
8月中の米軍全面撤退を前に、連日報道されているアフガニスタン情勢。首都カブールではイスラム原理主義組織タリバンが全権を掌握し、迫害を恐れる大勢のアフガニスタン人がなんとか国外に脱出しようと試みている様子が報じられています。
ソ連軍のアフガン撤退後、1990年代後半から独自の厳格なシャリーア(イスラム法)解釈に沿ってこの地域を支配していたのがタリバンです。2001年に米軍がアフガニスタンに侵攻したことで権力の座を追われていましたが、北部の農村部や山中などでゲリラ活動を続け、米軍の撤退とともに首都カブールを制圧。再び政権を握ることが確実となりました。
報道では、タリバンの侵攻に合わせ、カブールの空港を離陸する外国軍用機にしがみつく市民の姿などが映し出されていましたが、カブールの人々はなぜこれほどまでに政権の座に返り咲くタリバンを恐れるのか。
8月31日のNewsweek日本版では、アフガニスタン問題に詳しいジャーナリストの貫洞欣寛(かんどう・よしひろ)氏が「タリバンの思想は農村では当たり前 カブール市民が震え上がる恐怖政権の正体」と題する論考において、日本にいてはよくわからないイスラム原理主義組織「タリバン」の実態を紹介しています。
1980年代、ソ連軍と戦うイスラム戦士の1人だったタリバンの創始者ムハマド・オマル(1960〜2013)は、90年代に入るとアフガン東部の難民キャンプ「マドラサ」でイスラム教の私塾を開く。そして、そこで学んだ学生(「ターリブ」)たちが銃を手に取り、世直しに立ち上がったのがタリバン(が公に主張する来歴)だと貫洞氏はこの論考で説明しています。
1989年のソ連軍撤退により内戦状態に陥ったアフガニスタンでは、軍閥が群雄割拠し、暴力的で強引な統治と勢力争いの戦闘を繰り広げていた。そうした混乱の中、タリバンは腐敗した軍閥と一線を画し、公然と賄賂を求めることもなく支配地域で厳格な統治などを行ったため、農村部を中心に市民の間では歓迎する声があったということです。
こうしてタリバンは瞬く間に支配地を広げ、1996年には首都カブールを占領して実質的な政権となった。しかし、様々な出自や価値観を持つ住民が集まる都市部では、彼らのイスラム規範に基づく厳格な統治に対する反感・反発は強まったと貫洞氏はしています。
氏によれば、タリバンを生んだアフガニスタンの農村社会では、現在でも(イスラムの宗教観に基づく)男性優位の家父長制的な秩序が続いているということです。政府の力は地方まで届かず警察や行政が頼りにならない。人々をつなぐのは地縁、血縁、そして部族の輪で、もめ事は基本、部族長や村の長老ら男性陣が話し合って解決している。一方、女性の役割は家事と子育てに専念することで、自由恋愛などもってのほか。部外者を容易には信用せず、自衛意識が高い社会が築かれていると氏はしています。
その社会を平たくまとめれば、「女子供は家にいろ。結婚は家と家の問題だから相手は親が決める。何か起これば男衆と若衆が村を守る。物事は男衆の寄り合いで決める。客人は客間に通してもてなす。ただし台所には入れない」という、かつての日本の農村社会のようなものだということです。
とは言え、タリバンが(こうした)自らの価値観を都市部でも強要すれば何が起きるのか。
カブールなどの大都市には、さまざまな少数民族やイスラム教シーア派をはじめとする少数宗派の信者が集まっていると氏は言います。キャリアを通じた自己実現と家庭生活の両立を求める女性や、留学や外国生活を経験し社会の近代化を目指す人も多い中、タリバンによる一方的な価値観の押し付けは当然ながら反発を招くこととなる。第1次タリバン政権時代に起きた暴力を伴う服従の強制は、こうして今でもカブールの人々を包む恐怖心の源となっているということです。
一方、復古的なイスラム解釈、伝統的な農村の価値観、これらに基づくタリバン流の統治は、地方部の男性にとっては違和感が少なく、むしろ「それが当然」とすら思う人も珍しくないと貫洞氏は話しています。アフガニスタンで長年にわたり支援活動を続けてきた故・中村哲医師も、「タリバンは狂信的集団ではない。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感がない」と繰り返し語っているということです。
1996年にカブールを制圧したときのタリバンは、山村や難民キャンプから出てきた、まるで野武士のような「イスラム戦士」集団だったと貫洞氏は当時を振り返っています。「イスラムは正しい教えなのだから、(自分たちの解釈する)イスラムに従えば全てうまくいく」「イスラムの教えを厳格に守ることで、侵略や腐敗からこの国を救う」、そんなある種のユートピア主義で理念先行の部分が彼らにはあったということです。
さて、米軍の撤退によりカブールを奪還した現在でも、タリバン兵士の半分以上は文字が読めず、部隊の指揮命令系統や統治のための方針もはっきりしていないという指摘もあるようです。 しかし、実はタリバン自体もこの20年間、内外に認められ、変わるための努力をしてきたというのが貫洞氏の指摘するところです。
2001年に米軍の侵攻と新政権の樹立を許して以降、タリバンはカタールに独自の政治事務所を開設し、日本を含む先進各国の政府を訪問していた。アメリカとも長期にわたり交渉し、国際社会と接触する経験を積み重ねてきたと貫洞氏は話しています。
そして、タリバンは今、政府軍を抑え政権を掌握した。こうした状況に至った以上、周辺諸国ばかりでなく、世界の主要国が連携して今後のアフガニスタンの人道上の問題と向き合い、タリバンとの対話を続けていかなくてはならないのもまた現実と言えるでしょう。
国連薬物犯罪事務所(UNODC)の推計では、麻薬関連がアフガニスタンのGDPの1割を占めるという報告もある。世界のアヘン供給量の8割を占め、タリバンの財源と目されるアフガニスタンでのケシ栽培と麻薬密輸をどうするかといった喫緊の課題も多いと氏は改めて指摘しています。女性や少数民族の人権状況に疑義がある上、麻薬密売に関わっているとされる政権と関係を持つことは、各国と企業にとっても受け入れ難い状況だろうということです。
しかし一方で、地域の安定やイスラム過激派によるテロの根絶のためにも、政権基盤の安定しないタリバンをこのまま放置してよいはずがありません。
現在のアフガニスタン情勢を踏まえ、20年にわたる米軍によるアフガン統治に関与し続けてきた日本と国際社会には、今後の同国の行方に一定の責任があると話すこの論考における貫洞氏の指摘を、私も重く受け止めたところです。
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