ロシアによる軍事侵攻が長期化し、各地で厳しい戦闘が蔵広げられているウクライナ。一方、そのウクライナでは戦時下で結婚を急ぐ若者たち急増し、ロシア侵攻前の数倍以上に上っていると、8月8日のAFP(=時事)が伝えています。
例えば首都キーウでは、この5か月間に9120件の婚姻届が提出されたと記事は言います。2021年の結婚式の数が1110件だったことから、8倍以上も増加したことになるということです。
また、ウクライナ東部の戦闘地帯に近いポルタワ州では、2020年に1300組が結婚したのに対し、2月24日にロシアがウクライナに侵攻した後の6週間で1600組が結婚したとされています。
戦時下では、若者が恋愛を結婚へと急いで成就させる傾向が強いことは歴史的に証明されていると記事はしています。第2次世界大戦(World War II)中の1942年、米国では180万組が結婚したが、この数字はその10年前と比べて83%の増加だったということです。
なぜ、身に危険が迫り、将来も見通せない状況の戦時下にもかかわらず、婚姻数は増えるのか。8月12日のYahoo newsに、コラムニストでマーケティングディレクターの荒川和久氏が『戦争中に結婚数が増えるメカニズム~個人から切り離された「正しい結婚」という闇』と題する一文を寄せているので、(参考までに)少し内容を紹介しておきたいと思います。
未だ戦争状態の続くウクライナで婚姻数が激増しているらしい。もっとも、戦時下で結婚数が増えるのは過去の世界の歴史を見ても明らかで、実際日本でも日中戦争が開始された1937年と太平洋戦争が開始された1941年に大きく婚姻数が増加したと、荒川氏はこの論考に記しています。
戦争に行く若い兵士の夫と銃後の妻という構図だけではなく、(たとえ徴兵や出征しなくても)いつ何があるかわからない過酷な状況が、寄り添う相手や家族を求めたいという気持ちに変わることは(恐らく)あるだろう。特に、現在進行形で恋愛中の若いカップルにおいてはそうした感情も大きかっただろうというのが氏の指摘するところです。
戦前の日本人はほとんどお見合い結婚だったのだから、自由恋愛しているカップルなんていなかったのでは?と思う人もいるかもしれないが、決してそんなことはない。一般的な人々の中には恋愛結婚も(それなりに)多く、空襲や出征などにまつわる悲しい実話も数多いということです。
しかし、(残念ながら)日本のこの日中戦争「以降」の大幅な婚姻増は、そんな個人のロマンチック・ラブだけに起因するものではなかったと氏は言います。
1938年4月に国家総動員法が公布され、国家の戦争総力戦体制が整えられていく中、戦争継続に必要な兵隊としての子を産む「結婚」が、個人のものから国家の事業として取り込まれていくことになる。
国の社会事業のひとつとして結婚相談所の公営化がはかられるとともに、会社・工場・町村会・隣組まで巻き込んだ一大結婚斡旋網が作られ、結婚はもはや(個人の問題ではなく)誰もが果たすべき国民の義務と化していったということです。
ある意味、本人の意志とは関係なく、国が相手を選定して結婚させていくというどこかのカルト集団のようなことも行われていた。町内会での結婚の斡旋には男女の独身者カードなるものが作られ、パズル合わせのように結婚が決められていったとの記録も残されていると氏はしています。
メディアもその空気を大きく後押しした。1942年8月に「生めよ、殖やせよ」という大見出しで結婚を煽ったのは朝日新聞で、「結婚するのが正しい道」だと説いて、結婚によって国に報いる「結婚報国」が唱えられる道筋を作ったということです。
しかし、これを読んで「戦前の日本人はやっぱり変だ」などと他人事のように笑ってばかりもいられない。それから80年以上たった令和のコロナ禍の中では、県をまたいで移動する車に落書きをしたり、時短営業しない飲食店のシャッターに罵詈雑言の張り紙したりする者まで現れたのは記憶に新しいところ。メディアが大きく書き立てる中、監視しあう視線を感じながら、叩かれないように空気を読んで行動していた人も多いだろうというのが氏の認識です。
戦争に限らず、先行きの見えない不安な環境下に置かれた時に、人間はどうしても無意識のうちに国とメディアと自分達自身を包み込む全体主義という波に飲みこまれてしまうと荒井氏はこの論考に綴っています。
全体主義を生みだす最大の独裁者は、「○○しないと大変な目に遭うぞ。滅ぶぞ。死ぬぞ。地獄へ堕ちるぞ」と、ことさらに危機を煽り、世間という空気を作り出す。社会の不安を煽ることで同調圧力を強めるのが、全体主義の常套手段だということです。
さて(そうは言っても)、もとより、今回のウクライナや太平洋戦争下の米国で婚姻数が大きく増加したのは、そうした「国策」によるものとは思えません。おそらくは、彼ら若者たちの心には、混乱する社会を力を合わせて生き抜き、子孫を残していこうとする強い思いがあったればこそということなのでしょう。
出口のない暗いトンネルは、一人ではなかなか前に進めない。将来が見えないからこそ、確かなものを手に入れたくなるのは人の性というもの。不安や心細さは、存外、若者たちに結婚への背中を押す力を持っているのではないかと、私も改めて感じたところです。
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