MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2666 競争とは「パイの奪い合い」をすることか?

2024年11月11日 | 社会・経済

 米大統領選で激戦を制し勝利をつかんだ共和党のトランプ前大統領。「もしトラ」などと呼ばれた様々な懸念が現実のものとなり、民主主義国家を牽引する超大国の「米国第一主義」への回帰に世界中が戦々恐々としています。

 外交政策に関しては、「場当たり的」…という表現が最も的を射ていた第一次トランプ政権ですが、それでも軍事的な介入にはそれなりに慎重な姿勢を保ってきた観があります。そして今回も、対外政策の主戦場は、(彼が自身の「得意分野」と考えている)「経済戦争」にもつれこまれそうな気配です。

 トランプ候補のキャッチコピーであった「MAGA(Make America Great Again)」の基本政策は、「米国の利益を害する…」と判断した他国をターゲットに保護主義的な攻撃を加え「米国一国主義」を進めようとするもの。そこには、他国と共存協力しながら世界経済のパイを大きくしようという発想は微塵もありません。

 実際、彼の公約の中で最も危険視されているのは関税率の引き上げで、全輸入品に10~20%の追加関税をかけるとしているほか、特に中国には全輸入品に60%の関税を、さらにメキシコからの輸入自動車にも100~200%の関税をかけるとアピールしています。

 もとより、輸入外国製品に軒並み高率の関税をかければ、それを(直接・間接に)負担するのは消費者である米国民であることは間違いありません。さらに、この関税引き上げや、同紙が主張する減税などの景気刺激策が物価押し上げ要因となり、米市場でインフレが再燃する懸念が高まっています。

 複雑に絡み合った世界市場を(分かり易く)「敵」と「味方」に分け、「悪者を叩く」ヒーローとして人気を集めたトランプ氏。「我々が今虐げられているのはアイツが悪いから」と名指しするその手法は、一見かっこよく見えるけれどかなり的外れなものも多いような気がします。

 まあ、それはこの日本においても同じこと。(長く続いた安倍政権の記憶を振り返るまでもなく)悪者を設定しては排除するという「分断の手法」が大手を振ってまかり通ってきた状況に、そんなに違いはないのかもしれません。

 トランプ氏の返り咲きにそのようなことを感じていた折、11月11日の経済情報サイト『現代ビジネス』(2024.11.11「なぜ日本はここまで衰退したのか…意外と知らない、多くの人が取り憑かれた病理の正体」)に、慶應義塾大学准教授の岩尾俊兵氏の近著『世界は経営でできている』の一部が紹介されていたので、参考までにその指摘を残しておきたいと思います。

 現在の日本に普及しているものに、「価値は有限でしかありえない」という(致命的に)誤った観念がある。石油などの資源もない中、戦後の焼け野原からたった20数年で世界第2位の経済大国になった「価値創造大国」の日本が、こうした諦念に支配されること自体不合理極まりないと、岩尾氏はこの著書に記しています。

 氏によれば、そこには不合理を後押しした世界情勢もあった由。資本主義と国際化と不換紙幣制度が出会ってまだ半世紀。この半世紀で、人類は初めて通貨の価値が国際的に極端に変動する社会を経験したと氏は言います。

 その結果として、(世界中が)手段であるはずの「金銭の価値」に過度に振り回されるようになった。国際政治によってつい最近まで円高・デフレ誘導されてきた日本は、なおさらだったということです。

 「価値は有限」とする思い込みが流行するとともに、「価値を誰かから上手に奪い取る技術」を売り歩く人々が跋扈した。多くの人が「経営」の概念を誤解し、経営を敵視するようになった。そうするうちに本来の経営の概念は、狡知の概念と入れ替わっていったと氏はしています。

 もし価値が一定で有限ならば、誰かが価値あるものを得ているのは別の誰かから奪っている以外にありえない。善人対しても「我々に気づかせないほど巧妙に、我々の価値を奪っているのでは」という疑念がよぎるようになったということです。

 こうした誤った感覚の下に、現状を誰かのせいにする言説が流行。若者が悪い、高齢者が悪い、男性が悪い、女性が悪い、労働者が悪い、資本家が悪い、政治家が悪い、国民が悪い…、結果、現代では誰もが対立を煽る言葉に右往左往しているというのが氏の指摘するところ。「自己責任論」という名の責任回避の詐術に全ての人が疲弊させられ、誰もが別の誰かのせいにし、自ら責任を取る人はどこにもいないかのように見えるということです。

 これは、まるで日本の戦争責任問題と同じこと。国民は官僚が悪いといい、官僚は軍部が悪いといい、軍部は政治家が悪いといい、政治家は国民が悪いといって責任の所在が消えてしまう。そのうちに「空気が悪い」「時代が悪い」ということになる、「総・無責任体制」だと氏は話しています。

 だが、本当の責任は、(その大元にある)「価値有限思考」にあるというのがこの問題に対する氏の見解です。それ自体、特定の人間のせいではなく、私を含めすべての人に大なり小なり巣くっている思考がなせる業。もちろん、政治家や経営者など、多数の人生に影響を与えてしまう職業であれば、思考に対する責任がより大きいのは言うまでもないということです。

 価値有限の言説を得意げに吹聴する人も、価値あるものは無限に創り出せるのに、自分には無理だと思い込んでいるだけのこと。しかし、こうした思考は捨てられると氏はこの著書に記しています。「価値」とは無限に創造できるもの。そして、価値が無限に創造できるものならば、他者は奪い合いの相手ではなく、価値の創り合いの仲間になれるということです。

 「自分が享受すべき利益を誰かに収奪された」という発想からは、価値の創造は生まれない。狭い思考に可能性を奪われ、限られたパイを奪い合っているだけでは未来も幸せも得られないということでしょうか。

 話を国際社会に戻せば、そこに「新しい価値」を生み出すことができれば市場や経済が共に成長し共存していく道は開けるはず。互いに持っているものを分かち合い、「敵」を「味方」につけることができれば今よりも何倍も大きな富が生まれる可能性も生まれてくるのになと、記事を読んだ私も改めてそう感じたところです。


#2662 少子化問題の特効薬

2024年11月03日 | 社会・経済

 10月29日、三原じゅん子こども政策担当大臣がインタビューに応え、少子化の反転に向け「結婚を希望する若者や子育て世帯をしっかり後押しする」と(総選挙後の臨時国会を前に)改めて決意を示したと時事通信が報じています。

 三原大臣は日本の少子化の要因について、未婚化、晩婚化の影響が大きいと指摘。「自治体が行う結婚希望の実現に向けた取り組みが浸透していないので、支援を強化したい」「結婚を希望する若者や子育て世帯をしっかり後押しする対策に全力を挙げる」と強調したということです。

 これまで「子育て支援」に特化し、注力してきた観のある政府の少子化対策ですが、ここにきてようやく若者の「結婚」に目を向けるようになったということでしょうか。若者の心理状態にも関わる話なので、一連の政策形成に当たってはその規模ばかりでなく、「アイディア」で勝負していく必要を強く感じるところです。

 ともあれ、少子化問題は国の活力の根幹をなす問題であるだけに、喫緊の対策が必要なのはわかります。しかしその一方で、何十年もの時間の中で進んできた(ある種の)社会現象ですから、まずはどこかで「反転」のきっかけを作るところから始める必要があるのも事実でしょう。

 8月9日の経済情報サイト「DIAMOND ONLINE」に、スタイルアクト(株)代表取締役で不動産コンサルタントの沖有人氏が『誰も語らない「少子化問題の特効薬」とは?国の子育て支援など効くはずがない実情』と題する一文を寄せていたので、この機会に一部を紹介しておきたいと思います。

 (出生数と様々なデータとの相関のうち)直近30年の傾向を見ると、出生件数に最も影響するのは婚姻件数だと、沖氏はこの論考の冒頭に触れています。

 婚姻件数と出生件数には、1年のタイムラグをもって強い相関性が見られる。結婚すると避妊することが少なくなり、いわゆる「できちゃった婚」が婚姻の約25%を占めることなどからも、この相関は容易に想像がつくだろうということです。

 実際、「出生件数÷前年の婚姻件数」の数字は、1992年以降1.4~1.6の間で安定しており、直近2年も1.54をキープしていると氏は言います。女性が結婚したら一定数の出産をしているという事実は今でも揺らぐものではなく、経済的な余裕などを考え「出産を控えている」とは言えないというのが、この論考で氏の指摘するところです。

 これはつまり、少子化問題の実態を捉えるために出産適齢期の人にアンケートを取っても、それはあくまで想像の域を出ていないということ。ひとたび産んだら「子はかすがい」の言葉通り、親は何とかして立派に育てようとしているというのが氏の認識です。

 この傾向は地方でも都市部でも同じこと。「出生件数÷前年の婚姻件数」の直近20年平均は、東京都1.23、1都3県(首都圏)1.38で変わっていないし、(全国と比べて若干数値は落ちるが)ほぼ横ばいで近年減っているわけではないと氏はしています。

 (識者や政治家の一部に)「都市部に若者が集まることが少子化の原因」という主張があるが、そもそも都市部は就職先や求人数が多いから若者が集まるので、これを止めることは職業選択の自由の観点からも看過できない。また、都市部における女性の高学歴化や子育てのしにくさ、経済的な負担の大きさで「産み控え」をしているとは(少なくとも端的には)言えないということです。

 合計特殊出生率が、2023年に1.20と過去最低になったというニュースがあったが、実はこれは簡単に予測できた。データを見てわかる通り、この出生率の低下原因は単純に(前年の)婚姻件数の減少が主因であり、婚姻件数が前年比9割になれば、翌年の出生率はほぼ9掛けになると氏は説明しています。

 50歳時の未婚者割合を生涯未婚率というが、2021年には女性が14.6%であるものの今後は急上昇し、25%を覗う展開が予想されている。(したがって)少子化対策の本丸はこの未婚率の上昇を抑えることに尽きるのであり、日本全国どこでも、男女のマッチングを盛んにする仕組みやインセンティブに注力した方がいいというのが氏の提案するところ。

