はなしのひろば

興味のある話題、健康、積極的に投稿します。

嘘の言葉を打ち負かすこと

2020年02月26日 20時30分28秒 | Weblog
「言葉で死体を埋めることもできるし、それを掘り起こすこともできる」(レベッカ・ソルニット)
事実を曲げる方法とは問題をずらしたり、文脈や関連領域を無視したり情報を除外・改竄したりで多々あるそうである。どっかの国会答弁を聞いているようだ。
 こうした嘘が横行すれば時代を「診断」し「世界を変える作業の鍵」となる着実で粘り強い言語の力を損なってしまうと米国の作家・歴史家は言う。たかが言葉と思わないようにしたいものだ。言論の力は重いのだが。言葉で事実を曲げんとするものは政治家だけではない。役人をみればよい。法に携わる役人ですら事実を曲げ法を曲げんとする徴憑が見られないであろうか。知れば愕然とすることである。
レベッカ・ソルニット評論集『それを真の名で呼ぶならば』には「蛮行に抵抗する革命は蛮行を隠す言葉に抵抗する革命から始まる」
とある。激しくてもよい取り逃すことなく敢然と嘘の言葉に批判を浴びせ打ち砕く意欲が意思が求められているのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仰げば尊しはアメリカの歌

2020年02月08日 14時00分09秒 | Weblog
卒業式にうたわれる定番である仰げば尊し。文部省唱歌。古くから唄われているものだからてっきり日本の歌。そうではなかったのだ。2011年1月に一橋大学名誉教授の桜井雅人が、「Song for the Close of School」という楽曲が、1871年に米国で出版された楽譜に収録されていることを突き止めた。全く同じ旋律。歌詞は神の御名が入り学友校舎との別れを歌っている。その旋律やフェルマータの位置は「仰げば尊し」と同一であるなど、この楽曲こそが原曲であると推測されたという。

 明治以降学校教科書に載った文部省唱歌は作詞者作曲者を敢えて伏せてある。当時日本には作曲する人がいなかったことから外国の曲を使ったりした例がありこの曲もそうであろうことは十分推測できる。

卒業式に厳粛な気持ちでこの歌を歌った思い出は多くの人の記憶に残っている。百年以上対米戦争のさなかも歌われた、これがよもや、当時敵国の歌であろうなど知る由もなかったであろう。

愚かな戦争は如何に理不尽や無謀を孕んで行われたものであるかを後世の人は知ることになるのである。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代劇で語れるもの

2020年02月02日 06時22分11秒 | Weblog

時代劇と言えば娯楽時代劇、それから史実に題材をとったものなど。現代劇もよいのだが権力に遠慮して十分表現できない、否、表現の自由がある民主国家なのではあるが。

その点時代劇は、現代でないと設定すればかなり自由に表現する幅が出てくる。「蛍草」菜々の剣、原作は葉室麟による長編歴史小説テレビドラマ化で見る。ストーリーも16歳の菜々を17歳の清原果那が演じる。陥れられた父の仇がいわゆる権力者の腰巾着、仇討。腕を磨いてとあるが、一度空腹で行き倒れになりかかった剣術指南役だんご平衛を助けた恩義で手ほどきを受けるが、剣は人を切るものではなく自分の弱さを切るものだというセリフは何か訴える響きがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌を忘れたカナリヤは

2020年01月02日 20時46分36秒 | Weblog
詩人を目指していた西条八十、実家の父親の死、兄の放蕩により一家は破産し、母と7人の兄弟を養うため意に沿わない株取引、天ぷら屋の商売に手を出しわずかな財産も失ってしまった。
 そんな時、生まれたばかりの長女を抱いて上野公園を散策していると少年時代に見た教会のクリスマスの光景がふと蘇ってきた。灯されたろうそくのなか一つだけ消えていて、カナリヤの群れの一斉に鳴くなか一羽だけ歌を忘れたカナリヤのよう、それは詩人になる夢を忘れて似合わない株取引や商売に熱中する自分のよう。それに気づいた八十であった。
 大正七年「赤い鳥」に掲載された「カナリヤ」はそれまでの子供の歌のイメージをがらりと変え爆発的ヒットとなった。
歌を忘れたカナリヤを打ち捨てず、象牙の船、銀の櫂、月夜の海に浮かべて、忘れた歌を思い出す、文学・芸術性の高いものになっている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春のうららの墨田川

2020年01月01日 17時52分05秒 | Weblog
花見の風習が広がったのは江戸の頃。八代将軍徳川吉宗が奨励した。享保の改革の一環として桜を植えさせたのである。隅田川堤対策としてであった。その目的は人が集まることで堤防を踏み固めることにあったという。なんとまあ実利的なこと。
さくらの咲き揃う堤防にきて水色の空に映えるハッとするあでやかな花に包まれたときの感動は捨てがたいものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「里の秋」は戦地への想い

2019年11月16日 17時04分18秒 | Weblog
秋を代表する童謡「里の秋」だけれど、太平洋戦争の頃作詞され「星月夜」と題され南洋の島で戦う兵士を想うふるさとの家族の情景が描かれていた。しかし、これでは戦意を高揚させないことになりかねないと作曲家海沼実は曲を出さなかった。
 
 終戦となり、今度は帰還兵を迎える歌として三番が書かれ急遽発表となり大反響となった。父や夫、恋人の帰りを今か今かと待ちわびた人々の心を捉えたのであった。

しかしこの三番はなくてもよかったと作詞家斎藤信夫は述べている。なぜなら、戦地で戦う大切な人の無事を祈るそんな世の中が再び来ないことを願ったのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己に反して生きるとは

