MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯942 手締めの流儀

2017年12月15日 | うんちく・小ネタ


 師走もそろそろ大詰めを迎え、連日の忘年会に疲れが出ている向きも多いかもしれません。しかし、それでも日が落ち美味しそうな料理やお酒を目の前にすれば、ついついはしゃぎ過ぎてしまうのが酒飲みの「性」というものなのかもしれません。

 さて、こうした大人の宴席において(どうしても省略できない)つきものの「儀式」と言えば、最初の「乾杯」と最後の「手締め」と言えるでしょう。中でも、宴会の最後に皆がそろって手を叩く「三本締め」や「一本締め」は、外国でのパーティや学生のコンパなどには見られない、日本ならではの不思議な習慣です。

 就職して初めて職場の歓送迎会に参加した際に、「お手を拝借!」などと始まるこの「手締め」の儀式を初めて目の当たりにして、大人の世界の不可解さを感じたのも、今では良い思い出です。

 これまであまり深く考えたことが無かった日本のこの習慣には、(社会的に見て)一体どのような意味があるのか?

 国学院大学教授(民俗学)の新谷尚紀氏は生活情報サイト「NIKKEI STYLE」のインタビュー(2015/3/29)に応じ、宴席などの最後に行われる締めの手拍子は、元々一つの流れを締めくくることを皆で確認し合う儀式として日本独自に発達し浸透したものだと答えています。

 なので、参加者全員の手を打つタイミングがそろわなければ意味がない。短い一本締めが好まれるようなっている理由も、(恐らく)そこにあるということです。

 氏はこの記事で、拍手の数は数の吉凶を重要視する中国の陰陽道の影響を受けていると指摘しています。陰陽道では奇数が「吉」、偶数が「凶」にあたる。「七五三」や「三三七拍子」など、実は陰陽道の思想は日本の社会に深く溶け込んでいるということです。

 「イヨーッ」と掛け声とともに「シャシャシャン・シャシャシャン…」と手をたたく「三本締め」は、(そもそも)ヤミ商売や人間関係の難しいトラブルを(その世界の)有力者に調整してもらった際の、「双方文句なし」という「納得」のサインが本来の意味だと新谷氏は説明しています。

 それが、庶民の街である下町などを中心に、現代社会に伝わった。特に市場などの商売の現場では、取引の終了を確認する意味で手締めが積極的に用いられてきたということです。

 12月14日の「NIKKEI STYLE」の配信記事(「お手を拝借、よぉー」の後は?)によれば、江戸時代「やっちゃば」と呼ばれる青物市場があったことで知られる神田では、今でも「手は締めれば締めるほど絆が深まる」と言われているということです。

 隔年の神田祭では、みこしの上げ下げのたびに威勢のいい一本締めが街に響く。祭り以外の各種行事でも、神田の締めは一本と決まっていると記事はしています。

 「一本締め」といっても、「いよー、ちゃん」と手を1回だけたたく(現代風の)手締めではありません。「一本締め」は「やっちゃば締め」とも呼ばれ、元来「よよよい、よよよい、よよよい、よい」と全部で10回たたくものだということです。

 これは、(3・3・3・1の一本締めを)三が三つで九(苦)、最後のちゃんで点を入れ苦を払って丸く収まるということ。また、音頭取りの「いよー」の掛け声は、(何と)「祝おう」が語源だと記事は説明しています。

 ところが、現代のサラリーマンなどでは、1拍方式の手締めを「一本締め」と理解している人が余りにも多い。「一本締め」と「三三七拍子」「三三一」(シャン・シャン・シャン、シャシャシャン、シャン)などを混同している人も多く、伝統は既に大きな曲がり角に来ているとの指摘もあるようです。

 もともと、正式な「三本締め」は、3・3・3・1を3回繰り返すもの。なので「1本締め」と言えばこのうちの1本、つまり10回の手拍子を指すのは言うまでもありません。

 「九」の最後に点を打って丸く収めるためには、(少なくとも)手をひとつだけ打って「ちゃん」で終わったりすることはありえないというのが、手締めに関する本来の立場です。

 さて、そうは言っても、日本中の各地に「○○締め」などと呼ばれる御当地ならではの様々な種類の手締めがあるのも事実です。

 例えば東京都内でも、八王子市では3・3・3・1方式だが神田よりテンポがゆっくりしている。あきる野市の旧五日市町地域では3・3・1の「五日市締め」が慣例で、それが埼玉に入ると3・3・1・1と1本加わる。さらに地域を広げると2・2・3拍でリズムをとる「大阪締め」や「博多手一本」があるというように、手締めの作法にも様々なバラエティがあるということです。

 一方、地域の歴史に育まれたこうした手締めの伝統も、実際は各地で1拍方式にとって代わられようとしていると記事はしています。

 そう考えると、次の世代に(文化として)意識的に引き継がれない限り、こうした地域ごとの風習が日本から無くなってしまう日も、いつか(近い将来)やって来るかもしれません。

 地域の伝統と、メディアが広げる画一的な文化とのせめぎあいが、(もはや「風前の灯」ともなりつつある)「正調」手締めの習慣にも見え隠れしていると結ばれた記事の指摘を、私も大変興味深く受け止めたところです。




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