政界や芸能界の関係者から「文春砲」と恐れられ、数々の競合誌が廃刊に追い込まれる出版界において一人気を吐いている「週刊文春」誌。
最近でも、映画界における性加害の告発、安倍元首相の銃撃と統一教会に関する報道、寺田稔総務相の辞任につながった政治資金疑惑、ジャニーズ事務所の性加害問題、さらには岸田内閣の副官房長官木原誠二氏にかかる刑事捜査への圧力疑惑まで、その内容は読者の期待を超えている観があります。
訴えられても何のその。(いわゆる「大人の事情」などはものともせず)忖度なくズバズバと問題に切り込む取材姿勢への(読者の)リスペクトがあってこそ、次々と新たな情報が舞い込むという好循環が生まれているのでしょう。
一方、テレビ(番組)自体が「つまらなくなった」と言われて久しい現在、情報媒体自体が(広く大衆向けた)テレビから、よりパーソナルなWEBメディアなどに移りつつあるといわれています。社会の個人主義化や嗜好の多様化が進む中、予定調和的・一面的な情報や大衆向けの娯楽性よりも、個人の欲求に訴求力のある情報が好まれるということの表れなのかもしれません。
そんな折、テレビのワイドショーなどが総じて飛びついたのがタレントの広末涼子さんの不倫に関するゴシップでした。
10代の頃からテレビを中心に活躍してきた女優さんということもあって、(当初は)長年のファンを中心に様々に沸き立つ状況は判らないではありませんでしたが、何週間にもわたってそんなことが続いていると「もうお腹一杯」という感じ。ほかにも取り上げるべき問題はあるだろうに、貴重な電波をこうした(つまらない)ゴシップに費やすのには「何か理由があるのではないか」と詮索したくもなろうというものです。
そうした折、7月10日の『週刊プレイボーイ』誌のコラムに作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が、「女優の不倫ばかりがなぜ大きく報じられるのか?」と題する一文を寄せているのを見かけたので、参考までにその概要を小欄に残しておきたいと思います。
有名女優と有名シェフのダブル不倫が世間を騒がせて久しい。手書きのラブレターが公開されたり、女優の夫による「謝罪会見」が行なわれるなど次々と話題が提供されているが、(一方で)こうした報道の洪水に違和感を覚える人も多いだろうと橘氏はこのコラムに綴っています。
リベラリズムの原則は、他者に危害を加えないかぎり、個人の自由な行動は最大限認められるべきだというもの。不倫は(家族には傷を負わせるかもしれないが)その「危害」が第三者に及ぶわけではなく、誰を好きになるかは結局私的な問題なので、そこで生じた紛争は当事者間で解決すればいい話だというのが氏の認識です。
欧米を中心に同性婚が広まっているのは、誰と誰が結婚しようが第三者に直接の危害が加えられるわけではないから。そこで(日本の)保守派は、この原則を拡張して、「日本の社会(国体)が壊されてしまう」という“間接的な危害”を訴えることになったと氏は言います。
そうした意味で有名人の不倫も、純潔を否定し社会の風紀を乱すから批判されるのかもしれないが、一概にそうともいえないのは、与党の大物政治家の不倫が報じられても「ああ、またか」という感じで、さしたる話題にもならないから。そこには、男の不倫は「甲斐性」と見なされても、女の不倫は許されないという顕著な不均衡があるというのが氏の指摘するところです。
さて、(話は戻って)芸能人である以上、恋愛問題や離婚などの私的なことを(一定程度)報じられるのは仕方ない話だし、広告スポンサーが商品イメージに反する行為をしたタレントとの契約を打ち切ることもあるだろう。しかしそれでも、私的なことで映画やテレビドラマを上映・放映中止にするのは明らかに行き過ぎではないかだと氏は話しています。
ではなぜ、このような「どうでもいいこと」でメディアは大騒ぎするのか。その理由は、ジャニーズ事務所の創設者が多数の少年に性加害を行っていたという、日本の芸能界を揺るがす事件と比べればわかるというのが氏の見解です。
メディアがジャニーズ関連の報道に及び腰なのは、多くの人気タレントを擁する芸能事務所の「圧力」を恐れているというのもあるのだろうが、これが業界用語でいう「面倒」な案件になっているからだと氏は話しています。
報道によれば、性加害の実態解明や被害者支援を求めて署名活動を行なう一部のジャニーズファンに対し、SNSでは、「ファンだとうそをついて、ジャニーズを陥れようとしている」「二次加害をして被害者を増やそうとしている」などの誹謗中傷が相次いでいるとのこと。
ファンかどうかに客観的な基準があるわけではない以上、自分とは主義主張の異なる活動を「ファン」の名の下に行なうことを不快に思うファンも確かにいるだろうし、それに加えて、こうした反発の背後には「ジャニーズの事件を利用して“社会正義”の活動を行なっているのではないか」という疑心暗鬼もある(かもしれない)ということです。
このような複雑なケースでは、メディアはどのような報道をしても、批判や抗議を避けられない。だとしたら、「そんなのはほかに任せておけばいい」というのは合理的な判断だと氏は言います。
それに比べて、確かに女優のダブル不倫は、確実に視聴率やアクセス数に貢献し、抗議を受ける心配もありません。面倒な案件には首を突っ込ますに、(倫理的に)攻めやすい所を攻め、あえて火中の栗を拾うような(馬鹿な)ことはしないのが大人の世渡りということなのかもしれません。
「つまらなくなった」といわれて久しいテレビのワイドショー。もちろん担当するプロデューサーやディレクターにも様々な苦悩はあるのだろうが、結局のところ最終的に何を大きく報道するかは「善悪」や「正義」では決まらない。面倒な案件は避けたいという(組織内の)単純な力学によって決まるのだろうとこのコラムを結ぶ橘氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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