 折しも新型コロナ禍では、自粛要請で結婚式を挙げられない人が続出し、結果、婚姻件数は激減した。女性の出産適齢期が長くない中で、コロナ禍に翻弄されたこの2年の空白を取り戻すため、政府や自治体は今すぐにでもこうした対策を打たなければならないということです。

 本来、コロナ禍の結婚で産まれてきたであろう子どもが産まれないのは、産まれてきた我が子を亡くすのと同じこと。出産後の「子育て支援」に向かいがちな少子化対策は、言わば「頭でっかち」で人間の「本能」を軽んじていると氏はこの論考の最後に話しています。

 進化論のダーウィンは、「生き残る種というのは最も強いものでも最も知性があるものでもなく、変化に対応できたものである」と言っている。私たち人間も動物であり、ご多分に漏れずに進化論の枠組みの中にいる。で、あればこそ、(いくら困難に直面しても)後先を考えずに人を愛し、子どもを愛して努力するであろうことをもっと信じてもいいというのが氏の考えです。

 さて、そうとすれば氏も指摘するように、まずは現代の若い世代にはなかなかハードルが高い(らしい)結婚への道のりを低くすることが、私達「親世代」の唯一できることなのでしょう。そしてそのためには、(これまでのように)「家」だの「世間体」だのつべこべ言っていないで、彼らの背中を積極的に後押しすることが求められているのではないかという気がします。

 選択的夫婦別姓制度の導入もしかり、若者優先の賃上げもしかり、マッチング紺の奨励もしかり。今までのモラルや常識を超えたところで勝負しなければ、効果的な対策とはならないのではないか。

 さらに、本気で出生数の増加を考えるのであれば、(「SEXの奨励」とまではいわないまでも)必要に応じ「お試し婚」など慎重になりすぎた男女の性的なつながりに対する心理的なハードル下げる努力や、学校における性教育の抜本改革などにも、私たちは(開き直って)潔く切り込んでいかなければならないかもしれません。


#2661 地元を離れていく娘たち(その2)

2024年11月01日 | 社会・経済

 「東京一極集中」の弊害が叫ばれる中、東京都に入ってきた人数と、出ていった人数の差は年々増加の傾向を見せています。

 内訳を性別で見ると、2021年の転入者は男性が22万2220人で女性が19万7947人、一方の転出者は男性が22万3564人で女性は19万1170人(総務省「人口移動報告」)である由。つまり、男性が1344人の転入増、女性は6777人の転入増となり、東京の「転入超過」は女性の流入によって支えられていることがわかります。

 そこで、東京に転入した女性の年齢層を見てみると、20代が半数を超える52.8%に上ったほか、30代が18.8%と、20代・30代で実に70%以上を占めている実態が浮かび上がります。

 それではなぜ、こうした特定年齢の女性たちが、集中して大都会東京に集まってくるのでしょうか。結婚問題に詳しいコラムニストの荒川和久氏が、8月21日のニュース情報サイト「Yahoo news」に、『「地元の若い女性の流出が止まらない」と嘆く前に地方が考えないといけない視点』と題する論考を寄せていたので、参考までに小欄にその一部を残しておきたいと思います。

 少子化問題の原因として、「東京への女性人口一極集中」を挙げる人は多い。確かに、都道府県間の人口移動のほとんどは20代の若者で占められており、その中には多くの女性が含まれている。このため、日本の少子化は「東京が20代の独身女性を全国から集めておきながら、未婚化で東京の出生率は全国最下位だからだ」…と結論づけたいのもわからないではないと、氏はこの論考の冒頭に綴っています。

 しかし、冷静にデータを紐解けば、別に東京だけに女性の人口が集中しているわけではない。正しく言えば、20代の女性は(男性もだが)、都市部に集中的に移動するものだというのがこの論考における氏の認識です。

 総務省の人口推計統計により2000年以降の女性の転入超過数の推移を見ると、確かに東京都の転入超過は多いが、他の政令都市全体もほぼ東京都と同じくらいの転入超過で推移している。日本全国津々浦々から東京だけに女性が移動しているわけではなく、地方においては、その地方の近場の大都市(九州なら福岡市、東北なら仙台市など)へ大きく移動していると氏はしています。

 なぜ、女性が大都市へ移動するかといえば、10~20代に限れば、ほぼ仕事や学業のためと言える。逆に言えば、流出が多い自治体というのは「魅力的な仕事(やが学校)がない」場所だというのが氏の指摘するところです。

 地方の自治体にとって、こうして毎年のように若者が流出することは深刻な問題となろう。ただでさえ、出生数が減っているこのご時世、20代女性が地域からいなくなることは婚姻数の低下にも影響すると氏は言います。

 しかし、(言っては何だが)だからといって、「地元の若者が出て行ってしまうような東京や大都市が問題だ」と責任を転化したところで、問題は何も解決しないというのが氏の考えるところ。どんなに(大都市に出て行く若者を)地元に縛り付けたくても、江戸時代の箱根の関所のように、「出女」の取り締まりを行うわけにもいかないだろうということです。

 因みに、個別に見れば、特に九州の佐賀、長崎、鹿児島、中国地方の島根、山口あたりが地元から出て行く割合も高く、出て行ったきり戻ってこない割合も高い。同じく、東北の岩手、秋田、福島も出て行ったきりの割合が多いと氏は説明しています。

 逆に、富山、石川、福井などの北陸三県、静岡、沖縄などは、出て行ったきりの割合よりもUターンしてくる割合の方が高いとのこと。一度は東京に出ていったものの、「都会暮らしはもう十分」「やっぱり地元が一番」と、故郷へ帰る選択をする若者が多い地域だということです。

 加えて、地域の人口や活気を保つには、最初から都会に出ることを選ばず、出生地に居続ける若者たちの存在も重要になるのは当然のこと。氏によれば、こうして(ある意味)「生まれ故郷として愛されている地元」の第1位は愛知県、2位は沖縄県、3位が北海道の順番だということです。

 北海道と愛知は、出生地に居続ける割合も高いが、エリア内で見れば、札幌と名古屋という大都市への転出率もそれなりに高い。一方、沖縄は、一旦圏外転出はするもののUターン率が全国1位だということです。

 さて、こうした状況に、自治体としては「どうしたら地元から若者の人口流出を防げるか」という対策に集中しがちだが、東京などの大都会に憧れて出て行く若者は何をしたって「出て行きたい」のだから、彼らを気持ちよく送ってあげることも(また)大切だと氏はここで話しています。

 間違っても「東京なんかに出て行ってもロクなことにならない」などとネガティブな情報を植え付け、若者を地元に縛り付けようなどと考えてはいけない。一旦出て行ったとしても、また戻りたい場所であり続けることこそが重要だというのが氏の見解です。

 そして、さらに自治体が注力すべきこととして、氏は「それでも地元に残る(残ってくれる)若者に対して地元は何ができるか」を整理することを挙げています。東京などの大都会との比較して、「あいつら、ずるい」と言うばかりでは未来はない。ずっと居続けてくれる人とUターンしてくれる人合わせて6割というのをまずひとつの目標ラインと定め、地元ならでは「できること」を是非考えてもらいたいということです。

 近年では、公費から(移転費用などの)手厚い補助金などを出し、新しく移住してくれる人を増やそうという取り組みも盛んに行われていると聞く。しかし、新たなふるさともをもめる人たちに対し、金銭的インセンティブを付けければいいというものもない(だろう)と氏は最後に話しています。

 大切なのは、その土地の魅力をアップさせ、それをきちんと伝えること。結局のところ地域の未来は、「地元に生まれ、地元に居続ける人たちがどれだけしあわせそうか」にかかっていると話す荒川氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2660 地元を離れていく娘たち(その1)

2024年10月31日 | 社会・経済

 少し前の調査になりますが、ボートレースの売上金をもとにNPOへの資金助成を行っている「日本財団」が、2020年の8月に若者1000人を対象に行った「18歳意識調査」で「将来暮らしたい場所」を聞いたところ、「都市部」が56.5%、「地方」43.5%となり、都市部が10ポイント強上回ったということです。

 都市部で暮らしたい理由(複数回答)で過半となったのは、「生活がしやすい」が63.4%、「娯楽が多い」が51.2%で、全体的に「選択肢が多い」ことが若者にとって都市の魅力と映っていることが見て取れます。

 「東京一極集中」が指摘されるようになって久しいものがありますが、それでは実際どんな人たちが東京に集まってきているというのでしょうか。

 「グローバル都市不動産研究所」の調査によれば、1958年から2018年までの60年間における東京都への転入超過数を男女別に見ると、2008年頃から女性の転入超過数が男性を上回るようになり、2018年には女性4.8万人、男性3.4万人と、女性のほうが1.4倍以上も多くなっているとのこと。年齢的には、20〜24歳が第1位であることは過去数十年変わっておらず、2018年の女性4.8万人の内訳でも、20〜24歳が3万人強と、年齢別で最も多い世代だということです。

 そして調査では、東京での暮らしを選んだこの20〜24歳女性がどういう属性の人たちかについても、さらに深堀りしています。

 東京都への転入超過者を細かく見ていくと、20〜24歳という転入超過人口が最も多い世代において、横浜市、札幌市、仙台市、福岡市、新潟市など全国に20ある政令指定都市からの転入が顕著とのこと。しかも、特に女性のほうが男性より人数の多い傾向がはっきり見られるということです。

 これは言いかえれば、東京に一極集中している人口の大きな部分を占めているのが、全国の政令指定都市を経由して東京に転入してくる20〜24歳の女性だということ。つまり、「大都会東京」を目指して上京する若者たちの中核を担っているのが、(言葉は悪いですが)「本当の田舎」出身者ではなく、(ある程度)都会暮らしの楽しさを知っている地方の大都市で育った女性たちだということになるでしょう。

 「親元を離れたい」「新しい生活を始めたい」、そして「出るなら「今しかない」といった思いが、(想像ですが)20歳前後の未来ある彼女たちを東京へと突き動かしているのでしょうか。大学進学、一流企業への就職、そんなタイミングに合わせて上京していく彼女たちを、親たちもまた「仕送り」などで応援しているのかもしれません。

