MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2136 褒められて伸びるタイプ(その1)

2022年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 大企業が対象だった改正労働施策総合推進法(いわゆる「パワハラ防止法」)が2022年4月から中小企業にも適用されるようになり、事業主には従業員へのパワハラ防止対策が義務化されることになりました。

 少し前のデータになりますが、厚生労働省「あかるい職場応援団」の調査データ(平成28年)によれば、過去3年間に、(従業員から)パワハラに関する相談を1件以上受けた企業は回答企業全体の49.8%で、実際にパワハラに該当する事案のあった企業も36.3%と、企業にとってパワハラは既にかなり身近な問題です。

 また、同調査で過去3年間にパワハラを受けたことがあると回答した人は回答者全体の32.5%に達しており、特に従業員数が少なく人間関係が濃密な中小企業では放置しておけない経営課題と言えるでしょう。声を荒らげると職場の雰囲気が悪くなる」「厳しく叱責されると会社を休む」…たとえ法律によって対応を迫られなかったとしても、パワハラが経営上の大きな問題であることに変わりありません。

 しかしその一方で、上司が叱咤激励をためらうことで職場の規律やコンプライアンスが保てなかったり、組織の士気や効率が落ちたり、中には学級崩壊のような状況に追い込まれたりという職場の話も聞こえてくるところです。

 「叱る」と「怒る」は違うという話もよく聞きますが、叱る(=注意する)上司は(ともすれば)「指導能力が足りない」というレッテルを貼られかねず、加えて今回のパワハラ防止法の適用で、「何とも暮らしにくい世の中になった」と委縮する昭和世代のオジサマも多いかもしれません。

 「僕、褒められて伸びるタイプなんで…」というのは、若者がよく口にするジョークですが、これまで親や教師や近所のおじさんなどに怒られてきた経験の少ない若い世代にとって、「叱る」「叱られる」はそれなりにショックなことなのでしょう。しかしだからといって、褒めてられているばかりで人は本当にその能力を伸ばすことができるのか。

 3月15日の東洋経済ONLINEに、教育心理学者の榎本博明氏による「「ほめる教育」で自己肯定感は高まらない衝撃事実」と題する論考が掲載されていたので、参考までに小欄に概要を残しておきたいと思います。

 榎本氏はこの論考の冒頭において、日本で「ほめて育てる」ということが言われ始めた1990年代以降、若者の「自己肯定感」は高まるどころかむしろ低下さえしていると(ある意味)ストレートに指摘しています。

 例えば、日本青少年研究所の調査(日本・アメリカ・中国・韓国の比較調査)で「自分はダメな人間だ」という項目が「よくあてはまる」と答えた日本の高校生は、1980年には12.9%。しかし、「ほめて育てる」ことが徹底して行われるようになって久しい34年後の2014年には25.5%と2倍になっていると氏は言います。

 しかも、「まあそう思う」まで含めれば、「自分をダメな人間だと思う」日本の高校生は2014年には72.5%に達しており、7割以上が自己を肯定できない状況にあるとされる。また、国立青少年教育振興機構が2017年に実施した高校生の意識調査(日本・アメリカ・中国・韓国の比較調査)でも、日本の高校生で「私は価値のある人間だと思う」を肯定する者は44.9%にすぎず、過半数が自身を否定している状況が伺われるということです。

 自己肯定感が低いと人は気持ちが不安定になりがちで、落ち込んだり、イライラしたりしがちになる。そして、(そこで)関連して着目すべきなのが、小学校における暴力事件が急増していることだと、氏はこの論考で指摘しています。

 友だちから嫌なことを言われたり、嫌な態度を取られたりすると、怒鳴るように言い返したり、つい手が出たりしてしまう。教師から注意されると、泣きわめいたり、暴れたりしてしまう。榎本氏によれば、そうしたキレやすい子どもたちの急増は、現在の学校で教師を悩ます大きな問題になっているということです。

 文部科学省による2019年度の調査データをみると、教育機関における生徒の暴力行為の発生件数は7万8787件で、その内訳は小学校4万3614件、中学校2万8518件、高校6655件。かつては思春期にあたる中学校が飛び抜けて多かったものが、今では小学校の発生件数が断トツに多くなっていると氏は話しています。

 小学校での発生件数は、2011年までは中学校はもとより高校よりもはるかに少なかった。しかし2012年から急激に増え続け、2018年にはついに中学校も抜き現在では高校の5倍にもなっているということです。衝動に駆られて怒鳴ったり暴れたりしたあとは、なんとも後味が悪いもの。「またやっちゃった」と後悔し、自己嫌悪に陥る。こうした状況では自己肯定感が育まれようはずがないと氏は言います。

 さて、このような小学校における暴力事件の急増の背景には、ほめるばかりで厳しさを欠いた子育てによる自己コントロール力の欠如、そして論理性や説明能力の乏しさによりコミュニケーションがうまくいかなくなっていることなどがあるというのが榎本氏の見解です。さらに言えば、暴力に限らず、(「小1プロブレム」などといって)幼稚園から小学校への移行でつまずく子どもが増えているのも、この問題と相関がある可能性が高いと氏は考えています。

 授業にすぐに飽きてしまい、席を立ったり歩き回ったりする。それだけでなく、教室の外に出ていってしまったりする子もいて、そのような子のあとを追いかける補助教員を雇うこともある。このように自分の衝動をコントロールする力がないままでは、社会性が身につかないし、自己肯定感も高まらないというのが氏の指摘するところです。

 しかし、そこで(うっかり)子どもに社会性を身につけさせようと厳しめに指導すると、「ほめて育てる」という考え方に染まった保護者からクレームがくる。そんな状況なので、子どもの自己肯定感を高める役割を学校に求めるのは難しく、そうした状況下では(結局のところ)親がなんとかするしか方法はないということです。

 (我々、昭和の世代の親や教師の多くがそうだったように)子どもの行動を叱るばかりがよい親、よい教師だとは思いません。しかし、子どもは子どもとして、必要があれば毅然として「叱れる」ことも(いわゆる)「大人の分別」というものではないかと考えるのですが、果たしていかがでしょうか。(「#2137 褒められて伸びるタイプ(その2)」に続く)



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