本日は長崎原爆忌・・・
75年前の8月9日午前11時2分、長崎市に原子爆弾が投下されました。
コロナ禍の今、6日の広島原爆忌と同じように、
式典なども縮小されて行われるとか・・・
広島で被爆された方のご遺族が、「大切なのは祈ること」と
おっしゃっているのをラジオで聞きました。
コロナ禍の今、目の前のことに、いっぱいいっぱいになっていますが・・・
歴史の重みを、しっかり受け止めたいと思います。
心からの哀悼を込めて・・・
長崎は大好きな街で、何度か旅をしてきました。
キリシタン、遠藤周作、出島、天正少年使節、洋館、軍艦島・・・
気になるワードが、たくさんありますから・・・
最後に訪ねたのは2017年秋でした。
その折り、念願だった、如己堂↑を初めて訪ねることが出来ました。
永井隆博士の最晩年の住まいです・・・
永井隆博士は、長崎大学の放射線科・医師で、白血病に冒されていました。
長崎へ原爆が投下された、その日、自宅にいた妻を喪います。
自身の病状から、二人の幼子の行く末を託した妻が、先に逝ってしまったのです。
以後、永井は病床から執筆活動を続けます。
「長崎の鐘」や「この子を残して」は映画化もされました。
わたしは「乙女峠」を読んだ衝撃が忘れられません。
どうしても現地へ行きたくなり、津和野を旅したほど!
幕末の「浦上四番崩れ」でのキリシタン弾圧・・・
捕縛されたキリシタンは、遠く津和野へ送られ、厳しい年月を送ります。
自宅のすぐ近くで、また妻の家系に連なるこの悲劇を
クリスチャンの博士は書かずにはいられなかったのでしょう。
生前に刊行された、最後の著作となりました。
(津和野・乙女峠のマリア堂 2019年夏撮影)
如己堂のとなりには、長崎市永井図書館があります。
もともとは、博士が、私財を投じて創った「うちらの本箱」。
子ども達のすさんだ姿に、心を痛めた博士が、海外からの援助も受け、
ととのえた、小さな図書館です。日本の文庫活動の先駆けとも言えましょう。
連日、子ども達が詰めかけていたとか・・・
あの日、「うちらの本箱」の展示を観ていたら、
閲覧席で、静かに本を読む少年を見つけ・・・
涙が止まらなかったことを覚えています。
・・・長崎の旅を思い出していたら・・・
原爆の直後から、自身も被爆した病身の博士、医療活動を行っていた・・・
さらに、病床から起き上がれなくなってもなお、執筆活動を通し、
平和を訴え、子ども達の未来を考え続けた・・・
そのことに、圧倒され・・・
今も、コロナ禍の最前線で、働いていらっしゃる方々と重なりました。
同時に、コロナ禍で翻弄され、オタオタしている自分が情けない・・・
もっとしっかりしなくては・・・と反省しきりです。
最後に・・・
永井隆博士の著作を元に、歌謡曲「長崎の鐘」が作られています。
高度成長期生まれの私ですら、歌える大ヒット曲でした。
この作曲者が、朝ドラ「エール」のモデルとなっている、古関裕而氏です。
「エール」が放送されていたら、
きっと今頃、そのあたりを詳しく描いていたことでしょう。
再開後も、きっと丁寧に描いていてくれることと信じて・・・
◆書影は版元ドットコムより使わせていただきました。
如己堂の画像は、2017年秋に撮影したものです。
◆記憶を元にまとめたので、勘違いや間違いもあるかもしれませんが、
素人のことゆえ、どうぞお許し下さいませ。