 とにもかくにも、若年世代の人口移動を都道府県別で見ると、この10年間で全国33の道府県で男性より女性が多く流出しているとのこと。栃木県2.4倍、富山県2.1倍、鹿児島県2.1倍など、中には男性の2倍を超える女性が去っている地域もあるのが現実です。

 (この地域が「特に」ということではないでしょうが)地方では今でも「男の仕事と女の仕事」といった固定観念の下、性別による役割分担をしている企業なども多いと聞きます。仕事の内容ばかりでなく、男女関係なく多様なライフデザインを組み立てられ、のびのびと暮らせる社会があってなんぼのこと。自分がかなえられなかった「東京の都会暮らし」に憧れて、娘の背中を押すお母さんなども多いことでしょう。

 いずれにしても、地元の高校を卒業した女性にとって「大学進学」が普通の選択肢となっている現在、自らの将来を考えれば東京への進学はまさに「キャリアの王道」と言えるかもしれません。

 そして、東京で4年間の学生生活を謳歌した後、彼女たちが魅力を感じることのできるような労働市場が、親元から通えるような場所にあるとは限らない。結果、自らのスキルを生かせる選択肢が多く、多様な働き方ができ、様々な人との出会いがあって刺激的な東京に、20代前半の女性が集まる傾向が続いているということでしょうか。

 少子化の原因を東京一極集中に求める声が高まる中、そんな彼女たちに責任を押し付けるような声が上がっているのは極めて残念な話。少子化の問題は別にして、もしも地方が若い女性を取り戻したければ、できることは判っているはず。

 まずは地域のオジサンたちが心から深く反省し、彼女たち若い女性が魅力を感じられるような街づくり、社会づくりを進めることしかないと思うのですが、果たしていかがでしょうか。


#2657 ハードクレームとカスタマーハラスメント

2024年10月26日 | 社会・経済

 お付き合いのある企業で従業員向けのカスタマーハラスメント対応についての研修をやるというので、お願いして後ろの方の席で聴講させてもらいました。

 不特定多数の顧客を直接相手にする企業にとって、切っても切れないのがカスタマーハラスメントの問題。折からの(モンスタークレーマーによる)雇用者の深刻な被害の増加に厚生労働省も2022年にようやく重い腰を上げ、「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」を公表、対策を具体化させたところです。

 同省が2020年に実施した(男女8000人を対象とした)調査によれば、顧客から著しい迷惑行為を受けたと回答した人は全体の15パーセントに上り、セクハラよりも被害率が高かった由。その内容は「時間の拘束や同じ内容を繰り返すもの」「名誉棄損、侮辱、ひどい暴言」が50パーセント以上を占めており、金品の不当要求以前の問題として、窓口の従業員が顧客のストレスのはけ口となっていることが窺われます。

 前述のマニュアルによれば、カスハラの定義は「顧客からのクレーム・言動のうち、当該クレームの言動の要求の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当のものであって、当該手段・態様により、労働者の労働環境が害されるもの」とされています。

 簡単に言えば、①顧客のクレーム自体が妥当なものであるか、②要求しているものが社会通念上妥当なものか、③要求を実現するための言動が相当なものか…辺りが判断基準になりそうです。しかし、本人にその不当性に対する自覚が薄い(というより「ほとんどない」)ケースが多いうえ、自らの行為を「相手のため」「正義」と勘違いしている場合などもあって、その対応は一筋縄ではいかないようです。

 研修では、①対応は個人任せにせず組織で行うこと、②相談窓口を置き(深刻な場合は)専門の職員に対応させること、③被害を受けた従業員のメンタルヘルスのケアを行うこと…などが示されましたが、一方で(それ以前の対応として)特に重要となるのが、現場での「ハードクレーム」をカスハラに発展させないことだという話もありました。

 クレームを受けた場合の対応としては、まずは①対象を明確にして謝罪すべきところは謝罪すること。②状況を正確に整理して把握すること。③相手の事情や主張を(もういい)というくらいまでしっかり聞くこと。そして、④できることとできないことを明確に示すこと…などがそれに当たるようです。

 しかし、そうはいっても「お客様は神様」の発想が根強い日本のこと。自分はお客様、もしくは被害者だという優位性をかさに着て、強い言葉で際限のない要求を突きつける常習的な猛者もきっと多いことでしょう。

 一方、そもそも(前述のように)窓口に居座る多くのクレーマーが、自分のことを「不当なクレーマー」だとは思っていないのもまた現実。多くの人が、顧客の正当な権利の行使として自らの主張を伝えているだけ、もしくは態度の悪い従業員を「教育してやってる」くらいに思っているに違いありません。

 また、最初はそこまでエキサイトするつもりはなかったのに、あまりに話が通じないので(イライラが高じて)強い口調で相手を非難してしまった。たとえ無理と分かっていても、相手の困る顔を見たくて難題を吹っかけてしまった…といった(現場成長型の)モンスター多いかもしれません。

 思えば、現代社会は(以前に比べ)極めてストレスフルなものなりつつあるのもまた事実。人手不足・コストカットの波に押され、日常的な「サービス」の様態も大きく変化しています。

 スーパーマーケットで買い物をしても、支払いはその多くが(以前はなかった)セルフレジ。やり方を聞こうにも、担当者は一人きりでお年寄りのお客さんに付きっ切り。慣れないバーコードの読み込み作業や面倒くさい袋詰めなどを強いられているお客さんたちは、イライラと諦めを募らせている表情です。

 買ったばかりの電気製品が上手く動かなくなって「カスタマーセンター」に電話をしても、なかなか電話が繋がらないうえ、繋がったらつながったで「〇〇の場合は1を、××の場合は2を…」といった自動音声を延々と聞かされる。ようやく担当者につながるかと思えば既に「サービス時間外」だったりして、実際、翌日に会話を始めた時には既に最初から「ケンカ腰」だったりしています。

 銀行では支店の閉鎖や窓口の縮小が続いており、(事前に予約していなければ)ほんのちょっとした手続きでも1時間や2時間待たされるのは覚悟しなければなりません。

 先日訪れた某メガバンクの窓口では、待合整理券を手にした老婦人が案内係の女性行員に「もう1時間も待っている」「待っている人が多いのだから閉めている窓口を開いてほしい」と、強い言葉で抗議しているのを見かけました。

 ほどなく彼女の順番は来たのですが、どうやら彼女は満期になった定期預金を下ろしに来た様子。3000万円を「現金でほしい」という彼女に、「マネーロンダリング防止のため現金での支払いにはすぐには応じられない」と答える銀行員。すると彼女は、「マネーロンダリングが何かは知らないが、私が悪事を働くような人間に見えるのか。失礼ではないか」と応戦し、周囲の視線を集める事態となりました。

 「そういうことではないのですが、金融庁の指導で…」云々と弁明する行員に、彼女は「長年貯めた自分のおカネなのに降ろせないというのはどういうこと?」「あなたでは話にならない」と一喝。「それでは…」ということで「別室」に案内されていきました。

 はたで見ていても、彼女の主張は当然のことのように聞こえましたが、銀行側から見たら、この老婦人も立派なハードクレーマーなのかもしれません。自らのシステムに染まってしまうとそれが当然になり、大事な「顧客目線」を失ってしまうこともあるのでしょう。

 誰もがカスハラの加害者にもなり得るこの時代、サービスの在り方や窓口の状況には気を配りたいもの。従業員を守るためのカスタマーハラスメントへの対策は対策として、ハラスメントに当たるかどうかの見定めやクレームコントロールの重要性についても改めて気づかされたところです。


#2655 選択的夫婦別姓と、なんだかんだ言って決められない自民党

2024年10月22日 | 社会・経済

 10月22日の日本経済新聞の経済コラム「大機小機」が、今回の衆議院議員選挙における政策の目玉ともなっている「選択的夫婦別姓」導入問題に触れています。(「選択的夫婦別姓を決められない政治」2024.10.22)

 1996年に法制審議会が導入を盛り込んだ民法の改正要綱を答申したものの、与党内の意見がまとまらないまま議論が先送りされてきた選択的夫婦別姓制度。2021年になって再び自民党内にワーキングチームが立ち上げられ、さらなる検討を行うとこととされたが、ここでも結局意見交換の場は持たれず仕舞い。そして今年、ようやく中断していた議論が再開されたものの、いまだ「期限を設けず丁寧に議論を進める」ことが確認されたにすぎないと、筆者は経緯を綴っています。

 そんな折、今回の自民党総裁選で再び選択的夫婦別姓の導入に日の目が当たったが、なぜかそれもここにきて、政府は再び及び腰になっているというのが筆者の認識です。

 石破首相は就任前のテレビ番組で「やらない理由がよくわからない」と発言するなど、導入に前向きな考えを示していた。しかし、就任後は「国民各層の意見や国会における議論の動向等を踏まえ、さらなる検討をする必要がある」と政府の従来見解を繰り返し、さらに「自民党内で結論を得たい。反対を押し切って結論を得ることはしない」と述べるにとどめているということです。

 この問題について、「石破政権では結論は出さない」という意思表示とも見えるこの発言。民法改正の答申から約30年。世の中が大きく変わる中で、今や婚姻時に夫婦同姓しか選択できない国は日本だけだと筆者は厳しく指摘しています。

 政治家は国民的議論が必要というが、国民の認識は既に深まっている。選択的夫婦別姓に賛成は62%、反対は27%という世論調査もあるし、別の調査では「積極的に結婚したいと思わない理由」として、「名字・姓が変わるのが嫌・面倒だから」と答えた女性が3割程度に達しているということです。

 今年になって、経団連は改めて、選択的夫婦別姓制度の早期実現を政府に求める提言をとりまとめた。民法改正案を一刻も早く国会に提出するように促したと筆者は話しています。

 経済界がこうした提言をするのは異例のこと。旧姓の通称使用では様々なトラブルが生じており、企業にとってビジネス上のリスクになっているとも指摘しているということです。

