MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2008 結婚の条件とは

2021年11月04日 | 社会・経済


 秋篠宮家の長女である眞子さまが、4年間に及ぶ長い婚約期間を経て晴れて(一人の国民としての)門出の日を迎えられました。まずは「御結婚おめでとうございます」「どうぞお幸せに」と感じている国民は(恐らく)私だけではないでしょう。しかし、これまで執拗にこの御結婚問題を追いかけてきたメディアの多くは、それでもまだ若い二人を解放する気はないようです。

 メディアとしては、これまでお二人やその家族に関して報じてきた内容が(眞子様自身の口から)「事実無根」「誹謗中傷」と断じられたことを、「自分たちへの挑戦」と感じたのかもしれません。テレビのワイドショー、週刊誌、ネットメディアなどがこぞって(皇室を離れた)その後のお二人の様子を追いかけている様子は、もはや執念としか思えない印象です。

 国際人権NGOの事務局長を務める弁護士の伊藤和子氏は、10月26日の情報サイト「PRESIDENT Online」に寄稿した論考(『「眞子さまは海外脱出を選ぶしかなかった」反論できない人を誹謗中傷する人たちが誤解していること』)において、もはや人権侵害と言っても過言でないとその異常さを非難しています。

 そもそも、自分の意思で選んだ人と結婚することは極めて重い人権のはず。結婚・恋愛は、人生の幸せに直結する最も大切な選択であり、それを否定しようという社会の空気は、まるで時計の針を封建時代に戻したかのようだと伊藤氏はこの論考に綴っています。憲法24条は、結婚は「当事者の合意」のみに基づいて成立すると規定している。それを、国民世論によって妨害しようとする試みは、日本の人権意識の低さを世界に示すものだというのが氏の見解です。

 もとよりそこには、否定的な報道で巨額の利益を得ているメディアの存在が大きいと氏は指摘しています。眞子さまと小室さんには執拗な人格攻撃を含んだ否定的な報道をヒートアップさせており、それが二人への誹謗中傷を加速させている。論に迎合して、否定的な報道をすればするほど視聴率は上がり、閲覧数を稼ぐことができるのだろう。結婚を控えた若い二人の人格をおとしめ、明るい未来を否定する報道をし、またはそれに加担することで巨額の利益を得ているメディア関係者に、改めて良心の有無を問いたいということです。

 内親王である眞子さまは立場上、いかに不当で事実に反する報道をされても、民間の報道機関を相手に名誉毀損訴訟などを起こすことが非常に難しい。反論できない相手と分かっていながら誹謗中傷をあおるような報道を垂れ流し、利益を得ようとするメディアの姿勢は厳しく問われなければならないと伊藤氏はしています。

 20代の若者に対し、社会全体が洪水のような誹謗中傷、人格攻撃を続ければ、それが深刻な心身のダメージを引き起こすことを私たち社会は過去の犠牲から学んでいる。プロレスラーの木村花さんが自ら命を断ったという事実から、誹謗中傷が若い人をどれだけ傷つけ深刻な犠牲を生むのか、この社会はしっかりと顧みる必要があるということです。

 また、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏は、『週刊プレイボーイ』誌(10月18日号)に連載している自身のコラム(『「地獄とは、他人だ」眞子さま結婚問題をめぐる各界の反応』)において、何の罪もない若者たちを追い詰めることに躊躇のない日本の社会の不思議さを指摘しています。

 橘氏によれば、この問題においてまず押さえておくべきは、そもそも憲法で、「婚姻は両性の合意のみに基いて成立する」と明記されていること。「皇族は憲法の適用外」という規定はなく、母親の借金を子どもが解決しなければ結婚は認められないなどということがあり得るわけがないというのが氏の認識です。

 それにもかかわらず、メディアは一貫して「親の不始末は子どもの責任」という奇怪な論理でこの結婚に疑問を投げかけた。さらに加えて、新郎となる男性の“態度”が悪く、このままで幸福になれないなどと主張していると氏は言います。当事者同士の合意を否定し、自分たち(なんの関係もない第三者)が気に入った相手との結婚しか許さないというのは、(どう考えても)常軌を逸している。「リベラル」と言われるようなメディア(やその関連会社の媒体)ですらこうした記事・番組を平然と作り、発信しつづけたことは厳しく批判されるべきだということです。

 それに輪をかけて不思議なのは、普段は「人権問題」に素早く反応し、ときに国会前でシュプレヒコールを上げたりする「人権派」の面々が、婚姻の自由を全否定され、法を犯したわけでもない私人がさらし者にされる異様な事態に対して沈黙を続けていることだと氏は話しています。

 この明白な人権侵害に抗議できないとしたら、これまでの立派な活動はいったい何だったのか。さらに(相対する)右翼や保守派ですら、(これまで一貫して皇室を強く支持してきたにもかかわらず)皇族への理不尽きわまりないバッシングに抗議しないばかりか、批判の先鋒となってメディアやネットに登場している現実がある。

 こうしたことからわかるのは、彼らが守ろうとしてきたのは(自身が抱く)「理想の家族」としての皇室であり、そこから外れるものはいっさい許容しないという偏狭さだというのが氏の見解です。皇族に連なるような家系には、寸分の問題もあってはならない。その背後には、(かつては「欠損家庭」といわれた)母子家庭への差別意識も垣間見えるということです。

 何より、今回の事態の現代的な特徴は、結婚問題の記事がネットにあがるたびに、罵詈雑言にちかい膨大なコメントが殺到することだと氏は指摘しています。そこには、「国民の税金で暮らしている」皇族には人権がないとか、「上級国民」としてのすべての「特権」の剥奪を求めるものなど、極端な意見が溢れている。社会へのうっ憤を吐き出す人々のこうした姿は、生活保護(ナマポ)受給者に対するバッシングを思い出させるということです。

 これをまとめると、一方に、皇族のスキャンダルで商売したいと考え、あるいは「結婚に反対している高齢者層の反感を買いたくない」がために身動きがとれなくなったメディアがあり、もう一方に、「天皇制に触れると面倒くさい」と傍観するリベラルや、皇室を神格化し皇族の人権を無視する右翼・保守派がいるというということ。現在、男系子孫が繋いできた皇室の維持が(危機感とともに)問題視されているが、こうした状況を見て、将来、皇室の一員になろうと考えるまともな男/女が果たして現われるだろうかというのが、氏の強く懸念するところです。

 いずれにしても、今回の眞子様の御結婚に向けた(そして同時に皇籍離脱に向けた)強い意志が、日本の皇室の在り方下の議論や、日本人の皇室観に一石を投じたのは事実です。勿論、それに応える責任を負っているのが、我々国民であることはおそらく間違いないでしょう。

 フランスの哲学者サルトルは、「地獄とは、他人だ」と述べたが、この状からはそのことがよくわかる。(本来、祝福を受けるべきはずの若い二人の門出が)なんとも後味の悪い事態になったとこの論考を結ぶ橘氏の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。



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