政府が講じようとしている(新型コロナウイルスの影響に対応する)40兆円を超える追加経済対策について、経済同友会の桜田代表幹事が「なぜ必要なのか、どんな効果があるのか、説明責任を果たすべきだ」と述べたと11月16日のテレビ朝日が報じています。
経済同友会の桜田謙悟代表幹事は記者会見において、「なぜその金額が必要なのか。これまで経験してきた数十兆円規模の対策の効果と課題を説明してもらって、だから今度こそ経済に効くんだという説明が必要だ」と疑問を呈したとされています。
会計検査院の報告では、菅内閣が予算化した60数兆円の経済対策のうち、30兆円近くが使い切れず翌年度に回ったと報じられています。これ以上の政府支出を積み上げるのであれば、まずはこうした指摘を念頭に置くべきだということでしょう。
岸田文雄首相が自民党総裁選に当たり(「掴み」で)打ち出した「30兆円」という(まずは規模ありきの)経済対策ですが、その後、18歳以下への10万円相当の給付や、感染拡大の影響を受けた中小企業に最大250万円を支給する新たな給付金制度などが加わり、その後の報道では55兆円を超える見通しとされています。
既に私たちも感覚がマヒしている観がありますが、2020年度の国の税収が60兆円しかないことを考えれば、この金額がまさに「普通ではない」ことは誰の目にも明らかです。
「自民党総裁選→解散総選挙」というこの2か月間の政局によって生み出されたこうした状況に関し、11月16日の日本経済新聞の紙面では、同紙上級論説委員の小竹洋之氏が「新しい資本主義」論の軽さ 改革なき分配でいいのか」と題する論考において、「そもそも数十兆円規模の経済対策が必要なのか」と厳しく指摘しています。
日本の家計には、1~3月期時点で既に36兆円の超過貯蓄があった。コロナ禍で困窮する弱者を支えるのは当然だとしても、(コロナがひと段落し)通常の経済社会活動に戻り始めた世帯に、現金給付や旅行・飲食補助を広く実施するのが賢明と言えるだろうかと小竹氏はこの論考に綴っています。
国際通貨基金(IMF)によると、日本のコロナ下の財政出動は20年の国内総生産(GDP)の17%弱に相当し、主要7カ国(G7)では米国の25%強、英国の19%強に次ぐ3番目の水準だということです。
しかしその一方で、実質成長率の予測は21年が2.4%、22年が3.2%と、いずれもG7では最も低い。21年は1~3月期と7~9月期の2度もマイナス成長を記録するありさまだとしはしています。
その意味するところは、積み上げられた経済対策が有効に機能していないということ。「賢い支出」に徹するのを怠り、財政出動の規模ばかり膨らませてきた失政を、繰り返してほしくないというのが氏の見解です。
世界を見渡せば、(確かに)イノベーションと成長の源泉にも衰えが感じられる。国際決済銀行(BIS)による先進14カ国の分析では、収益力が弱く市場の評価も低い「ゾンビ企業」の割合は、1980年代半ばの4%から2017年には15%まで上昇していたということです。
こうした数字が示すのは、先進各国において資本主義のダイナミズムが失われている証拠だろうと氏は話しています。
上場企業の設立年をみると、米国では旧フェイスブック(現メタ)やネットフリックスが生まれた95~2004年であるのに対し、日本のピークはソニーやホンダが産声を上げた1945~54年に遡る。そして、これこそが岸田首相が「終戦直後に続く第2の起業ブーム」を目指す理由だということです。
歴史的に見ても、ショックや危機、破壊的な反動の後には統合加速の時代が続くことになる。コロナ後の世界が向き合うのはグローバル化の終結や減速どころか復活だと、小竹氏は経済史学者のハロルド・ジェームズの言葉を引いています。
日本は「その波」をガードを固めてやりすごすだけなのか。日本でも新自由主義への風当たりは強いが、むしろ足りないのは競争や成長ではないかというのが、この論考で氏の最も強く指摘するところです。
(この機に当たり)政府には、起業の促進や人材への投資につながる施策を深掘りし、産業の新陳代謝や労働者の生産性を高める戦略的な政策を期待したいと氏は言います。
例えば過剰な現金給付や旅行・飲食補助を撤回し、起業家を手厚く支援してもいい。既存企業の延命に向けた一時的な経済のカンフル策をいたずらに続けるのではなく、成長につながる新たな種を巻いていくことこそが今必要とされているということでしょう。
日本が、このまま改革も競争もない分配国家でいいはずがない。日本資本主義の父と言われる渋沢栄一翁が語録「論語と算盤」に残した「競争こそが勉強や進歩の母となる」に残した一節は、今も変わらぬ真理であり続けているとこの論考を結ぶ小竹氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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