 さて、石破首相としては(前述の発言からして)おそらく夫婦同姓にそれほどまでのこだわりを持っているわけではないのでしょう。実際、海外の多くの国では(選択的)夫婦別姓は当たり前で、それが家族を分断するような大きな問題になっているという話は聞きません。

 一方で、これほどまでに世論が盛り上がっているのに、政府は何故、呆れるほどに及び腰になっているのか。

 国会にしばしば提出されている「選択的夫婦別姓の法制化反対に関する請願」には、①夫婦同姓制度は、夫婦でありながら妻が夫の氏を名乗れない別姓制度よりも、より絆の深い一体感ある夫婦関係・家族関係を築くことのできる制度、②結婚に際し同じ姓となり、新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数…といった文言が並んでいます。

 しかし、国民の動向を見ても別姓を否定する意見は既に少数派となって久しく、増してやこの制度自体、(「選択的」の言葉どおり)これまでどおり夫婦同姓を名乗れなくなるわけでもありません。このような現状を鑑みる限り、選択的夫婦別姓についてここで議論を避け結論を出さないのは、もはや政治の怠慢ではないかと筆者はコラムの最後に綴っています。

 いまだ「昭和」の空気を引きずり、経済的にも閉塞的な状況にある現在の日本。結婚しない若者たちが増え、少子化が進んでいる現状にもいまだ打開策は見えてきません。

 看板となる総裁が変わっても、中身は変われない自民党。このままでは、この一点をもって「政権交代」の引き金を引くことにもなりかねないと感じるのは果たして私だけでしょうか。

 結論の先送りが続く選択的夫婦別姓問題は、様々な課題に直面していながら改革の先延ばしを続ける、変われない日本を象徴しているのではないかとコラムを結ぶ筆者の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2653 人は何を求めて結婚するのか?

2024年10月17日 | 社会・経済

 なぜ日本の若者たちの未婚化は進んでいるのか?…こうした疑問に対して、8月29日の総合経済サイト「DIAMOND ONLINE」が、家族社会学者の山田昌弘氏へのインタビューを踏まえ『「あえて結婚しない女性」が増えた真の理由、実は「仕事や趣味」のせいではなく…』と題する記事を掲載しているので、引き続き当欄に概要(その2)を残しておきたいと思います。(『#2652 「きちんとした相手と結婚すること」へのプレッシャー』から続く)

 男性間の所得格差が広がるこの日本においては、世間で言うところの「結婚に適した男性」の数自体が減っている。「結婚に適した相手」に出会いにくくなっている時代の到来を踏まえ、「そもそも人は何を求めて結婚するのか」を考えるため、いま一度、結婚のメリットを整理しておきたいというのが記事の考えです。

 記事によれば、山田氏はインタビューに答え、「先々の将来を見据えた長期的な視点で言えば、結婚することにメリットはある。老後に独身だと寂しい思いをするし、最悪の場合、孤独死に至るリスクもある」と話しているということです。

 一方で、若くて元気な時には、自由に行動できてお金を使える独身であることにメリットがある。このため、結婚には短期的なメリットはあまり感じられないというのが山田氏の指摘するところ。そうした中、若いときは長期的なメリットを得るためだけに行動するわけではないので、短期的なメリットも感じられる相手でなければ結婚する気には(なかなか)なれないということです。

 (ここで言う)「短期的なメリット」というのは、例えば一緒にいて楽しい相手であるということや、今よりも豊かな生活ができるということ。しかし、豊かな生活というメリットを結婚に求めるのは、女性が自分よりも収入が高い独身男性に出会いにくい今の時代、なかなか難しいだろう…というのが山田氏の認識です。

 一方で、女性には出産のタイムリミットというものもあって、30代後半に差し掛かると、多少の妥協をしてでも結婚を決める人も出くる。しかし、その場合も、子どもの父親として一緒に子育てをしていく相手を選ぶわけなので、妥協にも限界があると氏はしています。

 一人で子どもを産んで育てる女性の生き方も注目されているが、それはやはり少数派。無職だったり、暴力男だったりといった極端なケースを除けば、一般的には父親がいた方がいいケースが多いはずだということです。

 さて、若い時代は独身で気楽に過ごす生活も魅力的に見えるもの。しかし、老後に一人で生活せざるを得なくなる未来を考えると、いずれは誰もが身の振りを考えなければいけないタイミングを迎えることになると記事はここで指摘しています。

 どんな社会になれば、結婚に適した相手に出会いやすくなるのか。そして、もし結婚せずに生きるという選択をするとしたら、どんなことに気をつけなければいけないのか。記事によれば、「妊娠出産を視野に入れないのであれば、そもそも結婚適齢期という考え方に囚われる必要はない」と山田氏は話しているということです。

 50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合を示す「生涯未婚率」が大幅に上昇する中、老後に訪れる不安を解消するために自然と行き着くのは、結婚適齢期ではなく、50歳など老後を見据えた年齢での結婚だというのが氏の指摘するところです。

 実際、日本における「高齢婚」は着実に増えている由。子どもを持つことはできなくとも、幸い今はいろいろなつながりを持つことができる時代となった。高齢になってから結婚しても、その後の人生を十分に楽しんでいくことができる環境が整っているということです。

 女性が働くことが一般的になり、誰でも結婚・出産を経験するわけではない現代には、確かに様々な選択肢があってしかるべきだと記事は最後にまとめています。

 結婚しない女性もいるし、結婚や出産を何歳で経験するかによっても女性の生き方は大きく変わる。典型的なモデルケースが通用しない時代に突入している今、それぞれが自分の求める幸せを手に入れることができる社会になることを願ってやまないとする記事の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2652 「きちんとした相手と結婚すること」へのプレッシャー

2024年10月16日 | 社会・経済

 岸田文雄首相が「異次元」と称する政府の少子化対策。その中核をなす「改正子ども・子育て支援法」が今年の6月に成立しました。児童手当の支給額アップや所得制限の解消などに必要な財源として(新たに)「子ども・子育て支援金」が創設され、2026年度から徴収が始まるとされています。

 (もちろん)その背景にあるのは、持ち直しの気配すら見せない日本の少子化です。2023年に生まれた日本人の子どもの数、そして合計特殊出生率も過去最低を更新中。そして、この少子化の加速に大きな影響を与えているとされるのが、結婚する人たちの減少です。

 ピークだった1970年頃は年間100万組を超えていた婚姻数も、2011年以降は年間60万組台で推移。コロナ禍に見舞われた20~23年には、戦後初めて50万組を割り込むまでに減少しています。

 よく言われるように、婚外子が(極端に)少ないこの日本では、少子化の主な要因としてこの「未婚化」が挙げられることが多いようです。実際、(国立社会保障・人口問題研究所によれば)、2020年の「生涯未婚率」(50歳時の未婚率)は男性が約28%、女性が約18%に上昇しており、結婚しない人は増加傾向に歯止めがかかる様子は見られません。

 なぜ日本の若者たちは「結婚」に二の足を踏むようになったのか?…こうした疑問に対し、8月29日の総合経済サイト「DIAMOND ONLINE」が、中央大学教授で家族社会学者の山田昌弘氏へのインタビューを踏まえ『「あえて結婚しない女性」が増えた真の理由、実は「仕事や趣味」のせいではなく』と題する記事を掲載しているので、参考までに(2回に分けて)その概要を当欄に残しておきたいと思います。

 「多様性」という言葉が強く意識されるようになった日本の現代社会において、男女ともに結婚しない人生を選ぶ人が増えている。実際、1990年と2020年の国勢調査を見ても、25歳~29歳の女性の未婚率は40%から65%、30歳~34歳の女性の未婚率は14%から39%と、大幅に上昇していることがわかると記事はその冒頭に指摘しています。

 自由な選択が可能な世の中へと変化して久しいが、一方、それでも依然として、結婚適齢期と呼ばれる20代後半~30代の女性たちは、周囲からの「結婚しないのか」というプレッシャーに晒されている。結婚するかしないかは個人の自由であるはず。しかし、それでも社会にはいまだ古くからの価値観が残っているというのが記事の認識です。

 これをより正確に表現するならば、日本社会は『きちんとした相手と結婚する』ことへのプレッシャーが強い社会だということ。なので、例えば非正規雇用の男性と結婚しようとすれば、「そんな相手とは結婚するな」というマイナスのプレッシャーを周囲から与えられることも多いということです。

 しかし、男性間の所得格差が広がる中、世間で言うところの「結婚に適した男性」の数自体が減っているという現実も(一方で)存在している。そしてそれゆえに、この日本は結婚しにくい社会になっているのではないかと、山田氏はインタビューで語っているということです。

 実際、2022年の就業構造基本調査によると、正規雇用の男性の所得を比較した場合、既婚男性の25~29歳と55~59歳では、年収中央値が424万円から667万円へと約1.6倍増になっている由。これに対し、未婚男性は、同366万円から458万円へと約1.2倍増にとどまっていると記事はしています。

 まずは収入の面で結婚の「条件」をクリアできなければ、競争の土俵にも上れないということでしょうか。実際、ネット上に公開されているアンケート調査(「結婚で重視したいことに関する調査」タメニー2026.2)などを見ても、「自分より収入が高い」パートナーを重視する割合は男性19.1%に対し女性は66.1%と、「外で稼ぐ夫」を期待する女性はまだまだ多いようです。

 「衣食足りて礼節を知る」「幸せな家庭生活は、まずは家計の安定から」という、若い女性たちの本音をどう受け止めるのか。現役世代からお金を徴収し、子育て世代にバラ撒くことも(時には)必要かもしれませんが、政府には若者や社会の実態を踏まえた「異次元の」対策を打ってほしいと、改めて感じるところです。


#2650 「コメ不足」の背景にあるもの

2024年10月11日 | 社会・経済

 先日、訪れた近所のスーパーマーケット。(買い置きが少なくなったので)そろそろ新米を買おうと商品棚を探したところ、「入荷待ち」の札が(がらんとした陳列棚に)ポツンと置かれているのに驚かされました。