2019年11月07日 18時58分21秒 | Weblog
釈迦のおしえにも生きる苦しみとある。世の哲学者も「自己に反してということが、生きることそのものとしての生には印されている」述べる(エマニュエル・レヴィナス)。
 生きるからこそ悩みも苦しみもある。生きていれば病を得ることもある。もちろんその反面生きる喜びだってある。
人は誰も一人死を迎える。それは避けられないという真実だ。
これも、生に含まれると考えるならば、生は降りかかるもの、否応なしに被るものとなる。しかし、人は生を担い、これを切り開いていく、今もそして明日も。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

からたちの白い花によせて

2019年10月12日 12時31分16秒 | Weblog
山田耕筰が10歳の時父を亡くし預けられた施設で苦学した少年時代の思い出を綴った自伝から北原白秋が詩にした「からたちの花」。
「工場で職工に足蹴りにされたりすると私はからたちの垣まで逃げ出し人に見せたくない涙をその根方に注いだ」と綴っている。曲は子供にはむづかしすぎると白秋が苦言を呈したが山田は子供たちに本物の芸術をということで生まれた名曲である。
秋になり、金色に実ったからたちの実に目を輝かせた幼い頃の思い出をその白い花によせて懐かしむ詩となっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京五輪が二回目を迎える

2019年09月21日 21時47分42秒 | Weblog
アジア初のオリンピックは東京1964年大会。56年ぶりに廻ってくる。モノクロの時代だった市川崑監督の映画がカラーで記録されている。10/10開会式古関裕而作曲の行進曲が勇ましくも国民の心を鼓舞してやまないものであった。

時代は変わり、日本国民は第二回東京大会に何を見るか。原発事故・東北大被災からの復興をアピールするものらしいが、第一回東京大会に見られた、日本初開催への期待と平和の思いが懐かしくもあり、日本選手の活躍と世界との一体感は心温まるものだった。

日本選手団の先頭はあの「東洋の魔女」女子バレーボール選手であった。ニチボウ貝塚大松博文監督率いる回転レシーブでロシアチ-ムを下し団体初の金メダルに輝いた感動の物語。数々の話題を残し、二回大会はどんな物語を残すのであろうか。



 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

負われて見たのはいつの日か

2019年09月08日 06時27分42秒 | Weblog
夕焼け小焼けの赤とんぼ。赤とんぼが見られる季節になりました。「童謡赤とんぼ」の作詞三木露風はいつも子守をしてくれる娘の背中でみた故郷の情景を懐かしいと語っている。
 なぜか、姐やの背中のぬくもりが、姐やへのほのかな恋慕の情となって、会うことのない母への切ない未練の情と重なって、その強い思いが伝わってくる詩となっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕涼みを楽しむ

2019年08月10日 20時00分15秒 | Weblog
今でこそ、ク-ラ-ありで涼しく過ごせるけれど、何もない時代日が沈むころに涼をとるのはそれはぜいたくな時間だっただろう、縁台と蚊遣でテレビはなくても夕暮れに漂う気配に包まれ感じ取り過ごす時間はゴ-ルデンタイム。
 江戸期の絵に夕涼みの図という農民の家族で夕涼みを楽しむほほえましい絵がある。国宝に指定されている。
時代を超えて、否、忙しすぎる現代にこそ、こういう時間は必要だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏祭りを楽しむ

2019年08月04日 16時50分15秒 | Weblog
連日の酷暑、夏祭りがやってきた。浴衣姿に最近はLEDの光る飾り物、エアファンつきの出で姿、子供は主役であり、来る人皆主役である。かき氷の屋台に立ち並ぶ顔は活き活きと楽しそう。しばし時間を忘れて、夏の素敵なひと時を楽しむ人人そして人。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひと夏の刹那

2019年08月03日 07時44分48秒 | Weblog
八月、本格夏の到来、素敵な季節、夏休みの子供たちは夏にはしゃぎ楽しそうに、しかしその夏もすぐに終わるのにと刹那の感傷を内に感じてしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏が来れば思い出す

2019年07月06日 12時48分13秒 | Weblog
夏が来れば思い出す遥かな尾瀬遠い空・・・このさわやかな曲を作詞したのは江間章子昭和22年(1947年)のこと。敗戦から二年復興の機運が高まっていた時期である。夢と希望のある曲を・・という注文に浮かんだのは水芭蕉の咲く風景だったという。江間は三年前に疎開先の人と食料を求めて尾瀬の入り口である群馬県片品村を訪れた時のこと、水芭蕉と出会った瞬間、子供のころ育った岩手で見た風景と重なり夢心地だったという。時代は終戦間際誰もが苦しい生活を送っていた。そんな中でも美しく咲き誇る水芭蕉の姿に夢と希望を感じ、その感動と思い出を詩にしたためたという。白と緑の葉のコントラストの美しい花である。
 作曲は中田喜直、やさしい曲調、女学生がうたうと自然になじむような合唱曲で聴きたい曲である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青い目をしたお人形は

2019年06月29日 12時30分24秒 | Weblog
1927年(昭和2年)異国情緒の薫る横浜にアメリカから送られた一万二千体の友情の人形は青い目をしていた。その時歓迎式典で歌われたのが童謡「青い目の人形」。野口雨情、の作詞には童謡に国や民族を超えた普遍的な愛情を込めたいとの意があったという。
 この日米交流のきっかけは大正12年の関東大震災でアメリカが被災地支援をしてくれたことからのことという。
人々の友情を深めたいという願いも空しく、太平洋戦争が勃発し、戦況が悪化すると敵国の人形としてほとんどが焼かれたという。
それでも、物置や天井裏に隠された人形がわかっているだけで二百体以上あったという。みつかれば非国民として大変なことになるところ、それでも人形を守った人々の思いが偲ばれます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする