10月29日、韓国の首都ソウルの梨泰院(イテウォン)で起きた、ハロウィンを楽しもうと集まった若者たちの圧死事故。外国人を含む150人以上が亡くなるという大惨事、特に10代や20代の多くの若者達が犠牲となったことに、ショックを受けた日本人も多かったのではないでしょうか。
梨泰院と言えば、かつては(ソウルの中心部から少し離れた)「米軍基地の街」、軍からの流出品や洋服の仕立て屋などが立ち並ぶ(ちょっと)殺伐とした感じの地域という感覚がありました。
それが、米軍基地が大幅に縮小された2000年以降の再開発で大きく変貌。狭い坂道におしゃれな飲食店やクラブが軒を連ね、ソウルを代表する繁華街の一つとして若い世代の人気を呼んでいました。
その知名度を上げたのが、2020年に放送され日本や海外各国でも人気を博したドラマ「梨泰院クラス」。ドラマには主人公達がハロウィンの梨泰院に繰り出す姿なども描かれており、東京・渋谷のように、ソウルでハロウィンと言えば梨泰院というイメージが定着していたとされています。
8年前に起こった旅客船セウォル号の沈没事故の記憶と重なる今回の出来事。事故から既にふた月が経とうとしていますが、ソウルの街では現在でも、事故の政治責任を問うデモなどが頻繁に行われていると聞きます。
報道によれば、相当の群衆が集まることが予想できたにもかかわらず、自治体や警察の対策はほとんどがおざなりで、事故後の対応も後手に回っていたとのこと。行政による危機管理意識の欠如には(確かに)非難されてしかるべきものがあるようにも思えます。
しかしその一方で、再発防止に必要なのは事態を自分事として反省し、危機管理の態勢やシステムを冷静に再構築することのはず。デモ行進で涙を流し、大統領の責任を問うても仕方がないのではと感じないではありません。
問題が起きたのは(自分たちではない)誰かのせい。(セウォル号事件の際もそうでしたが)どこかに悪者がいるに違いないとしてスケープゴート探しにやっきになり、集団リンチのように感情的に攻め立てるかの国の世論の動きには、既に慣れっこになった観もあります。
そんなことを感じていた折、11月24日の総合情報サイト「現代ビジネス」に、韓国の時事問題に詳しいライターの田中美蘭氏が『ハロウィン「圧死事件」に“便乗する人たち”のヤバすぎる正体』と題するレポートを寄せているので、ここで紹介しておきたいと思います。
韓国・ソウルの繁華街・梨泰院の群衆事故から数週間が経過しようとしているものの、事件後の関心は原因の究明や今後への改善策よりもターゲットへの非難の集中砲火へと移り、その矛先は警察と尹錫悦(ユン・ソギョル)現政権に向けられていると田中氏はこのレポートに記しています。
11月11日には、事故現場を管轄するソウル・竜山(ヨンサン)警察署の情報担当部署の係長が自宅で亡くなっているのが発見された。この係長が事故後に事故に関連した内部の報告書を削除したことから、証拠隠滅の容疑で捜査を受けての自殺とみられるということです。
こうして様々なところで影響や波紋が広がっている今回の事件は、またしても韓国の暗部を晒しているといえると田中氏はしています。事故直後から問題視されていたのは、警察による事故現場周辺の警備体制が不十分だったのではないかという点。そして、日を追うごとに事故の予兆は前日から感じられていたという証言も出ているということです。
そうした中、現在の報道は原因の究明や検証よりも警察の不手際や責任の所在をめぐる非難合戦に終始している。現在、その非難の矛先は徐々に尹政権へと向かっており、この展開は8年前のセウォル号沈没事故の時とよく似ているというのが氏の指摘するところです。
当時、事故の初動が遅かったとして朴槿恵元大統領に批判が集まり、支持率は急落した。さらに長年の友人を国政に介入させていたというスキャンダルにより国民の怒りは頂点に達し、若い世代を中心に広がった「ろうそく集会」が朴大統領を罷免に追い詰めたということです。
今回の状況もまさに、警察や尹政権の責任追及と退陣を求めるという主張やここまでの流れが、セウォル号の事故を彷彿とさせると氏は話しています。
事故の前日や当日、梨泰院駅周辺の人出と流れが尋常でないとの通報があったにもかかわらず、警察は警備人数の増強などの対応を行っていなかった。メディアなどからは、それが事故被害を拡大させた最大の原因と指摘されているということです。
一方、その背景で梨泰院を管轄する竜山警察署には、当時これに対応できるだけの余裕がなかったことを裏付ける事実も明らかになっていると氏はしています。事故当日、ソウルの都心部を中心とした数カ所で左派を中心とした15もの市民団体の主催による尹政権退陣を求めたデモが行われており、警備のためにソウル全域の約3,500人にものぼる機動隊員が動員されていたということです。
だからと言って警察の失態がゼロであったとは言い切れず擁護ができるわけではない。しかし、事態は警察だけの責任とはできないのはないかというのがこのレポートにおける田中氏の見解です。
さらに左派系市民団体は、今回の事故直後から事故現場の梨泰院周辺で若者を動員して政府批判のデモを開始。土曜日には「ロウソクデモ」が開催され、今後継続的に行われる予定であるとのこと。このロウソク集会にも多くの機動隊が動員されるわけだが、市民団体の「警察を批判しながら、警察を動員させている」という矛盾を追及する人は少ないということです。
多くの若者が亡くなったという事実は重く受け止めなければならないし、当然、当局は猛省しなければならなでしょう。しかし、悲しく辛いという感情を煽ることだけでは、問題解決の糸口にもならないのは普通に考えればわかるはずです。
しかし、韓国の左派勢力の思惑は、(結局)今回の事故をセウォル号の時と同様、「国難」として強調することで遺族の結束を促し、一層国民感情に訴えることで尹政権を追い込みたいというところにあると、田中氏はこの論考に綴っています。
野党や市民団体はまた遺族を巻き込んで、悲しい事故を政治利用するつもりなのか。今回の事故を「政権批判のチャンス」であるかのように窺い、遺族の心の傷をえぐるような言動野党やメディアの言動に不快感を感じている韓国国民も多いはずだと話す田中氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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