 「それでは…」ということで、電子レンジで温めるだけのパックご飯の棚に目をやったところ、何とこちらも「売り切れ」の様子。この夏以来、お米の品薄状態が続いているとはテレビニュースなどで見聞きしていましたが、(稲刈りも終盤の)10月にもなってまだこれほどとはと、半分呆れた次第です。

 もとより、一人当たりの米消費量が減少傾向にある中、今回の「コメ不足」は、実際にお米の供給が滞っているというよりも、台風や地震などで各家庭が(非常用にと)買い置きを増やし、それをメディアが報じたことで一時的に需要が増えたことが原因と聞いています。

 実際の供給量が減っているのであれば備蓄米の放出もあったのでしょうが、結局、米価の下落を気にした(=生産者の方しか向いていない)政府にそうした動きはなく、結果、ちょっとした「風評」によって何か月も「コメ不足」が続いている状況です。

 一方、コメ農家から言えば(今回の騒ぎで)24年産新米の出荷価格は例年の1.4~1.5倍に高騰し、思わぬ収入増となっているとのこと。構造的な「コメ余り」の状況を受け減反政策を続けてきた政府の立場から言えば、(もしかしたら)「結果オーライ」というところかもしれません。

 しかしまあ、なぜにしてこんな混乱が起こったのか。日本人の主食であるはずのコメ需給管理の脆弱さを感じていた折、9月27日の情報サイト「Newsweek日本版」に経済評論家の加谷珪一(かや・けいいち)氏が『コメ不足が、「一時的」でも「偶発的」な問題でもない理由』と題する論考を寄せていたので、参考までにその主張の一部を残しておきたいと思います。

 今年の夏以降コメ不足が顕著となり、一時は小売店の棚から商品が消えるという事態にまで発展した。政府は天候不順やインバウンドの増加による需要拡大が原因として新米の出荷が始まれば品薄は解消されると説明してきたが、新米の出荷が始まっても品薄は改善せず市場の混乱が続いていると、加谷氏はこの論考に綴っています。

 近年、コメに限らず多くの食品が品薄になったり価格が高騰するケースが相次いでいる。その都度(政府からは)「一時的な要因なので消費者は冷静に対応してほしい」旨の要請が行われるが、一時的、偶発的要因で多くの商品が次々と品薄になったり、価格が高騰することはあり得ない。こうした現象の背後には、ほぼ確実にマクロ的な要因が存在していると考えるべきだと氏は言います。

 今回についていえば、天候不順によって生産が減ったりインバウンドの増加で外国人向け消費が拡大したのは確かに事実かもしれない。しかし、ただそれだけの理由でスーパーの棚から商品が消えたり、新米価格が1.3~1.5倍に急騰するのは不自然だというのが氏の考えです。

 では、なぜ実際にスーパーからお米が消えているのか。コメ不足と価格高騰の最大の理由は、日本人がコメを食べなくなり、市場が縮小してて価格変動(ボラティリティー)が拡大したことにあると、氏はここで説明しています。

 コメの需給や価格を政府が管理する食糧管理制度は1995年に廃止されたが、政府は今でもコメの需給や価格について一定の管理を続けている。需要が減るなかで生産量を維持すれば値崩れするので、政府は生産量を調整する減反を実施してきたということです。

 制度としての「減反」も2017年度に終了したとされるが、補助金などを通じて生産量を調整する仕組みは現在も存続。実際に、コメの生産量は年々減っていると加谷氏は言います。

 規模が縮小する市場では、生産量や需要にごくわずかな変化が生じただけでも商品価格が激しく上下変動する(ボラティリティーが高くなる)のは経済学では一般的な話。備蓄米を放出しないなど政府の運用に問題はあるが、日本人がコメを食べなくなっている以上市場が小さくなるのは当然であり、単価を上げなければ農家も経営を維持できないということです。

 日本人がコメを食べなくなったのは嗜好の変化だけでなく、経済的要因も無視できない。コメを小売店で購入し、自宅でといでおいしく炊き上げるには相応の手間と設備が必要で、生活(や時間)に追われる低所得層は、こうした生活を享受することが難しくなりつつあると氏は話しています。

 つまり、おいしいご飯を炊くには一定以上の経済力が必要であり、今の日本においてコメはもはや高級品となりつつということ。今回のコメ騒動をきっかけに「自給率を上げよ」「コメを守れ」という勇ましい意見も出ているが、そもそも日本人がコメを食べなくなっている(食べられなくなっている)のに、自給率を上げて市場を拡大するのは至難の業だというのが氏の見解です。

 確かに自分の生活を振り返っても、(加谷氏も指摘するように)自宅でご飯を炊く機会はずいぶん減ったような気がします。量販店で勧められて高機能の炊飯器を購入したものの、出番は相当に減っている。近所のスーパーでおいしいパンも簡単に手に入るし、高齢化の折、糖質である米を控える家庭も増えていると聞きます。

 世界に目を向ければ、コメ以外の食品についても世界的な人口増加と経済拡大に生産が追い付いていないという現実が背景にあり、もはや食料品は全世界的な争奪戦となっていると氏は説明しています。

 一連の問題は、もはや「自給率の低下」といった単純な話ではなく、国家全体の購買力に関わる問題となっている。海外市場で日本のバイヤーが(新興国に)「買い負ける」事態が続く中、日本経済が本格回復しない限り、慢性的なモノ不足が続く可能性があるとこの論考を結ぶ加谷氏の指摘を、私も深刻に受け止めたところです。


#2649 サラリーマンはお金持ちになれない?

2024年10月09日 | 社会・経済

 生命保険大手の第一生命が毎年募集している「サラリーマン川柳」。今年の募集期間は9月17日から10月31日までで、1位に入選すると賞品として(タラバ・ズワイ・毛ガニが詰め合わせとなった)特製「かに三昧」セットがもらえるということです。

 毎年かなり話題になるコンクールにもかかわらず、1等賞品が「蟹セット」というのは何とも(サラリーマン)「らしい」感じですが、毎5万件を超える応募があることからもその人気ぶりがわかります。

 因みに、応募総数が6万6,949句となった昨年(2023年)の栄えある1等賞は、「増えるのは 税と贅肉 減る贅沢」というもの。第2位は「物価高 見ざる買わざる 店行かず」という内容で、いずれも折からの物価高や税負担に疲弊するサラリーマンの生活を描いたものでした。

 国税庁の『民間給与実態統計調査(2022)』によれば、1年を通じて勤務したサラリーマン(給与所得者)の平均給与・手当額は368万5,000円とのこと。月々の給与額を単純計算すると、(ボーナス分も含めて)30万7,000円ほどになりますが、これが「手取り」となると23万円程度にまで減ってしまうのが現実です。

 稼いでも稼いでも、所得税やら地方税やら社会保険料やらで2割から3割も持っていかれては、諸物価高騰の折、(川柳のとおり)贅沢などをしている余裕はないのが実態でしょう。「新NISA」や「iDeCo」などを使った資産形成が鳴り物入りで奨励される昨今の日本ですが、サラリーマンへのしわ寄せが顕著なこうした状況では、政府の目論見の達成にはまだまだ時間がかかるかもしれません。

 そうした折、9月30日の金融情報サイト「THE GOLD ONLINE」が、お金のソムリエ協会会長の坂下仁氏の近著『新版いますぐ妻を社長にしなさい』(フォレスト出版)を踏まえ、「サラリーマンのままではお金持ちになれないワケ」と題する記事を掲載しているので、参考までに内容を紹介しておきたいと思います。

 何故、サラリーマンは「お金持ち」になれないのか。坂下氏はそのもっとも大きな理由として、法人(資本家)は節税できるが、個人(サラリーマン)は節税できないことを挙げています。

 例えば、課税所得が330万円超の人の実質的な(公的)負担率は60%に及ぶと氏は説明しています。整理すると、従業員が負担する社会保険料は(15%だと思われがちだが)労使折半する建前で給料を逆算するので実質負担は30%。これに、所得税20%、住民税10%を加えると、20+10+30で=60%になるということです。

 これは、(見方を変えれば)手取り400万円のサラリーマンは、本来、1,000万円の収入があったということ。給与明細に載らないので、多くの人はそこに気づかない。財務省によると、2020~2023年の潜在的国民負担率(税金+社会保険料)の平均値は6割弱とされているが、なるほどつじつまが合うというのが氏の指摘するところです。

 一方、サラリーマンと好対照なのが法人(資本家)の取り扱い。日本の法人の99%以上を占める中小法人の実効税率は約20%なので、1,000万円の収入があれば、手取りはおよそ800万円になると氏は言います。稼ぎが同じ1,000万円でも、資本家は(手取りが)800万円。サラリーマンは400万円なので、2倍も差がついているということです。

 サラリーマンから見ればかなり理不尽に見える内容だが、資本主義社会とは(あくまで)「資本家のための」社会。なので、社会の仕組みも法律も資本家に有利になっていて、そこは簡単には変えられないというのが氏の見解です。

 と、いうわけで、トマ・ピケティも言うように「資本による富のほうが、労働による富よりも増える」という不等式「r>g」が日本でも成り立っている。では、どうするか。社会や法律を変えられない以上、自分が変わるしかないと氏はここで断じています。

 割を食うサラリーマンが嫌なら、自分が資本家に変わればいい。「資本家になれるのはお金持ちだけ」「自分にはムリ」といった常識は捨てて、まずは資本家の仲間入りを果たすこと。なぜなら、お金持ちが資本家になるのではなく、資本家がお金持ちになるからだというのが氏の見解です。

 氏はここで、世のサラリーマン諸氏に向けて具体的な提案をしています。それは、夫は個人(サラリーマン)のまま妻が法人(資本家)になるというもの。夫はサラリーマンを続けながら、夫婦でプライベートカンパニー(自分法人)をつくり、妻に社長に就いてもらうというものです。

 何も気圧される必要はない。プライベートカンパニーは3時間もあれば誰でもつくれると氏は話しています。あとは、それを妻が所有するだけ。すると、サラリーマンでは考えられないような節税が可能になるということです。

