
コンピュータなどの情報機器によるデジタル情報処理を基調とする「IT」(Information technology「情報技術」)は、20世紀終盤の世界を次の時代(21世紀)に導く大きな原動力となりました。
そして現在、時代はそこに通信(communication)技術を媒介させ、21世紀はICTの時代と呼ばれるようになっています。
ICTのベースには、社会・経済のグローバル化の進展とITの大衆化という二つの要素が、それこそ密接に絡み合っていると言っても過言ではありません。
マンハッタンのビジネスマンからタンザニアのマサイ族まで、世界中の人々がスマートフォンやタブレット端末を片手にメールのやり取りをしたり、今撮った写真をSNSに投稿したり、債券や牧草の取引をしたりしている姿を、20世紀の人々の一体誰が予想できたでしょうか。
さて、21世紀終盤からITが世界中で爆発的に普及した背景には、情報機器の小型化や価格の低下とともに、専門知識がなくても利用できる取り扱いの容易化があると考えられます。中でも、パーソナル・コンピュータの普及・一般化に欠かせなかった技術として、GUI(Graphical User Interface:グーウィー)を挙げることに異論は少ないでしょう。
20世紀中盤まで「電子頭脳」などと呼ばれ、SFの世界では人間社会を乗っ取るなど様々な活躍をしていたコンピュータも、(少なくとも現状では)ユーザーが命令を入力しなければ何も行動を起こさない「電子計算機」に過ぎません。
人がコンピュータに指示を出すために必要な「コンピュータと人間を結びつける仕掛け」を、コンピュータ用語で「ユーザインタフェース」 (User Interface) と呼んでいます。21世紀の私たちが日常使っている(いわゆる)パソコンでは、Windows、Linux、Mac OS などのOS(Operating System) の種類に関係なく、基本操作をウィンドウやアイコンなどをマウスで行う(視覚的な)仕組みになっているのはご存じのとおりです。
スマートフォンやタブレットなどにも応用され、今では当たり前になっているこうした仕掛けが現れたのは、(年配の方にはお分かりいただけると思いますが)実はそんなに昔の話ではありません。
1980年代前半に アップルがマッキントッシュ(Macintosh)を世に出すまでは、一般のパソコン(当時は「マイコン」などとも呼んでいましたが)ユーザーがマウスや GUI に触れる機会はほとんどありませんでした。PC-8000シリーズなどの8ビット機の前に座って、皆、面白くもない画面を見ながらキーボードからBASICのコマンドなどを、ひとつひとつポチポチと打ち込んでいたものです。
コンピュータグラフィックスとポインティングデバイスを用いて、直感的な操作を提供するGUIの環境は、パソコンの世界に革命的な変化をもたらしました。視認性や操作性に優れ、(ポインターが指先に直結しているような)直感的な操作が可能となるGUIは、今やパソコンになくてはならない存在になっています。
GUIの技術自体も進歩し、「クリック」による選択ばかりでなく、さらに詳細な操作につなげる「右クリック」やそこで決定する「ダブルクリック」。そして、掴んで離す「ドラッグ&ドロップ」など、汎用性の高い機能を次々と追加し、ユーザーの感覚にさらにマッチしたものとなっています。
実際、ディスプレイ上のポインターがスムーズに動かない時など、マウスを持つ右手の調子が悪くなったように感じるのは私だけの経験ではないでしょう。
マイクロソフト社で、Windows 95などのチーフアーキテクトを務めたソフトエンジニアの中島 聡(なかじま・さとし)氏の近著『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか』(文響社)によれば、このように、何らかの対象(オブジェクト)を先に「選択」したうえで、その後から「動作」を指定することを「オブジェクト指向」と呼ぶのだそうです。
オブジェクト指向は、特に私たちが日常使っている日本語(の文法)を考えれば判り易いと中島氏は指摘しています。
例えば、テーブル上の塩を取ってほしいとき、「すみませんが、塩を…」言葉にしただけであなたが相手にしてほしいことは既に伝わっている。相手も、「塩をどうしろっていうんだ?」などと野暮なことは聞かないのが普通です。
しかし、動詞が先に来る英語や中国語などの他の言語ではこうはいきません。「Pass me the salt」というように、「何をしてくれ」を先に言わないと、意図を慮ってはもらえません。
「命令」を先に行ってその後に対象を指定するという指示方式は、キーボード入力と画面の文字表示のみでコンピュータを操作するCUI (Character User Interface)入力手順とほぼ同じです。つまりCUIからGUIへの切り替えには、英語から日本語に切り替えるほどの、大きな発想の転換があったということです。
翻って、Windows95の開発に当たって(中島氏が)グラフィカルでオブジェクト指向な様々な機能を思いつくことができたのは、氏が日本語を母語とし、そのことでGUIとの親和性が高かったからではないかと、中島氏は改めて回想しています。
深夜に口もききたくないほど疲れ切ってタクシーに乗っても、「すみません、経堂まで…」.と言えば全てが分かってもらえる。「あ、環七経由で…」「その信号を左に…」「そこの行き止まりの所で…」と、もう3つ話すだけで家までつけてしまうと中島氏は説明しています。
このように、オブジェクト指向は(一定のルールさえ身につければ)汎用性が高く、楽で居心地のよいシステムだということです。
右クリックやダブルクリック、ドラッグ&ドロップの感覚さえソフトと共有できれば、様々な意味を簡単に伝えることができるのが現在のGUIの特徴です。そしてそれは、(見方を変えれば)日本語的なオブジェクト指向がすでに世界的を席巻していることに他ならないと論じる中島氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。
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