先日、読んだ『流浪の月』(東京創元社)が、とっても良かったので、
凪良ゆうさんの作品を続けて読みました。
『わたしの美しい庭』(ポプラ社)は、装丁も、とっても優しげです。
今気づいたのですが、こちらの方が、『流浪の月』よりも新しい本でしたw
表紙は、鳥居と、花々に囲まれ、帽子をかぶった少女が描かれています。
これが、まさに小説の世界なんです。
「わたしの美しい庭」は、マンションの屋上にある神社のこと。
通称「縁切り神社」は、管理が行き届いた美しい庭があります。
ちょっとしたオープンカフェ気分も楽しめ、
ご近所さんの憩いの場ともなっているのです。
この管理をしているのがマンションのオーナーであり、宮司でもある統理。
宮司だけではなく翻訳の仕事もこなします。
彼と暮らすのは10歳の娘・萌音。
実の娘ではなく、離婚した妻が、再婚して産まれた子どもです。
ところが、元妻夫婦は、事故で亡くなり、萌音だけが遺されて・・・
以来、何年も、二人は「助け合って暮らして」います。
もう一人、準家族とでも言うべき存在なのが、路有。
隣室に住む、統理の同級生は、移動式バーのオーナーです。
女性の熱い視線をものともせず、LGBDであることを公言しています。
本書は、この三人を中心に、マンションの住人である、桃子さん、
路有の元カレなどについての物語が広がっていく、
連作短編集です。
『流浪の月』にガツンガツンやられたので、
ちょっと構えて、この小説を読み始めましたが・・・あらら?
最初は気抜けしちゃいました。
『流浪の月』は、犯罪の加害者と被害者がよりそい、
周囲の視線にさらされながら、自らの想いを貫く小説です。
読んでしばらく、言葉も涙も、出ませんでした。
でも、こちらは違う。
LGBTの男性や、見合いを迫られる女性や、仕事で心を病んだ青年など・・・
もっと日常的な、経験がなくとも、見まわせば周囲にもいそうな人の話です。
たとえば、39歳の女性が、お見合いに籐製のバッグを持つと、
母親からうるさく言われ、挙げ句に、断られると、
「あんなカゴ持ってくからフワフワしてると思われたのよ」と、なじられる・・・
あるある・・・!
似たようなことは、誰しもが経験している気がします。
とはいえ、根幹は同じ。
日常的であれ、非日常的であれ、
自分の価値観に基づいたまなざしは、当事者を傷つけることにかわりはない・・・
ということ。
幼い萌音と統理が話します。
(統理は、子ども相手だからと手を抜くことはありません!)
「ーー幸せに決まった形なんてないんだから。
統理がそう言うから、わたしは安心してうなずける。
形がないって自由でいいねと言うと、
形があっても自由にしていいんだよと返された。」(22頁)
ここのところ、私より若い、最近覚えた名前の作家さんが書く小説は、
多様性と周囲の眼差しがテーマとなっていることが、増えた気がします。
今を生きる、現役世代ならではの感覚なのかも知れません。
定年を控えた、アラカン世代としては、この感性を、しっかり受け止めたいと
思うのです。
これからの人生を、自分の価値観だけに凝り固まって生きるのは、絶対にイヤ。
信念を貫くことと、凝り固まって生きることは違いますからね・・・
(自分がどちらになっているか、わからなくなったら、どうしよ~~!?)
おっと、こりゃりゃ、人生訓みたいになっちゃうわ、ヤメヤメヤメ~~!
道徳の授業じゃないんだからね、あくまでも小説として楽しんでいきたいわ~w
長々書いておりますが・・・
一言で言うと、この小説の感想は、
「わたしも『わたしの美しい庭』がほしい」に尽きます。
統理くんが水まきをするかたわらで、路有くんとアイスティーをいただき、
萌音ちゃんと、おしゃべりする・・・
心のグチャグチャと縁切りし、季節の花々を愛でたいなぁ・・・
◆書影は版元ドットコムよりお借りしました。
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最後まで、読んでいただき、どうもありがとうございました。
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一方通行のブログでごめんなさい。