 「人生100年時代」と呼ばれる長寿社会においては、誰もが100歳まで生きることを前提に人生設計をしなければならない。職を探す65歳以上の高齢者がこの10年で倍増する中、何か事業を見つけて妻社長メソッドを実行できれば、収入の道は途絶えないと氏は言います。

 さらに、法人所有(名義)の財産には相続税がかからないので、自分が死んでも周囲が困ることはないし手続きに面倒もない。(夫婦仲さえ問題なければの話ですが)妻を社長に法人を設立するのには、こうした様々なメリットあるということです。

 例えば、役職定年や定年退職をひとつのタイミングとして法人を作れば、貴方も「資本家」の仲間入り。労働者として搾取されるばかりではない新しい人生が開けるかもしれないと思えば、夢も広がるというものです。

 前出の「サラリーマン川柳」の15位に、「『どう生きる』 AIに聞く我が老後」という句がありましたが、(この際)会社が決めた「定年」や「老後」に見切りをつけて、生涯現役として生きるのも「あり」なのではないかと記事を読んで私も改めて感じたところです。


#2648 蘇る不動産神話

2024年10月08日 | 社会・経済

 東京都を中心とした首都圏で、「家が高くて買えない」という切実な声が数多くあがっていると、5月17日のNHKニュース(首都圏ネットワーク)が報じています。東京23区の新築マンションの売り出し価格は平均でも1億円を突破(2023年)。この10年でおよそ2倍にまで跳ね上がり、子育て世帯の中には共働きでも予算に収まる家が見つからないという人も多いと伝えています。

 なぜ、首都圏の住宅は高騰しているのか。その理由としては、①都内では広い土地が減り供給できる戸数が減少したこと、②土地代や建築費などのコストが上昇していること、さらに③マンションの高層化や高機能化により高価格帯で勝負する物件が増えていること…などが挙げられているようです。

 中でも、23区を中心とした東京の地価の上昇は深刻で、様々なデベロッパーが手ごろな価格での住宅供給を目指し、神奈川、埼玉、千葉の周辺3県にまで対象を拡大し、開発可能の土地の確保に熾烈な競争を繰り広げているということです。

 「土地神話」「不動産神話」と聞けば、バブル経済真っ盛りの頃、低金利政策により市場にあふれた資金が株式市場や不動産市場に流れ、急激な地価高騰が起こったのを思い出す人も多いでしょう。

 ムードに同調したメディアがテレビや新聞など通じて地価高騰や価値上昇を過剰にあおり、土地神話は一気に拡大。しかしその一方で、「住宅が手に入らない」といった中間層の反発は政府に向かい、結果として生まれた不動産市場への介入や極端な金融引き締めがバブルの「崩壊」を招いたのは、既に懐かしい思い出と言えるかもしれません。

 さて、東京一極集中が指摘される中、こうして首都圏の各地で進む住宅開発。外資による日本の不動産市場への参入なども支えとして、この日本でもかつてのような不動産バブルが繰り返されることになるのでしょうか。

 8月30日の総合情報サイト「Newsweek日本版」に、経済評論家の加谷珪一氏が『インフレと金利上昇で揺れる不動産市場...「持ち家」「賃貸」論争に変化の兆し?』と題する論考を寄せていたので、参考までに小欄にその一部を残しておきたいと思います。

 戦後の日本において、不動産に対する価値観は大きく2度激変してきた。そして現在3度目の変化の時期を迎えていると加谷氏はこの論考で指摘しています。

 戦前の日本政府は、太平洋戦争を遂行するために国債を次々と発行。国家予算の280倍という途方もない金額の財政支出を行った。そして日本は戦争に負け、都市部の多くが焦土と化したと加谷氏は説明しています。

 日本の国債はほぼ全額が日銀の直接引き受けで賄われていたことから、戦後はハイパーインフレとなり、国民の預金はほぼ全額、価値を失った。一方、(その反動から)物価上昇分以上に価値が高まったのが不動産で、戦争直後の日本で、一気に富裕層として台頭したのは土地所有者だったというのが氏の認識です。

 日本経済が高度成長に入った後も不動産価格は上昇を続け、巷では「土地神話」という言葉が飛び交うようになった。高度成長期を通じ、銀行の融資は土地を担保にすることが当然視され、土地は何よりも価値の高い資産として認識されていたということです。

 1980年代のバブル時に異様なまでに土地価格が高騰したのも、不動産に対するこうした信仰があったからにほかならない。しかし、バブル崩壊とともに日本の土地神話は完全に消滅。土地を担保とした不良債権の処理に10年以上もかかる状況となり、日本人の土地への認識は大きく変わったと氏はしています。

 「失われた」と呼ばれる20年余りの期間、日本経済はデフレ基調の下で低迷。不動産価格が上向く兆候はつとになく、家賃も低迷していたことから、住宅は所有せず一生賃貸のほうがリーズナブルであるとの価値観も浸透してきたというのが氏の指摘するところです。

 一方、こうした考え方がスタンダードになると思われた矢先に実施されたのが安倍政権による大規模緩和策だと氏は続けます。景気回復を目的に日銀が大量の国債を買い入れ、市場には大量のマネーがあふれ出た。しかし、銀行は良い融資先を見つけることができず、余剰マネーの大半は不動産開発に向かったということです。

 その結果、30年にわたって低迷が続いた日本の不動産市場は一転、本格的な上昇モードに入った。整理すると、戦後日本における不動産価格は、終戦後のハイパーインフレを起点に継続的な上昇フェーズが続き、バブル崩壊をきっかけに長期の上昇相場が終了したということ。そして大規模緩和策の結果、30年の時を経て、再び長期上昇フェーズに入ろうとしているというのが(現在の状況に対する)氏の解釈です。

 大規模緩和策の影響が大きいという点では、日本は先進各国の中で突出した状況にあるものの、余剰マネーが不動産に向かうという現象は日本だけのものではない。世界各地で不動産価格は上昇を続けており、庶民の生活水準と乖離する問題は各国で指摘されていると氏は言います。

 そうした視点から総合的に世界の不動産市況について考えた場合、日本はもちろんのこと、全世界的に不動産にマネーが集まっており、当分の間、不動産価格の上昇が続く可能性が高いというのが氏の見解です。

 世界経済の機関車となってきたアメリカ経済に鈍化の兆しは見えるものの、中東情勢が悪化していることから原油価格は再び上昇に転じるとの予想もある。今後もインフレ傾向が続くということであれば、仮に不動産市況が悪化しても、中国のように一旦は下落に転じるものの、それなりの価格で市場が推移する可能性も十分にあるということです。

 結局のところ、「失われた」と言われる30年の間、それなりに落ち着きを見せていた日本の不動産市場も、経済の「正常化」とともに(ここに来てようやく)次のフェーズに移り始めているということなのでしょう。

 そう考えれば、(何か極端なことが起こらない限り)当面、日本の不動産市場が活況を呈するのは不思議でも何でもない。円の価値が下がり、または不安定になればなるほど国民に頼りにされるのが日本の不動産だと考える加谷氏の視点を、私も興味深く受け止めたところです。


#2647 あるべき家計支援とは?

2024年10月05日 | 社会・経済

 東京都独自の子育て支援策の柱として、都内在住の0歳から18歳までの子どもを対象に月額5000円(年間最大6万円)を支給する「018サポート」事業。都知事選挙に合わせ(るように)昨年度(2023年度)から始まった同制度ですが、本年度も継続して実施さるようです。

 必要とされる予算はおよそ1261億円とのこと。その他にも、東京都では独自の子育て支援策として、第2子への保育料無償化(110億円)、私立中学生に対する1人当たり年10万円の助成(40億円)、東京都立大学の授業料無償化(準備費に2千万円)など、対象に所得制限を設けない給付金を積み上げています。

 こうした(ある意味「なりふり構わない」)小池都政のやりかたに、首都圏近隣県の知事からは「(都とは)税収構造が全然違っていて太刀打ちができない(神奈川県黒岩知事)」「まだやるのっていう感じ(千葉県熊谷知事)」「自治体の税収の格差によって保護者の負担に大きな差が生じている状況は住民にとって不公平(埼玉県大野知事)」など批判の声も上がっているところです。

 確かに、若い子育て世代にとって、数万円単位の現金が直接振り込まれるのは助かる話。家賃の高い東京都に住んでいて良かったな…と(きっと)感じていることでしょう。しかし、そもそも生活費のかかる都内に住んでいる子育て世代には、それなりに恵まれた世帯が多いのもまた事実。恩恵を受けている人々に向け「バラマキ」の言葉は口にしづらいものの、実は「本当にこれでいいのかな?」と感じている都民も多いかもしれません。

 そうした折、7月26日の日本経済新聞の経済解説欄である「経済教室」に、東京都立大学教授の阿部彩(あべ・あや)氏が「あるべき家計支援、普遍的な現金給付避けよ」と題する論考を寄せていたので、参考までに小欄にもその主張を残しておきたいと思います。

 近年、様々な形で行われるようになった公費による家計支援。2024年度税制改正でも、1人あたり所得税3万円、住民税1万円の定額減税が行われるほか、燃料油価格の激変緩和措置や(「夏を乗り切るため」と始まった)電気・ガス料金への補助など、様々な形で実施されていると氏はこの論考に記しています。

 氏によれば、コロナ禍における特別定額給付金以来、頻繁に行われるようになったこれらの支援策に共通する特徴は、対象者を国民全体としてとらえていることとのこと。こうした普遍的な手法は家計支援だけではなく、子育て支援策でも児童手当の所得制限が撤廃されるほか、3〜5歳児の保育無償化も記憶に新しいということです。

 自治体でも、給食費の無償化が拡大しつつあり、東京都や大阪府では都立・府立大学の授業料無償化に踏み切った。しかしその一方で、保育所も大学も給食費も低所得者に対する支援制度は以前からあるため、これらの施策で新たに便益を受けるのは中高所得層だけだというのがこの論考で氏の指摘するところです。

