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義高様の最期~「鎌倉殿の13人」

2022-05-08 | パフォーマンス
おはようございます。

ついに観てしまいました、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、
第17回「助命と宿命」。
清水冠者源義高さまの御命が・・・

義高さまのお役は、市川染五郎丈。
お小さい頃から拝見してきただけに、なおさら辛くて・・・

感想文にもなりそうもありませんが、どうぞ、おつきあいくださいませ。



(義高さま終焉の地<近く>に建てられた清水八幡宮)


先週、義高様の御命日(新暦旧暦の違いはあるけれど)にともない、
悲劇の若武者は・・・」で、「吾妻鏡」の義高さま最期について
まとめています。

ドラマは、「吾妻鏡」の内容を膨らませ、
地方出身の北条家の人々が、思いがけぬ地位と立場を得たことで
修羅の道を歩まざるをえなくなったと、自覚する・・・

実に暗く重い展開でした。

観ていて、涙なんて、一滴も出ません。
ただただ、胸の中に重石が、のしかかっているようで・・・
むしろ、泣けたら、スッキリできたのに・・・

予想以上の苦しさでした。


(義高さまの墓があるとされる、鎌倉の常楽寺。
詳しくは→「歴史さんぽ~常楽寺」)


こうなるのがわかっていたので、
本放送は旅先だったせいもあり観ず、
かといって、帰宅後も、録画を観ることもできず・・

グズグズと先延ばしにしていました。

ようやく観た録画も、昼間で正解。
夜だったら、眠れなくなったかも・・・


(常楽寺山門)


「鎌倉殿の13人」は、粛正のドラマ。

第17話は、とりわけ大勢が亡くなりましたが、
これからも、毎回、誰かが命を落としていくでしょう。
それは歴史を見れば、明らかなこと。

時代は中世、現代人と感覚が違うとはいえ、
あまりに陰惨な・・・

この回でも工藤祐経(坪倉由幸)が
「鎌倉は恐ろしいところだ」とのセリフがありました。

お正月の「鎌倉殿サミット2022」で、
井上章一・国際日本文化研究センター所長が
「鎌倉はおそろしいところやなぁ」と、・・・

回を重ねる毎に、これからも、ますますおそろしくなっていくはず・・・

「鎌倉殿の13人」は、義時以外は退場し、
最終的には将軍家も途絶えてしまうし・・・
歴史から言えば、後には北条得宗家(執権家)も滅ぼされるわけで・・・

(義高様の塚にある石碑「木曽冠者義高之塚」。大正時代に建てられた)


三谷幸喜氏の大河ドラマは三作目。
今回は、全然、印象が全然違います。

これは、わたしの想像(妄想)ですが・・・
氏は何かを感じてしまったのではないかなぁと。
大病もなさっていますので・・・

わたしですら、大病した頃は、何か今までとは違う・・・
あの世と、この世が近くなっているような・・・
そんな感覚がありました。

今は全く消え去りましたがw、当時は、いろいろでした。

創作を続けている三谷氏のような方は、
いっそう感覚も鋭敏でしょうから・・・
きっと、何やかんやと。


(鎌倉、岩船地蔵。大姫のご供養のため建立された)


それは、さておき・・・
ご自身でも、こんな風におっしゃっています。

「病気になったというのもあるんだけど、
年齢的なことで、自分の人生が無限じゃないんだというのが、
どんどんリアルに感じ取れるようになっています」

その結果、書きたいものを書こうとして「鎌倉殿の13人」に
つながっている・・・
同世代のサバイバーとして、おっしゃることを理解できる気がします。



わたしも年齢のせいか、つくづくと・・・

歴史「HISTORY」は、勝者である彼の(his)物語(story)だけではなく
その陰に名も無き人々の物語があったのだと・・・
思う今日この頃です。


(鎌倉のシンボル、鶴岡八幡宮)


「鎌倉殿の13人」・・・

わたしたちは、粛正のドラマを観続けるのでしょう。
その果てに、いったい、何を見せてくれるのか・・・
三谷氏に期待しています。

それまでは、笑って笑って・・・

やり過ぎかしらというくらいの、コメディ要素は必須です!
直球で「鎌倉殿」を描かれたら、令和の人間は観ていられません・・・w
(少なくとも、わたしはね!


本日の画像は、義高様と大姫に心を馳せながら、
以前訪ねた、ゆかりの地をアップしております。


本日もおつきあいいただき、どうもありがとうございました。

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