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先月の沖縄への旅。
出発前夜、原田マハ『太陽の棘』(文藝春秋)を読み終えました。
それから、翌朝は早朝の便に乗るというのに、コ~フンして大変!
必死で、あれこれググりまくり、すっかり寝るのが遅くなり・・・
案の定、寝坊・・・飛行機に乗り遅れなかったのが幸いでした・・・w
『太陽の棘』。
原田マハさんらしい、実在人物をモデルにした小説です。
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まずは、あらすじを、ざっくりと・・・
終戦から3年後の1948年。
新米・精神科医のスタンレーは、琉球基地に軍医として赴任する。
沖縄では米軍への警戒感が強く、戸惑うことばかり。
休みの日、仲間とドライブしていると、不思議な看板に行き会う。
「NISHIMUI ART VILLAGE」
ニシムイ・アート・ヴィレッジ・・・
スタンレーは、「本来なら出会いようもない人たち」と、出会うことになった。
「ゴーギャンのごとく、ゴッホのごとく、誇り高き画家たちと。
太陽の、息子たちと。」(59頁)
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ニシムイは、米軍の許可を得て、芸術家が集まり、自ら作った集落でした。
ここで画家は、絵を描き、暮らしをたてる・・・
とはいえ、初めて足を踏み入れたアメリカ軍人が、スタンレーの一行でした。
画家を夢見たこともあるスタンレー。
ニシムイの画家との交流から再び絵筆を手にし、
故郷の両親に画材を送ってもらいます。
それを携えて、ニシムイを休みの度に訪ねるのが楽しみになりました。
ところが、思わぬ出来事が起こって・・・という、お話。
(タイトルに「棘」が、含まれるくらいですから・・・)
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巻末の「謝辞」で、スタンレーが本当にニシムイの人々と交流していたこと、
2009年に沖縄県立博物館・美術館で、ニシムイ・コレクションが公開されたことを
知りました。
しかも、そのニシムイ・コレクションは、スタンレー・スタインバーグ博士が
大切に保存していたもので・・・(小説の通り!)
原田マハさんは、サンフランシスコ在住のスタンレー博士の協力で
この小説を描いたのだとも・・・
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「鉄の砲火」とまで呼ばれた攻撃を受け、焼け野原となった沖縄で、
戦後、かつての敵国人同士が、こんなに友情を育むことができたのだ・・・と、
とにかく、驚きました。
早速、ググると・・・なんとっ!
沖縄には、ニシムイ美術村の跡地があるらしい・・・
これは、是非、訪ねてみたい・・・
旅の前夜、興奮したのも、むべなるかな・・・でございますw
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さて、現在のニシムイ美術村(跡地)。↑
「車が一台通れるほどの道が奥へと続いていた...
周辺は、鬱蒼とした森に囲まれていた。
那覇へ出て初めて目にした、緑豊かな森だった。
壁の板は白く塗られ、トタン屋根はリズミカルなパターンで重ね合わされている。
石積みの低い塀には貝殻が貼付けられ兵の周辺には植木鉢があり、
赤い花々が咲き乱れている」58頁
また、はるかに海を眺めることもでき、その地形のおかげで
美しいラストシーンを迎えるのですが・・・
今では、小高い丘の住宅街となり、
小さな公園に「ニシムイ」の案内板があるだけでした。
しかも、すぐ脇には、モノレールが走っています。(「儀保駅」の近くです)
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もともと、このあたりは、
王家の陵墓「宝口玉陵」や「西森御嶽」のあった神聖な土地とのこと。
1948(昭和23)年に、美術村が築かれるものの、
1972(昭和47)年には10数mも丘を削り、現在の県道82号線が造られました。
さらには、モノレールも開通・・・現在の姿になったとのことです。
ちょうど雨脚が強くなってきて、人影ひとつありません。
それを幸いに・・・
夫にはレンタカーで待機してもらい(駐車スペースはなく、路上駐車するしかない)
しばらく説明板を読み歩き、ニシムイへと想いを馳せました。
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『太陽の棘』で、スタンレーと、もっとも親しくなるタイラは、
玉那覇正吉がモデルでしょう。
その彼が描いた絵は、『太陽の棘』のカバーに使われています。
沖縄県立博物館・美術館にはニシムイ美術村の画家の絵もあるようですが
HPからは、常設展示されているかどうかが分りませんでした。
いずれにせよ、今回の「弾丸」旅では厳しく、絵画鑑賞をあきらめていました。
それだけに、この小さな公園で、
ニシムイの人たちの絵画が紹介されていたのは、感激でした。
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夜更かしして(寝坊は肝を冷やしたけれど!)、
『太陽の棘』を読んで良かったぁ~、旅の後に、この本を読んだとしたら
ニシムイに焦がれて、地団駄を踏んだことでしょうw
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旅は無論のこと、大のお出かけ好きながら、昨今の状況は、怖すぎます・・・
どうか、早く収束してくれますように・・・
お付き合いいただき、どうもありがとうございました。
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一方通行のブログで、ごめんなさい。