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MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2019 「中間層」とは誰のことか?

2021年11月17日 | 社会・経済


 岸田文雄首相が10月8日に行った就任後初めて行った所信表明演説で、最も力を入れて語ったのが「新しい資本主義の実現」です。なかなかわかりにくいのですが、どうやらその意図するところは、小泉改革以来自民党政権が続けてきた新自由主義による格差拡大から脱却し、「分厚い中間層」を作るために分配に力点を置き「成長と分配の好循環」を作るというもののようです。

 「中間層」とはどのくらいの所得層の人を指すのか、どうやって、どのくらいの所得向上を図るのかは明らかにされていませんが、(普段はあまり使われない「分厚い」という言葉から)そこに「一億総中流」と言われた昭和の社会へのノスタルジーを読み取るのは容易です。

 新政権は、分断を加速させたとされるアベノミクスにいよいよ別れを告げ、本格的に低所得者層の所得を底上げしていこうというのか。いずれにしても、自民党総裁選で「令和の所得倍増計画」を打ち出した岸田首相が目指すのは、やはり国民の多くが「中流」を目指すことのできた(古き良き)高度成長期だということなのでしょう。

 「分配」を経済政策のキーワードに格差の「中和」を進めるという岸田新政権に対し、11月2日のYahoo newsに健康社会学者の河合薫氏が『分厚い中間層=「分厚い低所得者層」か?』と題する論考を寄せています。

 ご承知のとおり、岸田首相は総裁選の名乗りを上げた当初、「令和版所得倍増計画」「分厚い中間層」という、実に魅力的な言葉を繰り返した。「中間層」という言葉を用いるからには明確な定義が必要だが、そもそも今の日本社会に「中間層」と呼べるボリュームゾーンは存在するのだろうかと、河合氏はこの論考で疑問を呈しています。

 この日本では、最低賃金レベルで働く人が10年間で4倍にも増えている。07年には最低賃金=719円に近い時給800円未満の人は7万2000人だったが、17年には最低賃金=932円に近い時給1000円未満の人は27万5000人まで増加していると氏は言います。

 令和元年分の国税庁「民間給与実態統計調査」で給与階級別分布を見ると、最も多いのが「300万円超400万円以下」(17.0%)で、「200万円超300万円以下」(14.9%)がそれに続いている。「賃金構造基本統計調査」(厚生労働省:令和元年)を基に年収の中央値を算出すると「370万円」になるということです。

 普通のサラリーマンの年収の中央値が(わずかに)「370万円」。最低賃金の1.5倍に当たる時給1500円で1日8時間、月20日労働している人の年収がそれよりさらに低い(たったの)288万円だとすれば、いったい私たちはどこまで譲歩しなければいけないのかと、氏はこの論考に綴っています。

 「所得倍増計画」が実行された昭和の中間層(中位所得層)とは、大卒一括採用で正社員、社内恋愛で結婚し、女性は専業主婦になり、子供を2人持ち、マイホームを建て、定年後悠々自適の生活が約束された人たちだった。しかし、「令和版所得倍増計画」の中間層(中位所得層)は、非正規と中小企業の正社員、未婚、子なし、マイホームなし、将来不安ありという生活をしている人たちとなる。

 つまり、こうした実態が示すのは、「分厚い中間層」をつくるには、第一に「最低賃金」を上げること、第二に「非正規雇用」の賃金を上げることだというのが氏の見解です。

 日本では「正社員より非正規雇用の賃金が低い」のが「当たり前」とされているが、欧州諸国では全く逆。「非正規社員の賃金は正社員よりも高くて当たり前」が常識だと、氏はこの論考に記しています。

 フランスでは派遣労働者や有期労働者は、「企業が必要な時だけ雇用できる」というメリットを企業に与えているとの認識から、非正規雇用には不安定雇用手当があり、正社員より1割程度高い賃金が支払われている。イタリア、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどでも、「解雇によるリスク」を補うために賃金にプラスαを加え、非正規労働者の賃金の方が正社員よりも高く設定されているのが普通だということです。

 また、EU諸国の中には、原則的に有期雇用は禁止し、有期雇用にできる場合の制約を詳細に決めているケースも多いと氏は言います。アメリカ以外の多くの先進国で、労働者の生活は制度によって基本的に手厚く守られているというのが氏の認識です。

 一方、わが日本では、働き手の賃金を上げた企業には税金を優遇する方針としているそうだが、非正規という雇用形態が、人間の尊厳を守ることができない雇用形態だったことが、コロナ禍によって改めて明確になったと氏はここで指摘しています。

 さて、今、増やされるべき(中間層と)は、具体的にどのような人々なのか。所得が200万円台の世帯が300万円台になったとしても、そこに昭和の高度成長期にあったような「明日への希望」が見えてこないのは誰の目にも明らかです。

 「中間層」という至極曖昧な言葉を多用することは、本来解決すべき問題が置き去りにされ、結果的に「見捨てられる人」を量産することにつながりかねないのではないか。岸田首相には、「言葉の具体的な定義」を、まずはしていただきたいとこの論考を結ぶ河合氏の指摘を、私も重く受け止めたところです。



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