 こうした施策が広がった背景にあるのは、物価上昇や円安などで膨らんでいる国民の負担感だと氏は言います。「国民生活基礎調査」によると、22年から23年にかけて生活が「苦しい」と感じる世帯は51.3%から59.6%に増えている。全世帯の約6割が「生活が苦しい」と訴える国民感情を背景に、政府は小出しの現金給付策を講じているというのが氏の認識です。

 しかし、物価上昇が一時的なものでない限り、こうした単発の家計支援は一時的な気休めにすぎない。これは一種の「感情政治(Emotional politics)」だと阿部氏はこの論考に記しています。

 「負担感」というのは厄介な感情で、物価が上昇しているのだから(所得の多寡にかかわらず)誰もが「負担が増えた」と感じる。人々の消費行動やライフスタイルは臨機応変に変化させられないので、以前の生活を維持しようと思えば家計が厳しいと感じるのはいたしかたないということです。

 もちろんこうした国民感情を矮小化するつもりはないが、これに普遍的な現金給付や補助金で対処するのはいかがなものか。これらが必ずしも得策とならない理由は大きく二つあると氏はしています。

 一つはもちろん、普遍的な給付・補助金の受益者の大半は生活に困窮しているわけではなく、給付が何に使われるかわからないこと。また、使われなければ貯金として(無駄に)積み上げられていくだけで世の中には回らず、政策効果も上がらないのは言うまでもありません。

 そういえば、一人10万円のコロナの給付金が配られた際に得られた消費増加効果は、等価所得が下位3分の1のグループで 32%、中位のグループで 18%、上位3分の1のグループでは19%程度という分析もあるようです(内閣府HP「特別定額給付金が家計消費に与えた影響」)。給付金の多くが貯蓄に回り、家計の有する金融資産額が急激に上昇したのも記憶に新しいところ。全員にお金を配るというのは、「そういうこと」だということでしょう。

 一方、普遍的給付が必ずしも得策でない2つ目の理由として、阿部氏は「その他」の必要なサービスの給付の拡大を妨げる可能性があることを挙げています。

 負担感の背景には、資源(所得など)と支出の両面がある。氏によれば、(その軽減には)資源の増加のみで対処するのではなく、必要な支出がかからないような国づくり・街づくりをするという両サイドの施策が必要だということです。

 例えば近年、都会でも路線バスが廃止・縮小されたことで生まれている交通難民の問題。その対策として、資源にアプローチする方法は「タクシー代の給付」であり、支出にアプローチする方法は「公共交通サービスの維持・拡充」だと氏は話しています。

 ここで「タクシー代の給付」を普遍的に実施すれば、マイカーを持つ世帯にはただのお小遣いとなる。また、たとえ交通難民を正確に特定して「正しい人」にタクシー代を給付したとしても、その地域に十分なタクシー供給があるかなどの運営面の課題もあると氏は言います。一方、公共交通サービスの提供であれば、「誰に給付をするのか」という面倒かつ不完全な選別をしなくてもよく、確実に交通難民を救える方法といえるということです。

 普遍的な給付のメリットは、受けた「みんな」が「得した」と感じることで、社会全体に広がる急激な負担感の上昇を(一定程度)抑える効果があるということ。一方、デメリットと言えば、政策の効果が一時的であることや、必要のない人にまでお金を配ることでコスパを欠くこと、ほかに回すべき財政資源(予算)まで食ってしまうことなどが挙げられるということでしょう。

 制限のない給付の全てが悪いとは言いませんが、政府や自治体が有権者に対して「現ナマ」を配り、ご機嫌を取るというのが本来的な姿でないのは誰もが感じているはず。選挙も終わったことだし、財政的にもきつくなってきたところ。再選された都知事には、今後はぜひ効果的な資源の投下を行ってほしいなと、改めて感じた次第です。


#2644 シニア頼みの人手不足対策

2024年09月28日 | 社会・経済

 戦後の第一次ベビーブームに生まれた団塊の世代(1947年~1949年生)が50歳代後半を迎えていた今から20年ほど前、金融危機などで経済が大きく低迷する中、各企業の人事担当者は従業員の高齢化対策に追われていました。

 当時、いわゆる「中年」に差し掛かり始めていた自分から見ても、職場に「氷河期」と呼ばれた若者の姿はなく、見渡せば(一応、「管理職」の肩書を持った)定年間際のオジサンだらけ。「窓際族」などといった寂しい言葉が流行ったのもこの頃だったと記憶しています。

 (朝からバタバタしている我々を尻目に)仕事もせずに新聞を読んで、一日をゆったり過ごし給料だけは部長並みという先輩諸氏の姿を見ながら、自分も早く歳を取って「ああいう生活がしたいな」と羨ましく思ったのを今では懐かしく思い出します。

 しかし、いざ自分たちがその歳になってみると、55歳で早くも役職定年となり、給料はそれ以前の3分の2。晴れて60歳で定年を迎えても、退職金が1000万円近く目減りする一方で年金の支給は65歳からで、それまではかつての部下の下で「嘱託」として非常勤で喰いつなげというのでは、「なんか話が違う…」と感じている人もきっと多いことでしょう。

 60歳を過ぎても仕事があるのは悪いことではないけれど、長年尽くした会社とはいえ、こうして「都合良く」使われるのは(正直)面白い話ではありません。「メンバーシッブ型」から「ジョブ型」への雇用の端境期に当たる現在、シニア世代の雇用環境は、一体どうあるべきなのか。

 そんなことを考えていた折、8月18日の産経新聞に「シニア社員活用の動き拡大、生産年齢人口減少で 役職定年廃止や定年延長、人生設計変更も」と題する記事が掲載されていたので、参考までに概要小欄にを残しておきたいと思います。

 記事によれば、少子高齢化が進み、2070年には生産年齢(15~64歳)人口が現在の約52%まで減少すると予想される中、大企業を中心にシニア世代を活用する動きが広がっている由。中でも、一定の年齢に到達すると管理職などの役職から外す「役職定年制度」の廃止や、定年退職の年齢引き上げの動きが目立つようになっていると記事はその冒頭に記しています。

 年齢を重ねても働く意欲を持つ人は多く、企業にも経験豊富なシニアの登用はメリットがある。しかし同時に、人件費高騰や働く側の人生設計変更などの課題も大きいと記事はしています。

 厚生労働省によると、国内の人口は2020年の1億2615万人から、70年には8700万人にまで減少。一方、65歳以上の人口割合は一貫して上昇し、20年の28.6%から70年には38.7%に達するとのこと。1990年代には70%台に迫った生産年齢人口割合も、2070年には52.1まで下がるということです。

 こうした中、現行の高年齢者雇用安定法は65歳までの雇用確保を企業に義務付けるが、実際、定年を法律上の最低年齢の60歳としているケースが多く、一般にその場合は、新たに雇用契約する「再雇用」やそのまま働く「勤務延長」などが採用されているとのこと。令和3年の改正法で70歳までの就業機会の確保が努力義務とされる中、シニア自身も「働けるだけ働く」「働かざるを得ない」とする傾向が高まっていると記事は指摘しています。

 一方、シニアの勤労意欲の方も、リクルートが昨年全国の60~74歳の6千人を対象にした調査では、7割超が「70代以上まで働きたい」と回答。働く理由(複数回答)については「生計の維持」が最多の41.9%で、「健康維持」(38.0%)、「小遣い確保」(34.7%)、「社会とのつながりを得る」(32.5%)と続いたということです。

 会社員の〝生涯現役〟の傾向が強まれば、当然その人生設計にも影響がある。例えば、かつて住宅ローンは若い頃に借り入れて返済していき、最終的に残額を退職金で支払うといったイメージだったが、(記事によれば)今では年齢が比較的高い人でも住宅ローンを利用する動きが始まっている。「現役」時代が長くなる兆候は、既に様々な場面に表れ始めていると記事は言います。

 一方、意欲はあっても若い社員と同じようには働けないケースも当然出て来る。65歳以上の再雇用正社員に対しては労働時間に応じた給与体系を適用するなど、状況に即して柔軟な対応をとる企業などもみられるようになったということです。

 もとより、こうして役職定年制度を廃止したり定年を延長(廃止)したりする企業が増えている背景には、人手不足や優秀な人材の確保が難しくなっていることがあると記事は説明しています。

 そうした中、企業がシニア人材を活用するメリットとしては、人手が確保できることのほかに、採用や育成にかかるコストを削減できることが挙げられる。しかしその一方で、①賃金の高い社員を雇い続けることになるため人件費が高騰していくこと、②組織自体の高齢化により(時代に合った)柔軟な対応が難しくなること、③人事の硬直化により若手社員のモチベーションの低下が懸念されること…などのデメリットもあるということです。

 改正法により、来年4月から65歳までの雇用確保が義務化されることが既に決まっている。そうした環境を受け入れる企業と、何より当事者であるシニア社員は、新制度のメリットとデメリットをよく理解して対応する必要があると記事はその結びに記しています。

 時代に合わせ先行する制度に雇用者である企業が追随する。こうした現状を踏まえ、私たちはそろそろ自分事として(これまでの)仕組みを大きく組み立てなおす必要があるのかもしれません。

 そもそも、「定年退職」という制度は終身雇用を前提としたもの。ジョブ型雇用が浸透している欧米などでは、年齢による一律退職の雇用条件を従業員に課することは、年齢差別として法律で禁じられている例も多いと聞きます。

 「一律」が公平とされ、卒業年齢になるとみんな黙って「花束」を受け入れてきた日本のサラリーマン。しかしそうした仕組みにもそろそろ限界がきているのだろうなと、記事を読んで改めて感じたところです。


#2643 地銀や信用金庫の真価が問われている…という話

2024年09月26日 | 社会・経済

 東京商工リサーチによれば、今年7月の全国倒産件数(負債額1000万円以上)は前年同月比26%増の953件とのこと。原料や人件費の上昇が続く中、価格転嫁力が弱く賃上げ原資を捻出できない小規模企業を中心に淘汰が進んでいるということです。

