12・8・28
レポーター養成講座?2
歳時記からよさそうな文言、フレーズを2,3見つけ、メモ用紙に書き写す。
文言を入れ替えたり、フレーズとフレーズの間に連想して浮かんだフレーズを
挟み込むことなどをしていると、不思議とはがきに書く3,4行の文章は整ってきます。
7,8通りのはがき文は訳なく書ける。訳なく書けるから
文章を書くのを億劫にしない
不思議な習性が身に付きます。
地域新聞が鎌ケ谷版を発刊する見本誌が配布され、
レポーター募集の広告がありました。
文章を書くのを億劫にしないというだけの理由で応募しました。
幸い採用されました。
当初は私が興味を持ったことだけを取り上げていました。
例えば中山法華経寺の荒行、市川市国府台の辻切りと云った行事を
単発的に取り上げていました。
書く月もあり書かない月もある、そんな程度の頻度で書いていました。
2002年10月、母が亡くなった。
当時私は64才、母が亡くなってしばらく体の調子が思わしくない。
夜、寝られない、朝が起きられないだらしない生活が3か月ほど続いた。
64才にもなって何てだらしない男か……と思った。
何かに打ち込もう、と思った。
思いついたのがミニコミ誌の地域新聞にレポートを書くことだった。
書くことを億劫にしない、と云うだけの理由で
1,2年前レポーターに応募、採用されていた。
企画書を編集へ提出すると、いいですよ、とかダメですよ、と云われる。
「○○を何時までに……」と云うような縛りが一切ない。
始めようと思えば何時からでもいい。
気楽に?打ち込めるものが身近にあった。
ミニコミ誌地域新聞にレポートを書くには
偏に私自身の都合によるものだった。
何かに打ち込みたい、打ち込めば身体の不調も治るだろう、
思いはかなり必死だった、
にも拘らず自由で我儘がきく世界だった。