ポツポツと綴ってきた、
80代母とアラカン娘夫婦の
長崎への旅。
どうしても触れておきたいけれど、
延び延びにしていたのが
原爆関連施設の見学記です。
書き出したら、
とてつもなく長くなりそうなので、
ここでは簡潔にまいります。
(如己堂。「長崎の鐘」で知られる永井隆・博士が最晩年を過ごした。
永井隆について→「永井隆博士のこと~長崎原爆忌に」)
最終日の午後、
長崎原爆資料館(冒頭画像)、平和公園の一部(画像一番下)、
如己堂(↑)を周りました。
コロナ禍も落ち着いているせいか、
小学生の校外学習や
外国人グループの見学者が目立ちます。
わたしは2度目の資料館見学、
歴史好きなので、知識はあるつもりでしたが
やっぱり言葉を喪いました。
帰りに、資料館のミュージアムショップで
渡辺考『少女たちがみつめた長崎」(書肆侃侃房)と
立川裕子『原爆日記』(吉村文庫)を購入。
まず前者。
もともとは、原爆体験を継承しようと活動する
高校・放送部を追った、NHKのドキュメンタリーでした。
部員は、先輩に当たる、
当時の女学生が兵器工場の動員中に被爆したことから、
取材を重ね、番組をつくりあげました。
現代(2019年取材)の高校生の言葉はまっすぐ。
この年齢になった私は、我が身が恥ずかしいような
焦るような気持にさせられます。
この取材で、偶然、被爆した女学生・立川裕子さんの
日記が見つかりました。
それが、立川裕子『原爆日記』です。
こちらは、被爆から半年、全身に傷を負い、
休学をしていた頃に書いたという、
生々しい日記でした。
立川裕子さんらの同級生には
芥川賞作家の故・林京子氏もいたとか・・・
林京子作品は、むか~し、
受賞作の「祭の場」を読んだくらいなので、
旅から戻り「やすらかに今は眠り給え」を読んでいます。
亡くなった同級生の記録を探し求め、
それを元に書かれた作品だそうです。
「被爆体験の継承が、本当に問われるのはこれからです...
当事者がいなくなった時に、どう語り伝えていくべきなのか。
つまり大いに語り合うことがこれから必要になってくるんです」
芥川賞作家・青来有一氏の言葉です。
(『少女たちがみつめた長崎』207頁)
青来氏は、林京子の高校の後輩であり、
(取材する高校生にとっては先輩)
長崎原爆資料館長の館長も務めました。
2022年秋、核兵器の使用が現実味を帯びる中・・・
青来氏の言葉を締めくくりとし、
長崎の旅日記を、
ひとまず終えたいと思います。
おつきあいいただいた皆さま、
どうもありがとうございました。
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とても繊細な問題です。
この記事で、ご不快な思いをなさった方がおいででしたら、
お詫び申し上げます。どうぞご容赦を。
立川裕子『原爆日記』、渡辺考『少女たちがみつめた長崎』の
感想文は、「ぴあ野の本棚」に収めました。
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