Wikipediaによれば、「覇権主義(hegemonism)」とは、影響力を拡大させる為に一つの大国が軍事面・経済面・政治面で自国より弱い他の国々に介入し、その国の主権を侵害し続けること。具体的には、軍事力や経済力の優位性を背景に他国の主権を侵害したり、他国の内政に干渉したり、利益を搾取したりする強国の行動を策す言葉のようです。
もちろんその見方は、それを主張する国や立場によって(正反対と言えるほどに)異なるもの。相手の覇権主義を主張する双方の力が拮抗すればするほど、その言葉自体が虚ろなものに聞こえるのは仕方がないことかもしれません。
特に中国語の「覇権」とは、「徳によらず武力や権力で天下を治める者」を指す言葉とのこと。「覇権争い」とは(そうした者たちが)権力の獲得をめぐって繰り広げる(義のない)争いの意であり、自らに「義」や「徳」がある限り、何をやってもそれは「覇権主義」的なものではないということになるのでしょう。
それはそれとして、ロシアのウクライナ侵攻などで大きく揺れる国際社会において、その影響力によって様々な現状変更を既成事実化しようと試みる中国の指導者たちは、国際世論に対しどのような立場で自らの正当性を主張しようとするのか。
『週刊東洋経済』の4月29日号に、九州大学教授の益尾知佐子(ますお・ちさこ)氏が「覇権主義を巡る認知戦が始まった」と題する興味深い論考を寄せているので、(参考までに)小欄にその概要を残しておきたいと思います。
日本ではあまり注目されなかったが、本年3月、習近平国家主席がロシアを訪問して発表した中ロ共同声明は(かなり)衝撃的なものだった。それは、中国が国際政治上、米国などの西側陣営とたもとを分かち、ロシアと共に歩む意向を明示したからだと氏はこの論考の冒頭に記しています。
当該共同声明が描く世界は、私たちの常識とは白黒が反転していた。声明が主張するのは「公認された国際法の原則や規範を、『ルールに基づく秩序』に置き換えることは受け入れられない」というものだったと氏はしています。
ここでの主張は、執拗に「ルールに基づく秩序」を唱える欧米の主張は「覇権主義」的だということ。言い換えれば、中ロ両国のほうが「公認された国際法の原則や規範」を守っているという主張だったということです。
中国外交において「覇権主義」は特に強い意味を持つ言葉。中国語の「覇権」は英語の「hegemon」のような学術的中立性は持たず、「王道」の反義語として批判的に使われると氏は説明しています。
(こうしたこともあって)中国は1982年以降、どの国を「覇権主義」と見るかは特定しなくなっていた。しかし今回、「ルールに基づく秩序」を唱える側がそうだという認識を明らかにしたことで、米国などの勢力が中ロの共通する「敵」として認定されたというのが氏の見解です。
中国当局者の脳内では、「覇権主義」との歴史的戦いは既に始まっていると氏はこの論考に記しています。「自分たちは歴史の正しい側に立っている」…そうした認識の下、中国の外交官たちは今後、中国が最も正しいと強く主張するようになり、(我々こそが)最も平和的であるという認識を世界に広めようとするだろう。つまり、彼らが目指すのは、これまでの善悪の判断を逆転させることだということです。
4月10日に行われた日中高級事務レベル海洋会議で日本側は、①尖閣諸島周辺での中国公船の領海侵入、②台湾海峡問題、③日本の排他的経済水域への中国のミサイル発射問題、④東シナ海の資源開発に関する日中合意の実施(の4点を)を中国に求めた。
しかし、そこで中国が日本に対して主張したのは、①中国の領土や主権の侵害、②中国の海洋権益を傷つける言動、③台湾問題への干渉、の停止だったと氏は話しています。また、国際社会の関心を直視し、責任ある態度で適切に問題を処理せよと主張し、中国の融和的イメージを強調したということです。
(日本側にしてみれば「どの口が言うのか」といったところですが)尖閣問題などで繰り返される「日本こそがトラブルメーカーだ」とする中国の主張は既に定着しており、両国政府の高官が顔を合わせる機会が増えた今、(中国の正当性に関する)認識闘争がさらに顕在化してきていると氏はしています。
もちろん、日本政府が中国の認識を受け入れることはあり得ない。(そうこうしているうちに)中国は岸田文雄政権を「覇権主義」の一味と位置づけ、日本社会に(ひいては国際社会に)新たな価値観の植え付けを目指すだろうというのが、この論考で氏の指摘するところです。
そこにあるのは、「言い続けたもの勝ち」の国際社会に向けた、「正義」を巡るプロパガンダといったところでしょうか。こうした状況を見る限り、根本的な是と非の判断が闘争対象となる認知上の消耗戦がもう身近に迫ってきていると話す益尾氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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