霞城公園内の旧済生館にもサンシュユの花(ミズキ科)が咲いていました。もうすぐ満開の桜に囲まれます。
重要文化財
旧済生館本館
昭和41年12月5日指定
文明開化の推進者として著名な三島通庸(みしまみちつね)(鹿児島県人)が山形県の初代県令として赴任するや、県庁、郡役所、学校をはじめ公共物等の洋風による新築工事を急速にすすめました。
この建物も係官を上京させて、東京、横浜等の各病院を視察させ、それに当時の学者や権威者の指導助言をうけ、明治11年2月着工、同年秋9月竣工したものです。
明治12年、時の太政大臣三条実美(さんじょうさねとみ)により「済生館」と命名、同年1月8日開院式をあげましたが、その華麗さは当時の人々の目を見はらせ、錦絵にしきえとして出版販売されるにいたりました。
しかも翌13年9月には、オーストリアのドクトル、フォン・ローレツを招いて医学寮の教頭として西洋医学の診療と教育を実施し、名声があがりました。
山形県のみならず東北における近代医学の黎明を証徴する殿堂として、昭和41年12月5日、重要文化財に指定され、同42年6月、山形市の中心街七日町にあったものを現在地に移転したものです。
現在、この建物は"山形市"郷土館として活用され、医学、医療関係の資料を中心に、郷土資料が陳列され、一般に公開されております。