MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2447 歪んだ正義が奪うもの

2023年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 7月12日、性別に縛られないジェンダーレスな容姿やLGBTQに関する当事者としての意見の発信、さらには結婚・子育て・離婚などの私生活の動きなどから、若者の間で話題を呼んできたタレントのryuchell(りゅうちぇる)さんの自殺が報じられました。

 持ち前の明るいキャラクターが性別を超えた親しみやすさを呼び、モデル仲間の「ぺこ」さんとの結婚や出産などもあって、家庭的なイメージの中メディアでの露出を増やしてきたりゅうちぇるさん。一方、ぺこさんとの離婚後はSNSなどにおいて自らの性に関する悩みを明かすことで注目を集めるとともに、新しい家族の在り方を模索する姿がしばしば発信されていました。

 りゅうちぇるさんのアカウントに記されていた「『本当の自分』と、『本当の自分を隠すryuchell』との間に、少しずつ溝ができてしまいました。『夫』であることは正真正銘の『男』でないといけないと。父親であることは心の底から誇りに思えるのに、自分で自分を縛りつけてしまっていたせいで、『夫』であることには、つらさを感じてしまうようになりました」という言葉。そこには精神的なギャップとともに27年間を生きてきたひとりの若者の本音が刻まれているのでしょう。

 しかし、そんな彼の存在を、LGBTQの体現者、自分たちの規範意識とは違う者として鬱陶しく思う人たちからの攻撃は、メディアへの露出と共に日に日に増していたようです。実際、ネット上では、私生活に踏み込んだおびただしい数の誹謗中傷に晒されていたことが分かっています。また、自殺の原因としては、ストレスや薬物接種などによる情緒の不安定化なども指摘されているところです。

 いずれにしても、社会の枠組みに収まり切れない者を排除しようとする動きが、(束になって)また一人の若者を死へと追い込んだことに変わりはりません。自覚のない悪意でつながった空気の存在。異物を排除しようとする見えない暴力に、私たちはいつまで屈していかなければならないのか。

 そんなことを感じていた折、7月21日の総合情報サイト「DIAMOND ONLINE」にノンフィクションライターの窪田順生氏が「誹謗中傷大国ニッポン」ゆがんだ正義を振りかざす日本人がいなくならない理由」と題する一文を寄せていたので、小欄にその一部を残しておきたいと思います。

 先日、タレントのryuchellさんが急逝されたことで、生前、本人がネットやSNSで誹謗中傷を受けていたことが原因ではないかという臆測が広がった。死の真相は永遠にわからないが、かねてより「日本のSNSは匿名性が高いので誹謗中傷が悪質すぎる」という意見があり、それが今回再注目されていると窪田氏はこの論考に記しています。

 ただ、残念なのは、いくらこのような呼びかけしたところで日本から「誹謗中傷」が消えることはないだろうということ。誹謗中傷している人は自分が誹謗中傷をしているという自覚はなく、むしろ、相手の間違いを指摘して言動を正してやっている…くらいに思っているというのが氏の認識です。

 実際、今の日本は「誹謗中傷大国」と呼んでも差し支えないほど、社会に誹謗中傷があふれている。もちろん、SNSで他人を心ない言葉で侮辱する行為は幅広い国や社会で確認されているが、日本の場合はその「量」と「陰湿さ」が抜きん出ていると氏は言います。

 Twitter社によれば、2021年上半期(1~6月)に受けた削除要求は世界で4万3387件。うち日本が1万8518件と、4割強を占めて世界最多だったとされています。さらに、政府機関以外から寄せられたアカウントの情報開示請求は全世界で460件だったが、うち日本からのものが241件と5割強を占めていたということです。

 もちろん、「削除要求・開示請求=誹謗中傷」ではない。ただ、誹謗中傷が問題になってからというもの、メディアや弁護士など専門家が対策のひとつとして削除要求や開示請求を行っていることを踏まえると、この突出した数字には、日本特有の誹謗中傷カルチャーが大きく影響していると考えるべきではないかというのが氏の見解です。

 なぜこんなことになってしまったのか。そこには、戦前の日本から続く「規範意識の育成」に関する教育を「やりすぎってしまった」副作用があると氏は指摘しています。

 この教育方針自体が間違っているわけではない。社会で生きていくうえでルールやマナーを守るのは当然だ。しかし、日本のようにこの教育があまりに過剰になって、国民の規範意識が高くなりすぎると、社会に「対立と分断」を招いてしまうというのが氏の見解です。

 実際、日本における「ルールやマナーを守らない人」「みんなに迷惑をかける人」への激しい怒りや憎悪がもたらす行動は、時に常軌を逸することがある。そのわかりやすいケースが、戦時中の「非国民」へのすさまじい誹謗中傷とリンチだと氏はしています。

 この手の話になると、「当時の日本人は軍部が怖くてしかたなく戦時体制に従った」といった歴史観を語る人がいるが、それは新聞メディアが自分たちの責任を回避するために捏造されたストーリー。メディアだけではなく、当時の大多数の国民は自分の意志で率先して戦争に賛成していた。真珠湾攻撃をした際は、サッカーW杯で優勝したように国民はお祭り騒ぎだったと氏は言います。

 そして、広く知られるように、戦時中は「非国民」に対する「正義の私的制裁」が日本中であふれかえった。国が定めた法律やルールを守ることこそが「正義」。それができない者は「非国民」として怒りや憎悪の対象となってしまうのが日本の社会であり、日本人独特の倫理観だということです。

 結果、「規範意識」が膨張して、「社会秩序を乱す悪」を制裁するための誹謗中傷や暴力は許される…という感じで「正義の暴走」が始まってしまうと氏は話しています。 

 それは一部の極端な人間のやることで、自分は絶対大丈夫。どんなに気に入らない人がいても、相手を傷つけることなんてありえないと本当に言えるのか。

 今回のりゅうちぇるさんの自殺を自分に全く関係のないものとしてスルーすることは簡単だろう。しかし、それだけでは第2、第3のりゅうちぇるさんを生むだけだと考える窪田氏の視点を、私も改めて重く受け止めたところです。



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