 倒産に至った理由を見ると、「販売不振」が750件(前年同月570件、31.6%増)で最も多く、全体の81.5%(対前年同月0.2ポイント増)を占めているとのこと。「売掛金回収難」(同2件→6件、200.0%増)や「業界不振」(同1件→5件、400.0%増)を含めた『不況型倒産』の合計は763件(同575件、32.7%増)となり、27カ月連続で前年同月を上回ったとのことでした。

 一方、これらの倒産を態様別にみると、『清算型』倒産が883件(前年同月684件、29.1%増)と全体の96.0%(対前年同月1.6ポイント減)を占めた由。その中でも「破産」が847件(前年同月665件、27.4%増)と最も多く、28カ月連続で前年同月を上回ったとされています。

 経営が破綻状態でありながら(無利子・無担保の「ゼロゼロ融資」などで存続している)いわゆる「ゾンビ企業」の存在が問題視される中、問題のゼロゼロ融資の返済猶予期間の終了に合わせ「倒産」を選ぶ中小企業が多いということでしょうか。

 淘汰の嵐の中で事業再生を断念し、「破産」を選ぶ経営者たち。もがくこともできずにいきなり「パタッ」と倒れざるを得ないその背景には、一体どのような事情があるのでしょうか。

 昨今の中小企業を巡るこうした状況に関し、8月7日の日本経済新聞に『「あきらめ倒産」最高の9割 1~6月、銀行の支援動機薄く』と題する記事が掲載されていたので、参考までに小欄に概要を残しておきたいと思います。

 倒産後に事業再生を選べない「あきらめ型」倒産が増えている。2024年上半期に私的整理や民事再生手続きを経ず破産に至った割合は約90.08%と、過去最高を更新したと記事はその冒頭に記しています。

 もちろん、そこには物価高や人手不足で再生を断念せざるを得ない状況があるわけだが、さらに精査していくと、再生を支援する動機づけが薄い金融機関側の事情も見えて来るというのが今回、記事の指摘するところです。

 実際のところ、企業倒産が増勢を強めるなか、事業再生機運は盛り上がっていない。帝国データバンクが法的整理で倒産した負債5億円以上の企業を対象に調べたところ、23年度に主要事業を他社へ譲渡するなどした「事業存続型の倒産」を選んだ企業は157件で、倒産全体に占める割合は33.1%に過ぎなかったと記事はしています。

 これは、前年度に比べると1.5ポイント上がったものの、依然として新型コロナウイルス禍前の19年度(35.7%)や18年度(34.1%)より低く、過去10年間の平均(33.6%)も下回る水準とのこと。そして、このように事業再生を選ばず「破産」を選択するする企業が増えている背景には、金融機関側の事情が透けて見えるというのが記事の見解です。

 コロナ禍で大きく増えたのが、元本の返済と利子の支払いを一定期間免除する実質無利子・無担保のゼロゼロ融資。保証付き融資は通常、融資額の80%を保証協会が肩代わりするのが原則だが、このゼロゼロ融資では特例措置として100%の保証がついたと記事は説明しています。

 一方、これは言い換えれば、万一「貸し倒れ」になっても金融機関の懐は痛まないということ。保証債務残高のうち100%保証が占める割合は22年度に61%と、19年度の23%から大幅に増えており、金融機関にとって企業が存続する限り利払いが入る上、破産しても保証付き融資分は信用保証協会から代位弁済を受けられる。このため、手間をかけて融資先の抜本的な事業再生を支援するよりも破産して元本を回収した方が得策と映るということです。

 例えば、ある地銀関係者は「会社の将来や雇用維持を考えて、悪化の予兆が見え始めた段階から収益性の高い事業を他社に譲渡したり、企業を倒産させて信用コストを積んだりするよりも、返済期限の延長(リスケ)を続けた方が都合がいいと判断するケースも少なくない」と話していると記事は綴られています。

 どうせ「貸し倒れ」となっても信用保証協会が全額代位弁済してくれる。それならば、再生に向けて無駄な努力をするよりも、ズルズルと対応を先延ばしした方が得策ということでしょう。

 「リテールバンク」を標榜し、地域経済を支えていると自負してきた各地の地銀や信用金庫のバンカーたち。しかし今、彼らのプライドとともにその存在意義が問われる局面が、いよいよやってきているということかもしれません。

 記事によれば、収益性がある事業を新たな担い手に引き継いでいくには、早い段階から計画的に再生支援に着手することがカギになる由。東京商工リサーチの坂田芳博氏も、「メインバンクと企業が接点を強め、経営状況を把握しやすくすることで、金融機関が事業再生に向けた選択肢が多い早期の段階から支援に着手することが重要だ」と話しているということです。

 また、こうした状況に関しては、所管官庁である金融庁も、金融機関向けの監督指針を改正し金融機関が経営や事業悪化の予兆を把握した段階で再生支援に取り組むよう求めているとのこと。

 生かすものは生かし、伸ばすものは伸ばす。経営が傾いた中小企業にただ市場からの退場を求めるばかりでは、地域経済が傷つき失うものもきっと多いことでしょう。

 収益性のある技術や雇用を守りながら新陳代謝を進めていくこと。そのためにも、金融機関が平時から融資先企業の事業性やリスクを適切に評価し、早期の支援につなげる重要性が高まっていると記す記事の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2642 上司と部下の恋愛リスク

2024年09月24日 | 社会・経済

 株式会社ジャストシステムが昨年の3月に行った調査によれば、調査対象となった10〜40代の社会人男女2,063人のうち社内恋愛の経験がある人の割合は30.4%とのこと。一方、経験はないと回答した人の割合は67.2%で、およそ3人に1人が職場恋愛の経験があったということです。

 そこで、「社内恋愛をしたことがある」とした男女566人に聞いたところ、相手について最も多かったのは「同僚」で54.5%、2番目は(案外多い)「上司」の24.8%、3番目は「部下」の11.9%だったとされています。因みに、相手の所属先については「同じ部署」が51.1%と約半数を占めており、上司・同僚・部下を含め、社内でより身近な存在の方が恋愛に発展しやすいことが見て取れます。

 一方、この調査では、社内恋愛のデメリットについても聞いています。その結果、最も回答が多かったのは、「関係を会社にバレないようにする必要がある(217人)」というもの。2位以下を見てみると、「関係が悪い時も顔を合わせる(178人)」、「別れたら気まずい(160人)」と続き、ドキドキのオフィスラブにもそれなりの苦労があることがわかります。

 問題は、恋人関係にあることが職場の人に知られて気を遣われたり、会社にばれて仕事に支障が出たりすること。また、喧嘩をしても職場で顔を合わせなければならなかったり、関係が破綻したときに気まずくなったりという心配もあって、気苦労が絶えないのも判るような気がします。

 これも因みに、交際の結果どうなったかを聞いた結果では、「結婚した」が29.4%で約3割。「現在も交際中」が19.1%で、「別れた」が過半の51.4%を占めていることから、職場恋愛だからといってうまくいくとは限らないのも事実のようです。

 しかしその一方、付き合った結果約3割の人が結婚に至ったというのは、イマドキの恋愛ではなかなかの成績とも言えるでしょう。やはり、相手の持つ能力や第三者の評判などを直に見聞きできる職場のつながりというのは、「あなどれないな」と思わないでもありません。

 そうはいっても、職場での関係性もあり、どこまで積極的になってよいのか判断に迷うのが職場での恋愛というもの。それは当事者ばかりでなく、職場の人間関係を管理する上司にとっても同じことで、何をどこまで許すべきかはなかなか難しい判断となるでしょう。

 女性の社会進出の拡大とともにセクシャルハラスメントのリスクが大きくなっている現在、職場の人間関係をどのように認識していくべきか。7月15日の日本経済新聞に東京大学教授の山口慎太郎氏が、「上司と部下の恋愛、リスク大」と題する興味深い一文を寄せているので、参考までに小欄に概要を残しておきたいと思います。

 近年、ハラスメントと隣り合わせの職場での恋愛は避けられる風潮にあるが、最近の調査でも結婚した人の21.4%が「職場や仕事で」知り合ったことがきっかけとの報告がある。こうして、今でも職場は男女の7有力な出会いの場となっているようだが、その一方で仕事上の権力関係がある上司と部下の恋愛については、眉をひそめる人も少なくないはずだと山口氏はこの論考に記しています。

 何となくセクハラの匂が漂うこの関係。氏はこの論考で、世間の懸念が的外れか否かを判断するために行われた、フィンランドのデータに基づく最新の実証研究の内容を紹介しています。

 この研究では、男性上司と女性部下の同居が開始した2年前から恋愛関係が始まったとみなし、両者の関係が当事者や職場に与える影響を評価している由。まず疑われたのは「えこひいき」が生じるかどうかだったと氏はしています。

 その結果を見てみると、恋愛関係が始まると、女性部下の給料は6%上昇していたとのこと。よその職場の男性や、上司ではない同僚との恋愛関係が始まることでも一定の収入増は見られるが、それらはずっと小さい。恋愛関係は仕事のプラスになる面はあるが、それでは説明がつかないほどの大きな給与増が見られたということです。

 「えこひいき」は会社にとっても高くつく。上司と部下の恋愛は、同僚の定着率を14%下げ、さらに職場が小規模であったり「えこひいき」の度合いが大きかったりする場合には、定着率は一層低くなると氏は説明しています。

 この分析結果は上司と部下の恋愛関係に対し、企業側が注意を払う必要があることを示唆している。「えこひいき」による昇給・昇進が存在すること自体、会社にはマイナスで、職場全体の士気を損ね生産性を下げるということです。

 さて、こうした結果から考えると、社内恋愛を懲戒処分の対象とすることは法的に効力が無いと思われるが、配置転換や評価者の変更などの一定の対応は必要であろうと山口氏はこの論考で指摘しています。

 特に、上司との恋愛は女性にとってのリスクが大きい。実際、当該研究では関係が終わると、離職などを通じて収入が18%減るケースも見られたとのこと。通常の恋愛関係の解消ではこれほど大きなマイナスにならない。この点からも、会社が一定の対策を講じることが多くの従業員を守ることにつながるだろうと話す氏の主張を、私も興味深く読んだところです。