラ」を結成する。
結成当初はトーダルが吹くクラリネット以外に楽器は、ギター、バイオリン、バヤン、コントラバス(ベース)ぐらいしかなかったが、この基本編成に加えて、アルバムの作品によって、さまざまな楽器(メンバー)を自由に加える形を取っている。
「トーダル&WZ-オルキエストラ」として最初に発表したアルバム「バラード」はベラルーシ民謡をアレンジしたもの。
つまり、クリヴィ時代にしていた音楽と傾向は同じなのだが、クリヴィ時代とは全くちがう編曲の方法を採っている。
これがトーダルがやりたいと思っていたがクリヴィ時代はできなかった音楽の一つだったのだろう。
その後も1年に1枚か2枚という超ハイペースでアルバムを発表している。
基本的には「オモチャヤサン」同様、ベラルーシの詩人の作品をトーダルが読んで、気に入ったものに作曲する、という形式でアルバムの製作を行っている。(「季節の香り」「愛の汽車」「薔薇と踊るタンゴ」「LIRYKA」など)
一方で、ロシア語の作品を手がけたり(「MW」など)、日本の歌を歌ったり(「月と日」)しており、また「I want you now」は英語で、アルバム「ベッラ・チャオ」に収録された2作品ではイタリア語で歌うなどしている。
さらにユニセフから依頼されユニセフ創立60周年記念アルバム「子守唄」を製作するなど、最近は「ベラルーシナンバーワンの国際派アーティスト」と呼ばれるようになっている。
2008年はスウェーデンの詩人の作品をベラルーシ語に翻訳した歌詞に作曲するという「スウェーデン・プロジェクト」が待っている。
活動の場をポーランドにも広げ、学生だったとき、その入り口前でガラス製品を売っていたワルシャワ科学文化会館で、現在ではコンサートを開き、満席の観客の前で自分の作品を歌っている・・・。
この調子でがんばれ、トーダル! マーサは応援し続けるよ。
しかし・・・この記事、どこまで続くんだろう? 「トーダルの人生」なんていうタイトルにしなきゃよかった。(^^;) トーダルが死ぬまで(あるいはマーサが死ぬまで)これ、続くんだろうか。
WZ-オルキエストラはまだまだ続くと思うし、次の記事のタイトルは「トーダルの人生 5 WZ-オルキエストラ時代中期」とか「トーダル40歳代」「50歳代」「60歳代」という具合に分けたらいいのだろうか。
(そのころ、どうなってるんだろ、トーダル。本人はこの間「白髪頭の小ぎれいなじいさんになることを目指す。」と言っていたが。)
とりあえず「トーダルの人生 5」に続く。(そのうち・・・)
2000年クリヴィを脱退し、ソロ活動を始めたトーダルは、新しいアルバムの製作に取りかかった。それは2001年にソロ活動ファーストアルバム「オモチャヤサン」となって誕生する。
クリヴィをあんなにもめて脱退したほどトーダルがやってみたい音楽とは何なのか・・・と思っていたファンは「オモチャヤサン」を聴いたとき、びっくり仰天したと思う。
「オモチャヤサン」はもちろんクリヴィ時代の音楽とは全く異なる作品だった。
なぜなら、そこには「ブラックユーモア」と「人間社会への風刺」がぎっしりつまった異色の歌が収録されていたからだ。
もっとも歌詞はレアニード・ドラニコ-マイシュークという詩人が書いた物で、トーダルが書いたわけではない。しかし、わざわざこの詩人のこの作品を選んだところにトーダルの挑戦があったと思われる。
こうしてソロ活動ファーストアルバム「オモチャヤサン」で衝撃を与えたトーダル。
確かに作品の中でも異色のアルバムと言えるけれど、(「月と日」も異色かも。(^^;))ベラルーシ音楽史上の中で見ても相当異色の作品である。聴いていると笑えるのに、笑顔が凍りつく瞬間がたくさんある・・・。
その一方で、子供向けの舞台音楽にも手を出すことになる。
ミンスク子ども劇場がスウェーデンの児童文学「屋根の上のカールソン」(原作アストリッド・リンドグレーン)をベラルーシ語の劇にして上演することになり、その音楽をトーダルが担当した。
<WZ-オルキエストラ結成>
2001年トーダルは自分のグループ「トーダル&WZ-オルキエストラ」を結成する。
結成当初はトーダルが吹くクラリネット以外に楽器は、ギター、バイオリン、バヤン、コントラバス(ベース)ぐらいしかなかったが、この基本編成に加えて、アルバムの作品によって、さまざまな楽器(メンバー)を自由に加える形を取っている。
「トーダル&WZ-オルキエストラ」として最初に発表したアルバム「バラード」はベラルーシ民謡をアレンジしたもの。
つまり、クリヴィ時代にしていた音楽と傾向は同じなのだが、クリヴィ時代とは全くちがう編曲の方法を採っている。
これがトーダルがやりたいと思っていたがクリヴィ時代はできなかった音楽の一つだったのだろう。
その後も1年に1枚か2枚という超ハイペースでアルバムを発表している。
基本的には「オモチャヤサン」同様、ベラルーシの詩人の作品をトーダルが読んで、気に入ったものに作曲する、という形式でアルバムの製作を行っている。(「季節の香り」「愛の汽車」「薔薇と踊るタンゴ」「LIRYKA」など)
一方で、ロシア語の作品を手がけたり(「MW」など)、日本の歌を歌ったり(「月と日」)しており、また「I want you now」は英語で、アルバム「ベッラ・チャオ」に収録された2作品ではイタリア語で歌うなどしている。
さらにユニセフから依頼されユニセフ創立60周年記念アルバム「子守唄」を製作するなど、最近は「ベラルーシナンバーワンの国際派アーティスト」と呼ばれるようになっている。
2008年はスウェーデンの詩人の作品をベラルーシ語に翻訳した歌詞に作曲するという「スウェーデン・プロジェクト」が待っている。
活動の場をポーランドにも広げ、学生だったとき、その入り口前でガラス製品を売っていたワルシャワ科学文化会館で、現在ではコンサートを開き、満席の観客の前で自分の作品を歌っている・・・。
この調子でがんばれ、トーダル! マーサは応援し続けるよ。
しかし・・・この記事、どこまで続くんだろう? 「トーダルの人生」なんていうタイトルにしなきゃよかった。(^^;) トーダルが死ぬまで(あるいはマーサが死ぬまで)これ、続くんだろうか。
WZ-オルキエストラはまだまだ続くと思うし、次の記事のタイトルは「トーダルの人生 5 WZ-オルキエストラ時代中期」とか「トーダル40歳代」「50歳代」「60歳代」という具合に分けたらいいのだろうか。
(そのころ、どうなってるんだろ、トーダル。本人はこの間「白髪頭の小ぎれいなじいさんになることを目指す。」と言っていたが。)
とりあえず「トーダルの人生 5」に続く。(そのうち・・・)